スピリット・オブ・ブロオクンドオルズ

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 見知らぬ森に迷い込んだ私は、そこで金髪の女の子に出会った。

 「この森の奥に住んでいるのよ」
 彼女は言った。何かしら人を安心させるような、透明な響きのする声だった。
 あがっていく? と尋ねられたので、私はお言葉に甘えることにした。
 それから三十分程度、薄暗い森の中を私たちは歩いた。

「私はアリスよ」
 彼女は言った。私も何度か自分の名前を言ってみせたのだが、彼女には上手く聞き取れないようだった。
「人形を動かせるのよ」
「へえ。操り人形がお得意なんですね」
「違うわ。私が得意なのは『人形を操ること』よ」
「…………?」
「あー……。つまりこういうことよ。『人形を操る』ことと『操り人形を操る』ことは全く似て非なるものなの。もちろん私は操り人形を操れる。でも操り人形じゃなくたって操ることができるわ」
「なんでも操れるんですか? 凄いですね」
「ふふ、ええ。人形ならね」

 アリスさんによると、人形にも私たち人間と同じように心があって、彼女はその心を操っている、らしい。「マインドコントロールの類ね」アリスさんはそう言っていた。どうしてこんなすごい能力のことをこんな見ず知らずの迷い人に教えてくれるのだろうか。

「ここってどこなんですか?」
 私は尋ねた。
 しばらく無言で歩いていたアリスさんはこちらを振り向いた。そして静かに微笑んだ。

「ここは森の中よ」
「知ってますよ」
 彼女はまた微笑んだ。あなたが一番わかっているのでしょう、といった感じの笑みだ。しかし困ったことに私は何もわからないのだった。
「かわいそうな人」
 アリスさんはそう呟くと、また歩き始めた。私も黙って彼女の歩いた道を辿った。二人分の足音と、木々が風に揺られる音だけがあたりにこだましていた。どこまでも連なる木々の揺らぎと、見えない道をひたすらなぞっていく一人の少女の背中だけを私は見ていた。少しでも目を離してしまうと、彼女はもういなくなっているような気がした。

 どれくらい歩いたのかわからないが、おそらく相当な距離を歩いたのだと思う。アリスさんが住んでいる家にたどり着いた時、自分でも立っていられるのが不思議なほどの距離を。
「あがっていって」
 彼女はそう言うと、靴も脱がずに自分の家に上がり込んだ。私も彼女にならって土足のまま彼女の家に入った。

 ひと昔前の風景から切り取ったような木の家には、机と一人分の椅子だけがぽつねんと置いてある。テレビもなく、代わりに昭和初期のものと思しきラジオが置いてあった。ずっと使われていないようで、埃を被っている。全てが映像の中の風景のように見えるなかで、右手側に鎮座しているグランドピアノだけは真新しく見えた。

 温かいコーヒーを淹れてもらった。マグカップを受け取って初めて、自分の体がひどく冷えていることに気がついた。

「美味しいです」
「そう、よかった」アリスさんは微笑んだ。「それで、あなた人間よね?」
 ?
「はい」
「そう」
 私はコーヒーを啜った。

「どこから来たの?」アリスさんは言った。木の椅子に後ろ向きに正座をして、背もたれの上で頬杖をついている。
「分からないんです」私は言った。「大学の中に森があって、そこを歩いていました」

 昼食を食べ、私は次の講義がある教室に向かっていた。敷地が広大で、次の教室に行くために学内にある森を抜ける必要があった。私はいつものように森の中を歩いた。そしてとうとう、次の教室に辿り着くことはなかった。

「いつの間にかこうなっていたんです」
「そう」彼女は特に感興もなさげな様子で相槌を打った。

「それで、ここはどこなんですか」
 私は尋ねた。
「言ったでしょう? 森の中よ」
「知ってます」
「今にわかるわ」と言ってアリスさんは奥に消えていった。

 一人になると、私は急にそわそわし始めた。大学生だからと言って出会いなんか無いから、女の子の家に上がり込むなんて初めてだ……なんてことではなくて、あまりに異質すぎる今の状況に。

 大学の教室に行くはずが、たいして大規模でもない森から出られなくなり、そこで見知らぬ金髪の女の子に出会って、しかもその子は森の奥に一人で住んでいて、人形を操ることが出来て、その女の子の後に続いておそろしく広大な森の中を歩いていって、たどり着いた木の家でコーヒーを飲んでいる。

 こりゃあ夢だな、と私は思った。筋書きもあったもんじゃない。そろそろ起きないとやばいかもしれないな。今日の授業は必修だし、いい加減目を覚ますか。このまま木の家で、西洋人形みたいな可愛い女の子と一緒にコーヒーを飲んで暮らすなんておとぎ話みたいな暮らしも悪くないように思えるけれど、俺にはまだやりたいこともあるし、やらなくちゃならないこともあるのだ。

 私は頬をつねった。

 しかし何も起こらなかった。

   *

 しばらくして、アリスさんが戻ってきた。片手に何かを握りしめている。

「ここにいても暇でしょう?」アリスさんは言った。

「人形劇を見せてあげる」

 そう言ってアリスさんは、これまた木で出来た人形を机の上に置いた。そして不意に目を閉じた。すると机の上に寝そべっていた人形が、突然むくりと起き上がった。

「始めるわよ」

 アリスさんはピアノの前に座り、おもむろに演奏を始めた。右手で8小節のアルペジオ・フレーズをひたすら繰り返し、左手でコード進行をなぞるだけの簡素な演奏。

 それは意外な光景だった。人形劇というから、彼女が人形を動かしながらセリフを言ったりするものだと思っていた。

 アリスさんはなおも同じフレーズを弾き続けた。次第に脳が追いつかなくなってしまうのではないかと心配になる程だったが、彼女は決して間違えることなく、演奏を続けた。

 その伴奏に人形が応じた。彼はおもむろに立ち上がり、はじめにその場を軽く一周走ったかと思うと、二回目のアルペジオに入ると同時に、突然激しいステップを踏みはじめた。

 それはタップダンスにも似ていたが、その動きは極めて高速、複雑で、少なくとも踊りによって音を奏でると言ったものには私には見えなかった。おそらくこの踊りをタップダンスシューズを履いてやったら、聴くに堪えない音楽になっていただろう。

 その動きは俊敏でリズミカルだった──────少なくともそれが人形であることなど忘れてしまうほどに。

 私はその人形の足捌きにしばらく見惚れた。そうして気がつくと────私は椅子から立ち上がっていた。

 私の身体は考えるより先に動いていた。

 私が踊り始めると、人形はにわかに動きを止め、その場でリズムを取ったり、時折手招きをしたりして私を煽った。

 しばらく経ち、人形が再び踊り始めると、私はさもそう示し合わせたかのように、自然に足をとめた。息はあがり、汗が身体中をふき出しているのが分かった。しかしそんなことはどうでもよかった。踊りは続いているのだ。

 私はさっきのお返しと言わんばかりに「おいおいそんなもんかよ!?」と人形を煽った。自然に出た声だった。すでに私の体は私のものではなくなっていて、私と言う存在はこの場所と一体化している……そんな浮遊感の中に私はいた。

 私の煽りに人形は応じた。ステップを踏み、突然前後に動いたかと思うと、私の目の前でぐるりと一回転した。
「俺は壊れている」
「それがどうした」
「片足が少し短いんだ。俺を作ったのが趣味で大工やるような奴でよ、孫のためにそいつ好きな恐竜のキャラクターの人形をよ、木で作ってやろうとしたんだな」

 ピアノの音がこだまする中で、聞こえるはずのない打楽器のような音を私は聞いたような気がした。魂を震わすような響きだ。
「でも誕生日にそれを渡したらよ、そいつなんて言ったと思う?『こんなのボノノじゃない、いらない』だってさ。ひでえ話だよな。一生懸命苦労して作ったやつの気持ちなんて、子供にはわかりっこねえのさ。結局その爺さんは俺を、たくさんの木材と一緒に置きっぱなしにして、そのうち大工なんかやめちまって、肺を患って死んじまって、そのまま俺は誰からも忘れられちまった」

 喋りながら人形は踊るのをやめない。
「お前なんかにわかるものか。失くしたまま、失くしたことすら忘れてしまったものがある奴なんかに俺の気持ちが。だがそんなものはどうでもいい。どうでもいいのさ。俺はぶっ壊れてて誰からも忘れられた惨めな奴だけど、アリスの奴に拾ってもらって、こうして踊れるんだ。見ろよ、壊れた人形の精神をよ」

 私は踊った。人形の言葉に呼応するようにその踊りは激しさを増した。人形、ボノノは笑った。気がつくと周囲には無数の群衆がいて、円形状に私とボノノの周りを取り囲んでは歓声を上げたり、指笛を鳴らしたりした。私にはボノノがただの人形には見えなかった。崇高な精神性の中で踊り続ける、ひとりの表現者のように私には見えた。

 それに比べて私の踊りの、なんと見るに堪えない稚拙なものだろう。当たり前だ。踊りの経験なんかない。体育のダンスの授業の記憶なんてとっくにどこかに消した。運動神経だってこれっぽっちも良くないのだ。

 けれども人形やアリスさん──いや、この木の家全体を取り巻く空気にとって、踊りの稚拙さなどどうでも良かった。この場所の全てが私に語りかけるのだ。

 踊れ。体を動かせ。リズムに乗れ。決して足を止めるな。たとえ足がもげてしまおうと、お前の精神は決して踊りをやめてはならないのだ。人形劇は決して終わらないのだから………….。

「いいぞ、見せてくれよ、お前も『壊れた人形』なんだろ?」
 ボノノは笑った。









   *









 日がのぼり、窓から薄明かりが差しこんだ。静かな朝だった。

 あがる息に合わせて上下する胸を押さえながら、少女は椅子から立ち上がった。ところどころ傷のある机の上で、誰かの飲みかけのコーヒーが、マグカップの中で揺れていた。とうの昔に冷たくなったその液体を少女は喉に流し込んだ。なおもあがる息を吐きながら、見つめる視線の先ではいびつな形をした人形が二つ、寄り添うように眠っていた。少女はひとり、静かに笑うのだった。〈了〉



   *

2024/5/3 東京ビッグサイト東ホール
第二十一回博麗神社例大祭
て-43b『Tsukuba DTM Lab.』にて頒布される東方アレンジコンピ「oriental breeze 3」にTrack2「spirit of broken dolls」で参加しています。人形裁判のJukeアレンジとなっております。よければぜひ手に取ってみてください。

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