A応Pというグループが好きだった。


A応Pというグループが好きだった。

A応Pとは「アニメ勝手に応援プロジェクト」の略であり、プロジェクトのメンバーとしてかわいい女の子たちが活動していた。
彼女たちはあくまでアニメを勝手に応援するプロジェクトのメンバーであるのだが、その応援の仕方というのが主に「アニメ主題歌やアニメ好きの心情を表した歌を歌って踊る」というものだったので、いわゆる地下アイドルに混ざって合同ライブに出たり、アイドルがよくやるような仕方で楽曲の宣伝活動をしたりしていた。

だから、アイドルを応援するみたいに、彼女たちと握手をしたりチェキを撮ったりすることは多くのファンの楽しみだった。
私も例に漏れずその一人だったけれど、しかし自分にとって最も魅力的だったのは彼女たちの歌う楽曲だった。

A応Pの楽曲は、私にとって感動に震えるようなものでも胸に刺さるほど鮮烈なものでもなく、どこにでもありそうで、唐突にぽんと部屋に置かれてもあまり気にも留めずに暮らせるような、そういうものだった。

例えるなら、定食についてくるお漬物とかおそばに入れる薬味、あるいはパフェに乗っているミントの葉。オムライスに添えられたパセリ(私はパセリは食べる派です)。

あくまで彼女たちの歌はメインディッシュではなかった。あくまで「添え物」。私の人生に添えられるパセリだった。

パセリは残してOK派の人にとっては、パセリに例えられることはあまり名誉には思えないかもしれないけれど、でもこれを否定とは受け取らないでほしい。

A応Pの曲は私にとってかけがえのないものだったことは間違いない。そもそも私は楽曲派を気取っていながら普段は大して音楽を聞かず、全然知識もなければ、まして楽器は弾けないし、明らかな音痴。音楽を語る資格があるのかと問われれば基本的にはNOです。

でも、A応Pの曲は特別だった。
A応Pの歌は特段音楽の好きで無い私の日常にすっと馴染み、彩りを添えてくれる。どこにでもありそうな親しみを抱かせるけれど、実際探すと代わりになる曲は見つからない。リリースされた曲はどれも個性的でバリエーション豊かなのに同じように私を癒やしてくれる。
お漬物が美味しくてなんとなく通ってしまう定食屋さんってありますよね。そんな感じ。

そもそも、A応Pの目的はアニメを応援すること。しかも「勝手に」。
したがって彼女たちの音楽も、アニメを応援することに捧げられている。主役はあくまでアニメであり、彼女たちの歌はアニメの世界観を伝え、その魅力を増進させる「パセリ」として用意されたものなのではないかと思うのだ。

というのも、A応Pの詞を読むと、どれもあまりストーリー性が無い印象を受ける。詞のなかで、あまり時間経過を表現しようとしていない。
これも、アニメの「パセリ」に徹しようという思想があると想定すると腑に落ちる。ストーリー展開はアニメの中で行われるべきことだから。

その代わりに、彼女たちは「心意気」や「決意」を繰り返し歌う。 

A応Pの歌の中では何も起こらない。
「やるぞ!」と言うだけで、実際やるのはアニメ本編に任せきり。歌の中では決意表明に終始している。

それがA応Pメンバーの「応援」なのです。

通勤電車でイヤホンをつけ、A応Pの曲を流す時、彼女たちは私の代わりに明るく元気に「やるぞ!」「いくぞ!」と心意気を歌い上げてくれます。
そして私の日常が本編として始まる。

そんな彼女たちの「彩りを添える」姿勢は、「イントロデュースA応P」の歌詞にも表れている。
元気いっぱい溌剌ではちゃめちゃな自己紹介を締めるセリフは「どうか君の日常の隅っこに私たち いつも居ていい?」という、なんともいじらしい一言。

私はこの歌詞を聞くときだけは、そのいじらしさに胸が切なく、震える気持ちになった。
そして聞くたび、「いいよ!」と心の中で大きく返事をしていた。

しかし、私の脳内にこだました返事も虚しく、2021年3月末にA応Pは活動を終了し、もう彼女たちは居ない。

メンバーはそれぞれ元気に暮らしているし、芸能活動を続けることを選んだほうが多数派。だからSNSも以前と変わりなく更新されるし、私の大好きな楽曲はいつでもスマホで聴ける。まだMVも視聴できる。
居るといえば居るはず。
少なくとも、A応Pの曲は変わらず私の日常を彩り続けうるはずなのだ。

でも、私はその日以来、A応Pの曲を以前のようには楽しめなくなってしまった。a応pはもう「ストーリーから断絶された主題歌」ではなくなった。メンバーそれぞれが主人公として生きていく時間が流れ始めて、A応Pというグループはそれ自体が始まりと終わりのある一編のストーリーとなった。

今になって、私が「楽曲のよさ」だと感じていたのは、そうではなくて、彼女たちの存在そのものだったのだな、と思う。
彼女たちが明るく自分たちの大好きなアニメを応援しているという事実が、私の日常を彩り、励ましてくれていたのだ。

今までありがとう。私の日常の隅っこにいてくれたみんな。隅っこから元気に飛び出していってしまったみんな。
寂しいけれど。

また無心で彼女たちの応援歌に励まされる日が来るといいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?