見出し画像

在宅介護の実際・・・⑥

皆さん、こんにちは。「#医療系事務職員応援隊」の長幸美です。
ずいぶん日が長くなり、日差しも強くなってきました。初夏の陽気です。

さて、最近本当に在宅介護が良いのか、家で過ごすということは本当に本人にとって幸せなことなのか?・・・と感じるようになり、そのことを少し書きます。

私は医療機関に23年勤務し、その間に地域密着型の医療機関で、クリニックとの連携や介護事業所との連携をはじめいわゆる「地域密着型医療」にどっぷりとはまっていました。
医師・看護師だけでは在宅医療や患者さんの「病気」だけに視点が偏り院内で多職種連携に・・・そして、自宅に戻った時の生活を支えるためには、自院だけでは支援することができず「地域連携」に、と自然と在宅医療や介護との連携について考えるようになり、地域連携コーディネーターを受講したり、患者さんが地域の中で自分らしく生活するためには、自宅が一番で、自宅で暮らすためには、様々な支援があり、活用することにより患者さんが生ききる支援をすることができると思っていました。

そして、私は自宅で、85歳を超える両親と生活をしています。
当然のことながら、「家で暮らす」という希望を尊重し、在宅介護の選択をしました。その時々の奮闘はこれまでも少しお話して、在宅介護を選択する方たちの参考になればと思っています。この気持ちに変わりはないのですが・・・ここで困ったことが起こってきました。

すこ~しずつですが、父の認知症は進行し、母は「何もしようとしないこと」に腹を立て、「できなくなったこと」や「理解できない・言っても通じない」ことに情けないと悔やみ・・・「80を超えて最後にこんな苦労をさせられて、こんなことがわかっていたなら、ここには嫁に来なかった・・・」と。
これが果たして「家で暮らす」ことの意義だろうか・・・本当に父は家で母と過ごしていくことを喜んでいるのだろうか・・・?
母のことも娘のことも記憶の中にはなく、子供のころ過ごした家を探している状況で、本当に幸せなのだろうか・・・?

母は若い時に家を出て、これまで自由に思うままに生きてきた人です。
田舎の三世代同居十数人の大家族で暮らしてきた人ですが、子供のころの記憶は定かではないようで、祖父母をはじめ叔父叔母もこんな状態になった人はいなかった・・・ということを言い、理解はできないようです。いや、認めたくないのか・・・な?
これまで自由に思うがままに生きてきて、ここにきて自由にならなくなった・・・これが母の解釈であれば、この状態で、「家で暮らす」という選択が本当に良いのかどうか・・・悩ましいですね。

認知症というのは、脳の萎縮により引き起こされる病といわれています。
私は昔から同じようなことってあったのではないかな・・・今は医学の進歩により原因や病態が解明されてきているけれど、多かれ少なかれ、年老いていくうちに、忘れっぽくなり、怒りっぽくなり・・・経過はみな違うでしょう。
けれど、解明されても治すことができないため、なんともやるせない思いで、生活をしていくことになります。

父は、小規模多機能を利用して、訪問診療、訪問看護、訪問薬剤師、と、さまざまなサービスを入れています。みなさん本当に良くしてくださるので、助かりますし、安心しています。私が仕事を続けられるのも、皆さんのお陰だと思っています。
しかし、どのサービスも、「点」なのですよね。
これまで色々な方の経験もお聞きしていたし、Twitterなどでもさまざまな投稿があるのですが、「点」を「線」に繋いでいくことって、とっても難しそうなんです。生活を支えるコーディネーターが必要だなぁって、つくづく思います。
病院時代に、地域医療コーディネーター養成講座なるものがあり受講したことがあるのですが、なかなか介護の現場や医療者の中でコーディネートすることまではいかないような気がします。

これって何故なのでしょうか?

例えば、地域包括ケアシステムや地域医療構想にしてもそうなのですが、それぞれの医療機関はどこを見ているのかなぁ、と思うことがあるのです。熱があったらうちでは無理、安定している時は診るけどイレギュラーな状況では断られる・・・未だにこんな話を聞くことがあります。いやいや、不安な時に相談できない先生って必要かしら?

ワンストップで何もかも対応できることなんてスーパーマンぐらいではないでしょうか?
家族はそんなこと求めていません。
いまの状態が様子を見てて良いのか?わからないので、相談したいのです。

みなさんの在宅でのお悩みや。対応策をお聞かせいただけると嬉しいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?