記憶ならぬ着憶を辿る旅のような短編コント集でした。「やってみたいことがあるのだけれど」覚え書き

記憶=着憶を巡る旅のような短編コント集。 

異なる世界で繰り広げられる六つの物語。
つなぐのはふたりが纏う衣服と音楽、
「やってみたいことがあるのだけれど」という魔法のような言葉だけ。
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センターマイクの前で漫才が始まる。
パッチワークのような派手で目を惹くジャケット。漫才師の登場するコントかな?と考えたが、すぐさま「男性ブランコの浦井です」「平井です」と挨拶があり、平井さんぽさ全開の言葉遊び、超然と泳がせた後のツッコミ…いつもの男性ブランコの漫才の世界に誘われる。

「ちょっと、やってみたいことがあるのだけれど。」
そう、コント漫才はいつもこんな言葉で始まる。でも言い回しがいかにも台詞っぽい…一瞬で、コントの世界の扉を開ける魔法の言葉に変化した。

観光案内所 

不思議な青年が現れ物語は始まる。
26年後から父に会いに来た青年…もしかして正さんはこの世にいない?など悲しい予感もしたけれど、ただ父の培ってきた26年、諦めた物の大きさを観にやってきたのかなと思う。
最初に相応しい不思議だけれど爽やかな物語。
「苦行」という言葉のおもしろさ。

三叉路の悪魔

(タイトルは「悪魔」?でも悪魔と取引をするギタリストといえば思い起こされるのはクロスロードの悪魔なので、あえてこう覚えたい)
ファンタジーな世界にどんどん人間味が溢れ面白さが加速するポップさは、次々に現れる言葉の面白さもあり、賞レース対応のコントにも変化できそうではないかという勝手な期待も。
最後には悪魔の切なさが胸を衝く。

おっちゃん

大人と子供、この世に生きる者とこの世から離れようとしている者の世界の交差、奥行きのある構成。心を遺すせいちゃん、遺されたかっちゃん。
コンセプトワードのおばけが唯一姿を見せるが「怖くない、怖くないで。せいちゃんやもん」
劇中の衣装による転換の工夫の素晴らしさは、'着憶'という概念を後に知った時に改めて感じいる。
せいちゃんの愛すべき低いジャンプ(低ジャン©️溜口さん)も含め、忘れ難き物語(号泣でした)

研究者

子供のたわいもない(でも個性的な)遊びから始まる少し怖い一編。
「ちゅうしゅっちゃん」という可愛い呼び名も最後にはそれ故に怖く感じる。
マイムのみで表現されその形や色などは想像するしかない見えない'おばけ'のような怖い発明と、研究に取り憑かれた人間の怖さ。
二人の表現力の素晴らしさで、笑いがありつつもコントを超える一編になったのでは。

画家

一瞬にして禅さんという人物に心惹かれる。
濡れ衣をお洒落に着こなし、濡れ汚名を纏っても超然としている苦境に立たされている芸術家と、その彼のことが大好きなパトロンの息子くん。
(あの研究者AとBが注入したはずなのに)思いがけずとても素敵な二人。出逢えて嬉しかったな。

〜エンド
旅の終わりであり、旅の始まりに戻る時間。
男性ブランコの芸歴と同じ年数の記憶を無くした男がこれまでのコントの'着憶'を取り戻しつつ(観客へのサービスポイントでもあることが素晴らしい仕掛け!)導かれるようにあのパッチワークのジャケットを羽織り、男は浦井のりひろに戻る。
まだコントの世界の中にいる平井さんに着替えを促し、サンパチマイクを運び、相方の登場を待つ。ジャケット姿の男性ブランコふたり。
ほんのりと照らされた客席、突然夢から現実に戻されたような感覚。

観光案内所の正さんが翌日には不思議な体験の記憶を無くし何事もなく日々を過ごしているかのように唐突に現実の世界が現れるが、その余韻の無さはとても贅沢な時間でもある。
余韻はすべてが終わってからも続くのだから。
おばけが会場のあちらこちらに居たように、
夢のような感覚は残され、続いていく現実の日々を豊かにして幕を閉じる。
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KOCで涙をのんだ2022年、M1グランプリで4位に輝いたその漫才は「面白いがこれが漫才かと言うと…」との審査員評もありつつも多くの人の心をとらえた。2023単独公演は「男性ブランコとは楽しくて難しい演芸」と紹介されたように、コントも漫才もどちらも生業とするそんなふたりだからこそ生み出せたものだと感じた。
これからはどんな演芸を生み出すのだろう。
どんな夢と現実を見せてくれるのだろう。
「やってみたいことがあるのだけれど」
今後もたくさん口に出し、ひとつずつ実現してほしいと願うばかり。


どうしても書き留めておきたくて、初めてのnoteです。拙い文章ですが、もし読んでいただけた方がおられたら「ありがとうございます。」
男性ブランコの演芸が好きな方、末長く応援していきたいですね!


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