とにかく手を動かす、の前に


ライフハックのようなものの一つに、とりあえず手を動かすというものがある。この方針を取る人の中には、過去に考えすぎるあまり、なかなか実際に行動する(手を動かす)ことに時間を使えず、無為に過ごしてしまったという反省がある人に多いと思う。しかし、それが行き過ぎてしまい、病的に手を動かすということに囚われてしまう場合がある。少なくとも自分はそういう経験があった。


私は過去の失敗から、考えることをしてはいけない、という極端な方向に進んでしまった。だが、この考えてはいけないということが適応されるのは、何かを始めた後にある、様々な未来を想像し過ぎないということを指している、と思う。例えば、新しく何かを始めようと思った時に、それをやるために必要な物や時間・それに飽きてしまった場合にどうするかなどの対応を含めて、様々なパターンを詳細に考え過ぎてしまい嫌になってしまう、というようなことだ。
 これへの対応手段として、とにかく行動する、というのがある。だがそうすると今度は、やり始めて見たはいいものの、あまりに的外れなことをしてしまい時間を無駄にしてしまうということがよくある。そうなると、ああもっと考えてから行動すれば良かった -> いやいや、何かする前に考えてはいけなかったのではないか?と袋小路に入ってしまう。ではどうすれば良かったのか、ということを考えてみる。


最初の、考えてはいけないというのは、まだそれをやるということも決まっていない状況で、それをやった後に何が起こるかを考えてしまい、怖くなって何もしなくなる、というのがよくない。つまり、まずはそれをやるということを決めてしまえばいい。やると決定して、ではそれをやるためには何が必要か、どんな障害があってどうすればそれに対応できるのか、を考える。やると決めている以上、考えつくような障害には対応できるような準備やスタート地点を選ぶ必要がある。この準備は大変かもしれないが、やると決めているのでしないということはありえない。

つまり、まず第一にやりたいことがあり、それをやると決める。次にそれを達成する手段を考える。であって、やりたいことをその後のことも含めて考える、その結果でやりたいことをがやりたくないことになる、ということはあってはいけない。なぜならそれがやりたいことであるはずなのに、考えた結果やりたいことから外れてしまうということは、それは別段やりたいことではなかったということになる。それは外れて良かったということだ。

やると決めたら、あとはやる。そのやるの中には勿論考えることも含まれている。その考えの中で思い付く大変なことは、対処しなければいけないこと。

やりたいことだけではなく、やらなくてはならないこと、についても同様に考えることができる。やらなくてはならないのに、先の事を考えて億劫になってしまい、手を付けることができない、という状況はよくあると思う。だが、これに対して必要なのことも、先と同じく、やると決定することだ。これがまず最初にあって、ではそれをやるために必要なこと、起こるであろう問題はなにかを考える。必要なものは揃えて、起こるであろう問題をどう解決するか、もしくは、そもそもその問題を迂回する経路は無いかを探す。

やると決める前に頭に浮かぶか、決めた後に浮かぶかで、同じ内容でも意味が変わってくる。


ここまで書いて、これってもしかして精神論になってしまっていないかと不安になる。どこかで自分を騙してしまっていないだろうか。やると決定するかどうかを判断するために何かを考えるのではないか?と上の文章を読み直してみた後に考えた。だが、やはりやると決めるかどうかが全てで、やると決めないのに何かを考えても無意味ではないかとも思えている。

やると決めて、どうすればやれるかを考えた結果、やはりこれはやれないと決めることはあって良い?

やると決めたことをやらないと決めることはあっても、やると決める前にやらない要因を探すのはあってはならない。のかもしれない。決断を挟むことが重要ということだろうか。人が、「やると決めたこと」をやらないと決めるためには様々な理由が根拠が必要だが、やると決めるためには根拠はいらない、という非対称性がある、気がする。ここが重要かもしれない。

ひとまず、悩んでよいのはそれをやるかどうかであって、それをやることで起こる面倒などを考えて悩むことではない。


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