シャッチョの想い

■まえがき
いつもやったれ!キャッチャーをご愛顧頂き誠にありがとうございます。
シャッチョ(∵)です。
本日は、5周年という節目ですよーってこともあり一筆書かせて頂く事となった次第でございます。
久しぶりにしっかりとした文章を書くこともあって概要からプロット、各章の内容まで事前に作りこんでしまいました。
そこまでして読んでくれる人がいるのか?
いいえ、読んでくれる人がいるからこそ、これから読むであろう人達がいるからこそ、書くのです。
はてさて、まえがきの前置きはここまでとします。

沖縄でやったれ!キャッチャーがスタートして3年です。
ん? 5周年というお話で、は?、と疑問に思われる方の方が実際には多いかと思います。
はい、実はやったれ!キャッチャー、生まれは愛知県の名古屋市です。
それが5年前。

5周年というのは、最初に生まれた名古屋時代も含めての5周年なんですね。
一部では恐らく名古屋時代も入れるのってどうなん?、というお声も聞こえてきそうです。
ならば何故、名古屋時代も含めるのか?
それは、根本理念は名古屋時代から変わっていないからです。
主軸である私が立ち上げた、始めた事業で、見る方から見たらあの時代は良かった……と言われるかもしれません。
事実として変わった部分は沢山あります。
しかし、変わっていない部分もしっかりとあります。
騙すようなやり方はしない、少なくともその意図の上で行動しないということ。
正々堂々と、オンラインで画面越しで見える部分がユーザさんの全てあることを理解すべし、だからこそ見えない部分で変なことはしないと。
ツイキャスなどでも3,000回は言っていますが、現地は外からガラス張りで丸見えの状態です。
且つ突発での見学もいつでもウェルカム。
疑問に思われた時や闇を暴いてやる!といったお気持ちがあれば是非お越し下さいませ。
私達はいつでも自信を持って本気で運営しています。

今でこそ名古屋時代と比較すると大変多くのユーザさんにご登録頂いており遊んで頂いていて嬉しい次第です。
正直、殆ど苦労しかなかったこれまでですし、これからも沢山の苦労をするでしょう。
これまで行ってきたことに対して後悔は一切ありません。
しかし、悔いが残ることは沢山あります。
あの時、気持ちを掬えなかったユーザさん、拾いきれなかった言葉、生かしきれなかった、気づけなかったこと。
人生は苦楽の交互、上がるか下がるか、停滞はありません。
停滞とは即ち後退である。
何故ならば、自分は立ち止まっていても周りの時間は流れており、自分と先行者の幅は離れるばかりである。
故に、停滞は後退であると認識し、精進していく、努力をし続けていくのが私共の責務であると考えています。

何よりも、どんなことよりも最重要であるのは、実際に遊ぶユーザさん達が「トータルで納得して楽しんでもらえるか」

■第一章「こうして私は失敗した」
やったれ!キャッチャーは、2017年7月19日に産声を上げました。
それはもう難産でした。
最初のスタート時点で事業着手から3年、法人立ち上げから1年後。
何故そこまでかかったのか?
新しく立ち上げる法人でお金を用立てる手段が無かったんですね。
結局はすぐ近くにあったのですが、それはまた別のお話。
兎にも角にも、お金を用立ててスタートするまでに3年かかった次第です。
つまり、プロジェクトスタートしてから8年な訳ですね。
おーやったれの8、縁起が良い!

シャッチョの前職は?
実はというか、小売業で働いていたんですね。
普通に小売り業で働きつつ法人を立ち上げ、こんな感じ?といった所で手探りでやっていました。
今思えば、そらあかんとツッコミたくなるレベル。
いくら小売り業界で廃棄コントロールや在庫管理の経験があっても、接客に自信があっても、事業規模と商圏の広さは完全なド素人。
小売りの発注は直近で仕入れるものがメイン、つまり小回りの利いた検討が出来る。
片やオンクレは3か月前に発注、しかも何十、何百万。
小売り経験があるとはいえ、全くの畑違い、あくまでも一般人の想像での発注です。
どんなものをメインで仕入れていたか?
ぬいぐるみ屋かよここ!!!!
と、ツッコミます今なら。

実はワタクシ、やったれを始めるまで橋渡しという獲り方や、設定自体知りませんでした(∵)
クレーンゲームは好きでしたが頻繁に行くわけでもなく、友人とゲーセンに行ったらやることもあるかもしれないというレベル。
ただ、オンクレという存在は知っていてユーザとして遊んでいました。
当時はニコニコ動画が全盛期で、ニコニコの実況者に遊んでもらってという形でのプロモーションが流行っていました。
私はガッチマンさんの実況が当時大好きで、落ち着いた声のトーンでサイレントヒル2の実況解説動画などを見ていました。
そこで出会ってしまうんですね。
……そう、ネッチさんです!
当時ユーザとして遊んでいたネッチさん、楽しかったですね~
私はたこ焼きが大好きでそれしかやっていなかったのですが、まぁ普通に2,3手だったり5,000円かかったりやっぱりするわけですよ。
ただ、それでも不思議とぼったくられた!といった意識はなかったのを覚えています。
うおー負けたーという程度で。
なぜそう感じたのか、恐らく小売業で経営していたからなんですね。
だからPLも毎月見るから維持費や人件費などのウェイトが辛いという事を知っている、100円売上を増やす為にどれだけの努力が必要なのかを知っている。
故に、怒りは一切なかったんですね。
たまに買った方が安い、数千円かける可能性があるぐらいなら物販を買えといった言葉を見たりするんですが、正直私からしたらナンセンスとしか言いようがないというのは私の考え。
だって、「クレーンゲームで何かが獲りたい」というのが前提であるにも関わらず、景品が主体になってしまっては目的と手段が入れ替わってしまってなんてこったです。
 ※ただ、景品も前提と言えるレベルに重要であることは事実として理解しています。
 ※更に、投資金額(回収金額)にも限度はあると思っています。
実際にユーザとして遊んでいた時はたこ焼き設定の中で何かいいものないかな?といった流れでスタートでした。

そんな私が始めたオンクレ、やったれ!キャッチャーの名古屋時代はどうだったのか?
最初は私、他2名でスタートでした。
1名はゲーセン務め十年以上の超ベテラン。
正直、この方無くしてやったれはスタート出来なかったといっても良いでしょう。
もう1名は私の古くからの友人、遠方住みな所、名古屋まで引っ越してもらって合流しました。
皆まで言えないながらも、PCスキルスペシャル。
そして私を含めた3名でのスタート、やるか皆の者、やる気の貯蔵は充分か!
遂に待ちに待ったオープン日!!

ノーゲスト😭
 ※友人らの課金は除外として

それはそうである。
検索エンジンに引っ掛かるようにしただけでWEB広告皆無だったのだ。
その後、実際に友人周り以外のユーザさんが降臨なさったのは、オープンから実に2週間後。
難産の上に初動ズッコケです。

とはいえ、少しずつ1名、また1名と口コミでユーザさんが増えてきた。
その時です、手が出てしまった──いや、手を出してしまった。
やったれ!キャッチャーシャッチョ、アシストの味をしめる。
聞こえてくる賞賛の声、プレイ回数の増加、完全にアシストの虜です。
シャッチョの中で、手段と目的が入れ替わった瞬間です。
アシストをしなければ売上なしといった錯覚。
放出とちゃんと回収させて頂く、そのバランスの取り方をどのようにすればいいのかが分からなかった。
これまでしてきたことを辞めてしまったら、全て無くしてしまうのではないだろうか……。
そう考えると、変えることによる前進よりも維持することによる後退を選んでしまったのが過去の私。

結果として、オープンから半年後、ユーザさん達には告知しませんでしたが一旦サービス終了判断をしています。
この決定をした時点で社員2名は出社停止。
給料はとうに払える状態ではありませんでした。
それでも一旦止まってしまう給与を稼がねばならない。
実際にどうやって畳むのか検討しなければならない。
それからは、ワンオペで運営しつつ、何とかオペレーション負荷を減らして運営出来ないかと考えたのが、天井ブース。
〇〇回遊んだらやったれ!タイム99回発動します、実質獲得確定です的な。
当時はあまりそんな出し方なかったからか、それなりに需要があったのを覚えています。

新景品入荷の検品、稼働、運営、梱包、発送、全て一人。
どうしようもない感、どうかしたいけど、どうすればいいのか分からない日々。
ユーザさんのアシストサポートと見守りしながら床に座り込んで地団駄を踏んだこともありました。
それほどまでにサービス終了の決断からのワンオペは精神的に追い込まれた期間でした。
途中から家族が応援で梱包など手伝ってくれるようになり、毎日家族会議。
これからどうするのか、本当に辞めるのか、いやもうひと踏ん張りをするのか。
といったことを話している最中、祖母が亡くなりました。
家族全員出払う為、当然やったれは休業告知です。
身内の不幸の為とあえて言う必要がないのに下手に隠すことが嫌だった為、告知。

身内が亡くなった程度で休業とかありえない!
そう、言われもしました。
今でもあの言葉には心から恨んでいます。
余程でなければ警察に届け出を出したい所ですが、実際それが出来る状況だったとして、していたかは分かりません。
それ以前に気力なんてありませんでした。
通夜の中、家族揃って話し合った日を今でも覚えています。
祖母が頑張れと言ってくれている気がする、だからもう一度頑張ろう。
やったれ!キャッチャーサイレント再始動の決定です。

再開することは決めた、しかし今の人員では無理だ。
1名戻ってきてもらおう。
ゲーセン経験がある社員には声をかけて戻ってきてもらいました。
もう1名、遠方から私が声をかけて引っ越してまで合流してくれた彼には戻ってもらう選択肢を取りませんでした。
いえ、取りようがありませんでした。
感情論と物事の正当性は別問題という言葉が私の座右の銘なのですが、私情で言えば古くからの友人を選択したいという想いは正直ありました。
しかし、継続には経験が必要だと判断し、この判断は今でも間違っていなかったと思っていますし自信を持っています。
ただ、切られた側の方の気持ちも考えるからこそ、それを自分がされたと考えたらこそ、痛いのです。
自分の手で誰かが傷つくというのは本当に痛いものです。
私が声掛けをしてしまったが為に、彼の貴重な時間を奪ってしまった。
でも、だからもう失敗することはできない。
だからこそ貫こう、大切なことを、自分の立脚点を。
ちなみに、彼とは今でも仲良しですし休みの日は一緒にゲームで遊んでいます。
それから約半月ほど経った際、戻るという事で前日は我が家に泊まってもらい、映画鑑賞をしつつ就寝。
あの日見た映画はよく覚えている、SING/シングであった。
彼は先に寝てしまったのですが、私は非常に眠いけれども寝ることができず最後まで鑑賞。

明けの翌日、最寄の駅まで送迎。
握手をして90度腰を曲げ、頭を下げて言う。
「申し訳ない」、と。
その程度で許される訳ではない、許してほしいわけでもない。
親しき仲であるからこそ、綺麗な飾り言葉など出てこない。
その日からもう4年経過している。

それから必死に走り続けて1年後、遂に首が回らなくなりサービス終了告知を実施。
銀行から借りた、政策公庫から借りた。
それらはそもそも追加融資が困難であった。
1年間は自分の名前でお金を借りて運営費に充てていた為、もう何もない状態。
やりたくても、出来ない状態。
自分の名前は使い果たした、家族の名前も最大限使った。
それでも貫き通した想いの結果がこれ。
告知後は、そんなことをやっているから駄目なんだと、助けたい気持ちはあるが、ちゃんと改善する内容を提示しなければ助けないといった声も多数。
正論、実に正論。
正論であるが故に、やるせない気持ちにしかならない。
正しくあれと、間違ったことはしてはならないと、ユーザの声第一主義たれと、それらを貫いた結果がこれ。
勿論、仰っていた方々が間違っているとは一切思いません。
ただ、当時の私の後押しにはなり切らなかった、というだけです。
私も人ですし、受け入れなければならない、事実としてそれは正論であっても納得でき得ないこともあります。
逆に、具体的に行動を起こして助けて下さった方も大勢いらっしゃいました。
どれだけ救われたか、今でも夢に見ます。
今はまだ私の財政では厳しいですが、いつか必ず、恩返しをさせて頂きたいという気持ちを忘れずに日々当たっています。
さて、最初の再起動決断からの1年間で、どうしてそこまで悪化したのか?
いえ、分かりつつなぜ改善出来なかったのか。

生きることを諦めたレベルの放出──
仕入れ880円の景品を1,400YPとかで放出していたわけです。
※現在は各メーカー送料が必ず発生するようになっている為、原単価はもっと高くなっています。
1,400YPであれば決済代行手数料を引くと現金で1,260円也。
送料が大体300円はかかるとして、梱包資材費を入れたら気持ちよく粗利0円。
やっていけるわけがありません。
しかし、もうそうすることでしかやってもらえない状態になっていた、否、そう思い込んでいた。
それを加速させたのが2,000YP/単価以上の平均で稼ごうものならやったれ変わったな、あー結局こうなっちゃうのかーという魔法の呪文。
最早呪いでした。

駆け抜けた1年半で多くのモノを失いました。
しかし、得るものもあったのも事実。
ここまで来て折れなかったのは、上で申したように、こんな状態になってしまったやったれに対して具体的に行動してくれるほど熱量を持った方達が支えてくれている。
それなのに自分たちは、自分は停滞していいのか、後退していいのか?
それこそが、貫くと誓った、自分の立脚点。
「人へ想いを伝えていく、そして想いを伝えてもらう。

【第二章予告】
痛みを知ったからこそ、その上でもついてきてくれる人がいるから踏ん張った、再起への道。
見えてくる人の業、足元を見られるということ、各種方面から責められるということ、まだまだ続く自分の手によって傷つく人達。
その先に垂らされた一本の糸。
そこには、未来があった。

to be continued...

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