人間の思考

自分の思考が止まらない勢いで頭を巡らせているので、頭から吐くように言葉を並べます。


思考って、ある意味人間の行動を支配していると思うんです。思考があるから寄り道をたくさんするし思い通りにならないし、感情が生まれて欲が生まれる
欲があるから寂しさを感じ孤独を知る
すれ違いだって起こる

一人一人、思考も価値観も違うのだから当然捉え方や見ているところも違うのだけど。

人の言動は、本心かどうかなんてわからないし、冗談で発言した言葉を相手がどう受け取るのかも、その人でないとわからない。
人間は、見えている部分しか見ないから、当然その表面に出た態度や雰囲気にあわせたコミュニケーションを取ろうとする。
それがお互いに続くと、表面だけのコミュニケーションにしかならない。その一歩見えない部分を探ろうとしなければ、お互いがお互いを勘違いしたまま解釈され思考が築かれる。

わたしはその、勝手に表面だけでどんどん自分というものが作られていってしまうのがすごく嫌だしすごく寂しい。全然知らない人がわたしのことをどう解釈しようと、それほど気にならないのだけどね、関係性が近ければ近いほど、寂しい。
自分を上手く外に出すことが出来なくて苦手な私にとっては、孤独を感じずにはいられない。

そんなのが続くと次第に、自分を出しづらい雰囲気に飲み込まれてしまう。もう、その空気に合わせることしか出来ないし、自分を全く出せなくなる。人間らしいところがなかなか見えない、表面的なコミュニケーションの連鎖。


思考とは、他人や外の影響があって生まれるもので、無意識のうちに影響を受けて過去の思考と繋がり、日々変化している。意識的に考えるもの以外にも無意識のうちに頭の中で繰り広げられる雑念のようなものも思考の一つ。
その情報量が多いほど、思考へのエネルギーが必要になり、行動へのエネルギーが減るのは自然なこと。でも、ここで敢えて考えることを放棄して行動し続けることに注力するのも一つの方法なのかもしれない。

なぜ、人間は何か対象となるものに対して、自分の思考の中で過去の事象を繋げて勝手に答えを出し、決めつけたように外(他者または該当する事柄)に言い切れてしまうのだろうか。

それを受けた相手も、勝手にそれを解釈し自分の過去と繋げていく。たった一度でも、相手からの受けた言動で気持ちはすぐに変わってしまうし心を閉ざしてしまう場合もある。

後からどんなに挽回をこころみても、たった一度でも感情が動いてしまうと手遅れになってしまうこともある。寂しいけれど。

そこに人対人の対話が成り立たなければ、お互いの違いを理解しようと努力しなければ、それぞれの一方通行の思い込みでしか人間関係は作られない。表面的なコミュニケーション。茶番。

あぁ、
何が言いたいのか全然まとまらない。


改めて気づいたことは、わたしは茶番でしかない表面だけのコミュニケーションはしたくない。人対人の対話をちゃんとしたい。1対1でちゃんと対話をしてその人を知りたい。そこで例え、共感ができなくても理解はできるように努力したい。
感情的になると、冷静な判断ができなくなりがちだから。冷静になるまで時間をかけて、ゆっくりでも向き合う姿勢を持ちたい。

そうやって、一つ一つ丁寧に扱いたい。丁寧に紡いでいきたい。だから、わたしのことも丁寧に扱ってほしい。

思考があるから寄り道をたくさんするし思い通りにならないしまわり道ばかりだし。感情が生まれて欲が生まれる。欲があるから寂しさを感じ孤独を知る。
その現実をちゃんと受け止めたい。しっかり見たい。それで、隠さずに人間らしくいたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?