書評「発行文化人類学」小倉ヒラク著

最近、発酵が大きなムーブメントになってきている。文化、健康、美容といった各方面で発酵のもつポテンシャルが評価され、お店やメディアなどで関連商品を見かける頻度も上がったように感じる。

著者の小倉ヒラク氏はそんな発酵ムーブメントを牽引する一人である。氏はデザイナーから発酵業界へ転身した異色の経歴を持ち、「発酵デザイナー」を名乗り日本各地・世界各地を巡りながらローカルに根付いた発酵文化に光を当てる取り組みを精力的に行っている。

そもそも発酵とは、自然科学と社会文化との交差点に位置づけられる現象である。有機物が腐敗・発酵するというのは純粋な自然科学現象であるが、そうして生まれた腐敗物・発酵物をどのように賞味し、人間同士の関係性や文化、歴史の中で位置づけていくかというのは文化的・社会的なテーマであるからだ。

本書はテーマごとに9つのPartから構成される。自然科学的な部分は正直教科書的な概説の域を脱していない感があり、著者の面目躍如は文化論・未来論てきな部分だ。特にPart 5 「醸造芸術論」とPart 6「発酵的ワークスタイル」は本書の白眉と言える箇所である。

Part 5「醸造芸術論」のメインテーマは我々消費者が「世界を捉えるセンスを豊かにする」プロセスだ。醸造家が自然を観察して、何を感じ何を考えたか。優れた発酵食品には醸造家の観察眼と美的センスが反映されるものであり、発酵食品を賞味するとはそうした醸造家の感性を追体験することに他ならない。

私見だが、発酵がムーブメントになっている理由の一つはここにあると思う。多くの人が都市住民になり自然をみつめる観察眼とそこからインスピレーションを受ける感性を失った現在、多くの人が潜在的にそうしたものを求めているように思う。知り合いのセラピストが「自然環境から隔絶されると心の健康に非常に良くない」と(ちょっとスピリチュアル気味で当否は定かでないが)言っていた。自然に触れたいがそれにはお金と時間が必要なのが現代人だ。そんな中にあって、手軽に自然に対する観察眼と感性を取り戻したいという消費者の思いが発酵食品へと向かわせているのではないだろうか。

Part 6「発酵的ワークスタイル」は発酵に従事する人たちの仕事論がテーマだ。ある意味で一番文化人類学っぽい箇所だろう。著者の小倉氏は醸造家の職業哲学から本質的なエッセンスをわかりやすく示す達人だ。

例えば、新政酒造の杜氏のコーナーでは杜氏の職業人生に触れつつ人間のクリエイティブは

・自分のつくった設計図を壊す
・自分以外の関与者の力を引き出す
・美は予定調和ではなく、リスクと格闘するチャレンジの中からしか生まれない

であることを言語化してくれる。こうしてみると、今の世の中は人間のクリエイティブが徐々に失われる時代なのではないだろうか。現在のトレンドでは、あらゆる生産を規格化・工業化し、AIなどを使って生活・社会・経済リスクを極限まで抑え込むことが善とされる。でも、果たしてそこに未来はあるのだろうか、というのがおそらく本書の裏テーマだ。

著者はこうも語りかける。

人間が管理しない余地を残すことで、毎日食べても飽きない複雑な風味を生み出している。その複雑系が崩壊しないように様々な工夫を凝らすところに、醸造の「ミソ」があるんだな。

もちろん、発酵が純粋に非工業的な営みというのは間違った見方だ。機械の手を借りるし麹だって何百年という品種改良の産物だ。Part 9で紹介されるゲノム編集のように、我々は遺伝子を自在に操作するテクノロジーを発達しつつある。著者の小倉氏はそうしたテクノロジーのもたらす「光」を否定しない。

極端な自然派や極端なテクノロジー派に肩入れすることをしりぞけ、その中間で揺れ動くことを著者は肯定する。地球のフロンティアが小さくなり「無限の経済成長」なるファンタジーが消滅した結果、我々はこの先さまざまな制約条件の中にいることを否応もなく突きつけられるのだろう。そこで求められるのは時間・土地・資源といった限界を積極的に肯定しプラスに転換してしまう人文的クリエイティブと、限界ラインを力づくで押し出すテクノロジーの力だ。

本書は「発酵」というキーワードから我々が生きる未来の道しるべを提供してくれる快著である。


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