2023年の振り返り

お疲れ様です。内海です。

12/31 大晦日ですが、こんなに予定の詰まった年末は久々な感じで、去年や一昨年の大晦日の記憶がほとんどないのはたぶん何もしていなかったからなんだろうなと感じている。

2023年、いろいろあったことをまるっと日記のようにまとめて、
あとは関係者各位への感謝を述べて今年を終わらせたいと思います。

1~3月 ドラ息子、遊んでいるだけ

このころ、theQuartzとしてのライブ活動を始めたくて模索しつつ、ライブオファーがないのでどうしよう(売り込みをかけるべきだけど)、とか思いながらうじうじしていた。
そのうえでchatoeではhmcスタジオさんでの本格的なレコーディングの話もあり、必死こいてギターを弾いていたような時期。

2023年は同期が新卒社会人になる年で、かなり多くの友達が大学を卒業して立派に社会に出ていったが、自分は休学状態。
1~3月はみんなの卒業前遊んだるぞ!の雰囲気に流されて、どうしようもない無職引きこもりのくせに大学のサークルなどに通い、ちょこちょこバイトとバンドをするという最悪の状態だった。

バイトを増やそうと思っていい感じのものに応募するも、ちょうど精神的な不調になってしまって、そのバイトに3回くらいしか行かずばっくれたり、すべての予定をキャンセルして引きこもったりしてしまい、そのうえバンド活動でも、このライブ出るの意味あるかなぁとか考えながらやってしまったり、本当良くなかったなと思う。
そのバイトの関係者さん、紹介してくれた友人、本当にごめんなさい。

3/11、chatoeの「おとぎ/FLY」のRECがあり、ここでやっと2023年の成果というか、なにかしらやり遂げたことができたような、そんな感じだった。
今になって思うと、この二曲は本当にいい音源になったし、いい意味で音源を作るということへの考えが変わる体験だった。長く聞かれるといいな。

これ、そうは聞こえないと思いますが、オケは二曲とも一発撮りをベーシックにしています。
クリックすらなし、四人でせーので二回くらい合わせたものに、歌とギターを何本か重ねたものです。
chatoeはこういうことがやれるバンドです。我ながらかっこいい。ギターソロも一発ですから!

4~6月 復学~終わりの始まり

同期がみんな社会人になり、焦ってしまった自分は復学を決意。
先生とも何度も相談して、休学していた大学にまた通うことにした。
4月の1か月間、本当にまじめに大学に通った。
授業は全部出席したし課題も完璧に出したし、なんなら大きな発表のある授業なんかもあり、周りがみんな二学年下で、大学では誰一人とも会話しなかったが、たまに後輩に会ったり院進した友達に会ったりして、
「俺、頑張ったら大学出られるぞ!」とか思い始めていた。

この「復学」が理由で、chatoeはライブのお休み期間を貰って、theQuartzのライブ活動も動かずにいることにした。
別にバンドなんかやらなくても生きていけると思ったし、普通に生きていく、自立して生活するならバンドなんかやってる余裕は一切ない。
普通の人より弱くて不器用なので、普通に生きようとするだけで限界を超えないといけないだろう。と思っていて、
春は本当にバンドはやめてしまうかもなと思っていた。

chatoeもこのまま自分が抜けることになってもしょうがないとも思ったし、夢は諦める時期かなと本気で思った。

五月の終わりくらいからまた大学に行けなくなってしまった。
とにかく体が動かなくて、全く家から出られず、いくつかの授業だけ行ったり行かなかったりで、もう本当に最悪だった。
大学には精神科のカウンセリングルーム的なものがあり、そこに行ってみたり、地元の病院の精神科に行ったりもしたけれど、特になんの解決にもならず。

大学辞めよう、と思ったのは、大学に付属している衛生管理機構?の精神科の医者に「君は鬱かもしれないけれど、たぶんやる気がないだけだと思うし、もう大学辞めれば?やる気ないなら、無理だからやめてもいいと思うよ。」という旨のことを言われたのがきっかけだった。

「周りが卒業して就職して、焦って自分もって思ったかもしれないけど、無理なんじゃない?本当は卒業したいと思ってないでしょ?」みたいなことを言われた気がする。
記憶を自分で捻じ曲げているのかもしれないけれど、このころの精神状態は人からの言葉を正しく受け取れるような状態ではなく。

6月、ついに全く大学には行かなくなり、もうやめよう。と思いながら、chatoeのスタジオやthe Quartzのライブ活動を再開。ちょうどAntiageが企画をやっていて、そこに誘ってもらったのもあった。
自分はバンドがやりたいんだよな。とおもいつつ、精神的には追い詰められてきてしまった。

上半期、終了。

7~8月 命の危機、そして復活

6月末、新体制のthe Quartzで下北沢BREATHに出演。とてもいいイベントで楽しくできた。
この日、腹痛に襲われ真っ赤な血便が出る。
そしてここから体調を崩し、八月の頭までの一か月間、「潰瘍性大腸炎」という病気と闘った。くわしくは↓

潰瘍性大腸炎は原因が解明されていない病気で、完治ということは、今のところないと言われている。つまりこれからは一生病人ということだ。
これはそこまで深刻に捉えなければいけない話ではなく、寛解している状態では普通の人と同じように活動できる。
退院した後も、薬が合わなかったりしてすごい吐き気に襲われてしまったり、体調は本当に少しずつ回復していった感じだった。

入院生活では、「生きていること、健康でいること」がどれだけ貴重か思い知らされ、ステロイドの効果で頭がさえわたって体力がみなぎっていた俺は、退院後怒涛の勢いで音源制作をすることに。

ステロイドを徐々に減らしていく一か月間、8月いっぱいを使って、
the QuartzのEPである「EPT」を完成させた。もともとあった曲たちを今の技術で録音、ミックスしただけ、ではあったが、かなり凝った作りになったとおもう。

同時に大学を退学することも決めた。
前向きに、別の生き方をしようと考えての決断になった。

9~10月 離脱症状は怖い

九月に入ると、ステロイドの減量が終わり、完全に断薬することになった。
もともと潰瘍性大腸炎の基本的な薬が体に合わず、かえって悪化してしまったことで入院にまでなってしまったのだけれど、
他の薬を試しても、それもダメで何も食べられなくなってしまったり、ステロイドが切れてからは、だいぶ元気もなくなってしまった。

いろいろないきさつで、地元の塾バイトのシフトがほぼ入らなくなって、縁があって受けていた大手カラオケの打ち込みをするバイトも実質クビ(?)になってしまったので、このあたりで収入が完全にゼロになってしまった。

そのためお金を使うことができず、なけなしのお金で定期的にスタジオに入りつつ、本当に何もしない日々が続いた。

ほとんどこの時期の記憶がない。
唯一覚えているのは、10月末あたりにchatoeのK-west アコースティックライブがあり、2022年の10月にやったときから一年が経っていることにビビりまくりだった(だってなんにも成長していないので)。
体調もすぐれずchatoeとthe Quartzのライブ、スタジオに向けての練習以外は泥のように寝ているだけで、なにもできない自分に悔しさを感じつつ、制作はぼちぼち続けていた。

高校生のころ作った2曲。これを今の解釈でリメイクして音源にした。
リリースを定期的にしたいという思いで間に合わせることができた。
ライブでもそろそろ披露出来たらいいな。

11~12月 いざ、再生!

10月があまりに怠惰にすぎてしまって、バイトにいくつか落ちたり、悲しい気分はどうにも収まらなかったが、11月頭から、近所のスーパーでのバイトに受かり、やっと社会復帰することができた。

とはいっても、スーパーのシフトは4時間。それで週4日。フルタイムで働いている人の半分以下の時間しか働かない上に、ほぼ最低賃金でやっているので収入は学生のバイト程度。
大学を中退しフリーターの自分が、こんなしょうもないバイトくらいで社会復帰とか言っていいのか…とも思うが、自分の体調は明らかに正常ではないので、このくらいから始められたらな、とおもいつつ11月いっぱい必死こいてバイトを頑張った。

chatoeのライブ活動も本格的に再開し、11/24には自主企画も。制作の話もまた進んでいて、新曲のアレンジもだんだんできてきた。
chatoeのスタジオが再開してから、とにかくたくさんの曲のギターを考える必要があって、もはや辛いレベルだった。
だけど俺はその役割で生きていて、chatoeのギターを弾く人として、theQuartzの曲を作る人としてしか生きられないので、辛いとかなんとか言ってないでやるしかない。

結果的にかなりたくさんの曲を、9~11月あたりに制作することになった。
chatoeではライブ活動再開から披露している「リトルダイナソー」、「I was born」のほかにアコースティックセットでやった「ゆらゆら(仮)」、「ラッキーアイスクリーム」、「心身(仮)」、最近できた「馬(仮)」など、怒涛の勢いで出来ているし、アコースティックライブのために「かくしごと」やアイシャさんの弾き語り曲につけるギターアレンジもしっかり考え直す必要があった。

今思うと、よくやったな自分。と思うし、慣れてきて、できるようになってきたな、というのもある。
たぶんthQuartzの制作だけしていたら、ギターの成長は止まっていただろうなと思うんだけれど、chatoeの活動のおかげで自分がどんどんギター弾きになってきたなと思う。

11/24の企画では、出演してくださった「ヘクト―よるをまもる」のみなさん及びサポートギタリストのジンくん(プールと銃口、SLOWBOATなど)とも打ち上げで話させていただいて、自分のギターをすごく褒めてもらえたのがすごくうれしかった。

theQuartzではライブでも披露している「Look up,Susie!」や、ほかにまた新しい曲もできた。順調順調、です。次のリリースもそう遠くない!

そして年末、theQuartzでは初の45分尺でのライブがあり、
chatoeはお世話になった愛すべき西永福JAMの年末イベントに二本も出演!

三本とも本当に楽しいライブだった。

いい年末を過ごさせていただきました。感謝!!

慣れ親しんだJAMのライブでは、自分ひとりについていうと、100点の演奏ができたとは思わないけれど、バンドとして、いい演奏だったなと思える瞬間が沢山あった。

もちろんthe Quartzのライブでも、5人体制でしっかりライブが様になってきたと感じている。

12月上旬には断薬のせいでまた潰瘍性大腸炎が悪化してしまったが、ステロイドを再開して元気に戻り、年末はなにかと精力的に活動できた。
ここからは体調が安定するといいなとおもいつつ、また離脱症状出るのかなぁと少しの不安もありながら、そろそろ今年が終わろうとしています。

まとめ 皆さんに感謝

今年関わってくれた沢山の方々、
特にthe Quartzのライブ、アートワークをサポートしてくれたメンバーのみんな。
chatoeやthe Quartzのライブに足を運んでくださった方々、友人や後輩たち。
一年のほとんど無職状態だったダメ人間の自分を許して支えてくれている家族。

千葉に行けば会ってくれた後輩、同期などまだ大学にいるみなさん、そして先生方。
いろんな相談や雑談に乗っかってくれた旧友たち。

こんな頼りない自分と一蓮托生でバンドを続けてくれているchatoeのアイシャさん、農協さん、大森さん。
バンド仲間として受け入れてくれたAntiageをはじめ、ほか対バンした沢山のバンドマンのみなさん、ライブハウスのみなさん。
そして特に何度も何度もお世話になっている西永福JAMスタッフの皆さん、ブッキング&ギタリスト、バンドマンとしての先輩であるリクくん、関係性はよくわからんけど仲良くしてくれている鴨下、などなど

あまり人と関わるのが上手ではない俺ですが、ゆっくり、ではあったけれど今年は皆さんと仲間になれたような気がしていて、そのことが本当にうれしいです。

これからはもっと積極的に、というか人間として、たくさんの人と関われたらいいなと思っています。
今年は本当にありがとうございました!

来年もよろしく!

以上。


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