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鬱病無職、ポーカープレイヤーになる -自己紹介記事-

はじめに

 現在ポーカープレイヤーとして活動している「わいくんです」と申します。よろしくお願いします。本名はHendonMobで探せば見つかります。
今回、鬱病の無職が4ヶ月間海外で専業生活にチャレンジしたということで、今までの自己紹介も兼ねて記事にしました。少し長めの記事ですが目を通していただけると幸いです。
 今後はnoteを通して、自身の経験をもとにした海外旅行情報、海外ポーカー情報の発信などをしていきたいと思っております。

バックグラウンドについて

 幼い頃から勉強がちょっとだけ出来たため、地元のそれなりに有名な中高一貫校に進学しました。大学受験では周りに東大を志望している生徒が多かったため、私も東大を受けましたが、普通に勉強していなかったので普通に不合格となってしまいました。後期に受けて合格した大学で元々興味のあった都市工学周辺の分野について主に勉強し、学士号、修士号と取得しました。

 学生時代は趣味の国内旅行・海外旅行に時間とお金を費やすなど、自由に過ごしておりました。執筆時点(2022年8月)で47都道府県と23ヶ国の滞在経験、五つ星ホテル宿泊から野宿まで、高級レストランから得体の知れないローカルフードまで、様々な経験をしてきました。あまりに自由に過ごしすぎて、学士修士ともにギリギリまで卒業出来るか分からない状態でしたが、周りの人間に恵まれたこと、運がとても良かったこともあり、無事にストレートで卒業・修了することが出来ました。この時培った運の良さのおかげでなんとかポーカープレイヤーをやれているみたいなところがあります。

 また2011年からTwitterをやっており、主にダジャレツイートを呟いていいね数を稼ぎ自己承認欲求を満たす活動をしておりました。全盛期(?)には、「わいくんさんのツイート好きです!ファンです!」といったニッチなフォロワーも出現していました。当時は以下のようなツイートをよく呟いていました。

 Twitterを通した海外オフ会も何度か実施しました。オフ会とは、オンライン上で知り合った人達と実際に会うことを意味します。国内でのオフ会はとりあえず集まるものの最終的になあなあになってしまいがちで、誘われてもあまり乗り気ではありませんでしたが、お互い旅費を出して海外で現地集合オフ会をすると、初対面でも基本的にまともな会になるのでオススメです。
 特に思い出深かったのは佐藤妹子さん(@310_IMO)主催のカンボジアでハッピーピザを食べるオフ会です。佐藤妹子さんは鬱病無職の大先輩として現在でもお世話になっております。

カジノとの出会い、ポーカーとの出会い

 趣味の海外旅行をしていると、カジノが有名な街という場所にもいずれ行き着きます。私の場合はそれが2016年に行ったマカオでした。マカオで一番有名と言われているリスボアカジノという場所に行きましたが、当時はカジノについての知識は全くなく、使えるお金も限られていました。そのためミニマムベットが一番小さかった「大小」というゲームのテーブルに座り、ペイアウト額からそれぞれのベッティングスポットについてその場で期待値を全部計算し、一番期待値の良かった大or小に賭け続けていました。所持金が8倍近くまで膨れ上がりとても喜んでいましたが、しばらくすると全て溶けてしまい世の中は甘くないことを知りました。

 その後、カジノについて調べていると、「マカオはミニマムベットが高く初心者にはオススメ出来ない」「ブラックジャックではカウンティングを行い適切なストラテジーでプレイすれば期待値が100%を超える場合がある」などの情報を聞きつけ、韓国などでカウンティングを実践していましたが、感想としては、マルチタスクでしんどい割にはあまり稼げないな、という感じで徐々にブラックジャックからはフェードアウトしていきました。

 また、マカオに行ったほぼ同時期に、プロポーカープレイヤーの木原直哉さん(@key_poker)が出演されていた「クレイジージャーニー」というTV番組を見る機会がありました。そこで世界で標準的にプレイされている、ノーリミットテキサスホールデムポーカーというゲームを知りました。すぐにオンラインでプレイを開始して、麻雀やボードゲームが好きだった私にとっては一瞬でハマるゲームとなりました。

 2017年の3月にはシンガポールからマレーシア、タイ、ミャンマー、ラオスを陸路で経由してカンボジアへバックパッカー旅行する機会がありました。その中のシンガポールとカンボジアでポーカーがプレイできるという情報を見つけ、「是非ともライブでポーカーをプレイしたい!」という気持ちでシンガポールに到着してすぐにセントーサ島のカジノのポーカールームに向かいました。
 事前調査ではSG$5-SG$10(米ドル換算$3.5-$7)のレートが立っているとのことでしたが、実際に行ってみるとSG$10-SG$20(米ドル換算$7-$14)のレートのテーブルが2卓立ってるのみでした。学生だったので所持金は数十BBしかなく、当然座ってはいけないテーブルでしたが、当時は「ポーカーを実際にやってみたい!」という気持ちが強く、ショートでバイインし、ショートなので何も出来ずにジワジワとチップを減らし、最後はAJオールインにAKが出てきてほぼ無一文でポーカールームを後にしました。無一文にはなりましたが、クレジットカードと海外キャッシングのおかげで現金は補充でき、バックパッカー旅行は無事続けられることが出来ました。
 その旅行の最終目的地のカンボジアの首都のプノンペンにもポーカールームはありました。Naga Worldというカジノで、レートは$1-$2、テーブルは2卓でした(現在は$1-$3のようです)。途中に寄ったポイペトのカジノのブラックジャックで現金を大幅に増やしていたこともあり、しっかりと100BBでバイインをしました。当時は堅くプレーしてCbetを打つといったいわゆるABCポーカーをプレイしていましたが、十分に戦うことが出来ました。この2セッションが私のはじめてのライブポーカーでした。

 その後、何冊かポーカーの本を買い、韓国やフィリピン等によく足を運び、たびたびキャッシュゲームをプレイしていました。学部の友人と行ったセブ島とマニラの卒業旅行でも、もちろん夜はキャッシュゲームをプレイしました。基本的に勝ち越しが多く、趣味としてのポーカーを楽しんでいました。

初海外トーナメント(2019年5月)

 私は2019年4月からコンサルティング会社で働きはじめ、新卒基準では多めの給与をいただいていたため、その年のゴールデンウィークに思い切って学生時代から行きたかったロシア(第二外国語選択がロシア語だったため)と隣国のフィンランドとエストニアに旅行に行きました。

タリン旧市街地の街並み

 フィンランドの首都のヘルシンキにはポーカールームが数件あり、€1-€2のレートで打っていました。エストニアの首都のタリンでも€1-€2を打つ予定だったのですが、ポーカールームに着くやいなや「今日はトーナメントがあるからキャッシュはやってないよ」と言われました。キャッシュしか打ったことがなかったので、トーナメントについてはよく知りませんでしたが、やはり私はポーカーが打ちたかったので、思い切ってトーナメントにエントリーすることにしました。
 結果は…なんと89人中8位!はじめてのトーナメントでまさかのインマネをしてしまいました。残念ながらHendonMobには載らないトーナメントのようですが。またしてもポーカーに関して自信を付けて海外から帰ることが出来ました。

鬱病無職時代(2021年6月〜2022年2月)

 コンサルタント時代は基本的につらかったです。つらいのに加えて、当時は株取引で1日の資産の増減が月の手取り額を大きく超えており、仕事へのモチベーションを完全に無くしてました。また仕事のプレッシャーも半端なく大学時代からの持病のパニック障害を再発させてしまいました。元々ストレスに弱い体質なのか、下痢や食欲不振なども続き、現在と比べて10kg以上体重が少ない状態でした。最終的に鬱病と診断され、傷病手当金を貰いながらの休職となり、最終的には2021年6月で自然退職という形で無職になりました。

 無職になって数ヶ月ほど休養してある程度元気が付いてくると、暇を持て余すようになったので、ポーカーを打ちにアミューズメントカジノに通うようになりました。主にBackdoor六本木店さん(@ROPPONGI_BD)とネオパラハさん(@neoparaja)に通っていました。通い始めた頃はいつも通りのABCポーカーを打っていましたが、ポーカーを打つ回数を増やしていくたびに、バリューを打つタイミングやブラフを打つタイミングを感覚的に掴めるようになっていきました。このような経験を通して、アグレッシブなプレイスタイルも取れるようになり、小さなハウストナメで入賞や優勝する割合も徐々に増えていきました。この段階でポーカーのステップを1歩登った感覚、座学と実践が結びついた感覚というものを味わうことが出来ました。

 実際に、大きな日本のライブイベントでも、KK Poker Live Day2進出 1751人中90位、ポーカーグランプリ Day2進出(即飛びで順位不明)、AJPC SuperCup Day3進出 1529人中26位入賞と中途半端ながらもそこそこの成績を残せるようになりました。このような目に見える実績を積むことで、もしかしたら海外でポーカー専業に挑戦してもいいのではないか、という考えに繋がることになりました。

いざフィリピンへ(2022年3月)

 2022年の2月中旬にフィリピンのワクチン接種者の入国が可能になったというニュースを聞き、私はすぐにマニラ行きのLCCのチケットを購入しました。当時は株取引が順調だったこともあり、バンクロールも大丈夫だろうという想定で、フィリピン周辺のポーカートーナメントツアーも出場することも視野に入れて滞在予定を組みました。
 マニラに着いてすぐは、マスターズポーカーというポーカールームで稼働を開始しました。ここで私は₱50/₱100、₱100/₱100、₱100/₱200(米ドル換算$1-$2、$2-$2、$2-$4)といったレートを打ち、毎回大きな勝ち額を上げることが出来ました。マスターズポーカーは日によりますが良いテーブルになることが多く、私にとっては勝ちやすいテーブルでした。
 マニラの各ポーカールームの情報は別記事で分かりやすくまとめたいと思います。

ポーカー専業生活(2022年4月〜6月)

 私は拠点をレーキが10%のマスターズポーカーからレーキが5%のリゾートワールドマニラ(通称:RWM)に移しました。最初は主に₱50/₱100を打っていましたが、段々と調子に乗りはじめ、₱100/₱200を好んで打つようになりました。RWMの₱100/₱200はディープスタックがとても多く、周りが200BBから500BBくらいスタックを積んでいる中、私は毎回100BBバイインで相対的にショートスタックでした。もちろん下手なプレイヤーも混ざっていて、最初の数セッションはプラスで終えることが出来ました。しかし、ショートスタックであるがゆえにビッグスタックにプレッシャーを何度もかけられてしまい、5バイイン連続でスタックをゼロにしてしまいました。

 ちょうどポーカーの負けが続いていた同時期に、株取引で大きな負けを続けてしまいました。ポーカーの負けがかわいいと思えるレベルで資産を溶かしてしまいました。私は3倍レバレッジの国内個別株信用取引をしていたので増えるのも一瞬ですが溶ける時も一瞬です。私が社会人だった時の額面年収よりも大きい額を失ってしまいました。

貧乏生活の心の支え、マクドナルド

 ポーカーの連続負け、株取引の失敗により、強固なバンクロールと言った後ろ盾も無くし、今までは意識していなかった「破産」という言葉が頭によぎりました。レートをすぐに₱50/₱100に下げ、出場トーナメントも少額バイインに絞り、ポーカーを打たず座学のみをする週を設けるなど、細々と専業生活を続けることになりました。最終的にはポーカーに専念出来るように、長期保有目的以外の株は売ってしまいました。

APT Hanoi出場(2022年7月)

 細々とした専業生活を続けてプラスを出し続け、6月のAPPT Manila Openのミニメインイベントで205人中5位になったこともあり、少ないものの7月のAPT Hanoi VSOPに参加するのに十分なバンクロールを築き上げることが出来ました。今回は数をこなすために、サイドイベントとサテライトを中心に出場することにしました。しかも、今回は日本から大学時代の友人がワーケーションついでに駆けつけてくれたおかげで、ティルトを起こさずメンタルも安定し、ベトナム観光やベトナム料理を楽しみながらトーナメントに挑むことが出来ました。

ハノイ近郊の世界遺産、ハロン湾
ハロン湾にある洞窟

 結果はサテライト含めて17エントリー1インマネ1サテ通過1バウンティ獲得と微妙な結果となりました。少し滑りすぎたかなと感じつつ、トーナメントは分散が大きいので仕方のないことなのかな、と思っていました。しかし、同卓したマレーシア人の成績をHendonMobで見てみると、初ポーカートーナメントツアーにも関わらず7インマネ1優勝しており、プレイヤーシリーズで2位を取るなど驚異的なインマネ率を叩き出していました。
 これを見て、私にはまだまだ実力が足りていないのだと反省し、このレベルまで追いつけるように今後滞在予定のマニラとカンボジアでキャッシュ打ちまくらないとな、という思いでベトナムを後にしました。

下振れと日本帰国(2022年8月)

 ベトナムではキャッシュは合法的に打てないことになっているので、トーナメントだけをプレイしていました。なのですぐにでもキャッシュを打ちたいという思いが強く、マニラに朝方飛行機で付いてすぐにRWMに向かい、キャッシュを打ちました。トーナメントと違ってフィールドは緩く、永遠と座っていたいテーブルでした。
 その後、今回の滞在先のマラテに移動し、かつてお世話になったマスターズポーカーでキャッシュを打つことにしました。しかし、急な下振れなのか、ゴミハンドに負け、フリップは負け、フェイバリットは負け、アンダードッグは当然負け、みたいなことが続いて所持していたペソを全て失ってしまいました

 ペソを失ったことで、APPT ManilaやWPT Cambodiaの出場が危ぶまれただけでなく、さらにATMでお金を下ろしてキャッシュを打っていく自信を完全に無くしてしまいました。ポーカー勝てないし勉強しても成長の実感もなく、一日中とてもしんどい思いが続いていました。もう日本に帰りたいけど飛行機代も直前で取ると高いしな…とか考えていました。

 すると私のダジャレツイッタラー時代からのファンから上記のようなDMをいただきました。帰国費用の心配が無くなったことで、最後までしっかりとポーカーを打ち続ける決意が出来ました。プラスに転じるようならカンボジアに向かうし、一定額負けたら悔いなく日本に帰ろう、と思い、すぐにタクシーでRWMに向かい、自分が今まで勝ちを重ねてきた得意フィールドのポーカールームで死ぬ気で打ち続けることにしました。
 RWMに到着して6時間くらいキャッシュを打ってると、Qのトリップスで7万ペソ強(約18万円)のポットが発生しました。「これ落としたら多分日本帰った方が良いやつだ」と直感的にそう思いました。高額ポットの行方は以下ツイートの続きに…

 APPT期間の途中ではありますが、私は日本行きのLCCのチケットを取り、PCR検査をすぐ受けて日本に帰ることにしました。高額ポットは落としてしまいましたが、最後は悔いのないプレーをすることが出来てよかったです。

今後について

 周りの人間に恵まれたこと、運がとても良かったこと、のおかげで私はポーカーが打ち続けられたんだなあと実感できる4ヶ月間の専業生活でした。基本的につらくしんどい4ヶ月間でしたが、自分の好きなことだけに集中できる期間があったのは人生においては完全にプラスだと思っています。
 バンクロールと時間が許せばもう一度専業生活に戻るのも選択肢の一つではありますが、今は日本でもう少し実力の底上げなどをしたいと思っています。もし行けたら10月APT Koreaや11月WPT Taiwanに出場することも考えています。
 長い文章ではありましたが、ここまで読んでいただけて幸いです。今後はnoteを通して、自身の経験をもとにした海外旅行情報、海外ポーカー情報の発信などをしていきたいと思っております。

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