子どもが可愛いと思うことは当たり前ではない

子どものことを書こうとすると、さまざまなことがよぎるけれど、可愛いと思える環境にいることが、幸せに思える。

子どもは可愛いのが当たり前で、親は子どもを守るというのが当たり前だ常識だとされる中で、そして自分もそう思い込んだまま、子どもを産んだ。虐待なんてニュースの中だけの話だと。

けれども、実際に、眠れない食べられない何もできない状況に押し込まれると、可愛いと思うときもあれど、基本生きるのに必死でそれどころじゃない。

赤ちゃんの頃は、なるべく泣かさないように育ててきた。泣いたらすぐに飛んで行った。泣けば、満たされると知って欲しかった。親を諦めてほしくなかった。泣き声に平気でいられるほど、強くなれなかったし、いつまでも泣き声には慣れず、なんとか頑張るしかなかった。私のすべてを必要とされたし、すべてを与えた。

続けて眠れないことのつらさを知った。自分で選択して続けて眠らないことと、起こされて眠れないことの違いを知った。

可愛いけれど、少しだけ眠らせてください。

はじめて2時間続けて眠って、ああ、人間2時間続けて眠るとなんとか生きていけると思った。その頃、夜中の授乳とオムツ替えで、6時間寝るあいだにオムツを8個捨てていた。今思えば泣くたびにそんな神経質に替えなくてもよかったかもしれない(笑
彼も過敏で、膀胱の小さい赤ちゃんだったのだろう。

ドライヤーするあいだも泣くので、髪の毛も短く切った。

何回も切ったその髪も、今では胸あたりまで伸びた。

時間切れ。つづきはまた。

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