負けて泣くより、勝って泣こう。

負けて泣くより、勝って泣こう。
そんな想いはたった90分で虚しいだけのものになってしまった。
開幕戦の勝利から一転、8戦勝ち無しで21位に転落したチームは、複数の転換点を超え、7連勝を成し遂げるなど、大きく成長し、そして6位でシーズンを終えた。
6年ぶりのJ1昇格PO。あと2つ勝てば、悲願のJ1昇格。苦しかった1年間は、目の前の90分間と、その次の90分を乗り越えれば報われるはずだった。
これは、そんな無情な90分を終え、気が付けば久しぶりにジェフの試合で泣いていたある男のお話。

この記事はジェフ千葉アドベントカレンダー2023(https://adventar.org/calendars/9508 )の記事です。

サポーターなんて生き物は


うちの犬は今年も可愛かった。


そもそも、サポータなんて生き物は、なかなかに頭のねじが外れている。
毎年毎年、「昇格」を謳っておきながら肝心な試合全てを落とし、低迷し、ようやくチームが仕上がってきたときにはもう後の祭りで、結局なんとも言えない順位でシーズンを終えるクラブにたいして、
毎年シーズンが終わるたびに記憶をリセットするがの如く、「来年こそは」と口にしながら安くない金をつぎ込み、またチームが低迷する様を見て、嘆き、悲しみ、時には怒りながらまた微妙な順位でシーズンを終える。
シーズン中、11戦連続無勝利でも残留できるのが一部なら、シーズン中7連勝を達成しても昇格できないのが二部だ。
その厳しさを誰よりも強く理解しているのは、他ならぬサポーター自身の話だ。
積み上げなんてない。一部は兎も角、二部において続投した監督が結果を出した例「ほぼ」ない。
負けたら選手は引っこ抜かれる。
残った選手も、いつの間にか歳を重ねて引退する。
ピッチ上で結果に影響を与えられるのは、せいぜいピッチ上で走り回る22人と、その真ん中を縦横無尽に駆け回る主審ぐらいだ。
ピッチサイドで四審に抑えられながらも声を張り、選手たちに指示を飛ばす指揮官や、ベンチのコーチングスタッフの声ですら、一度プレーが始まってしまうとほとんど中に影響を及ぼせない。
サポーターは「声で後押しを」だとか、「声援が力になる」なんていうし、選手や監督もそう言うが、あんなもんは嘘だ。
本当にサポーターの声で勝てるなら、これだけ長い間、声を張り上げてきた我々は、もっといい結果を出しているはずだ。
同じところで、わずか数センチの足先から、あるいはほんの数メートルのオフサイドラインから夢を逃すわけがない。
サポーターは、「移籍できない」。
正直、それも嘘だと思う。世界中探せば、同じとは言わずとも、同じような魅力を持ったクラブはいっぱいある。
しかし、サポーターはそのクラブに魅入られてスタジアムに通い、声を張り上げる。
苦しいことは忘れ、クラブのために、チームの勝利のために身を削り、何かを犠牲にしながら、「選手とともに」シーズンを戦う。
ところが、シーズンを終え、結果が出ると、その結果に応じて選手たちは当たらな舞台へと移っていく。
どれだけ来季に期待が持てるシーズンの終え方をしても、決して同じチームを翌年に見ることはできず、サポーターだけが、その記憶を完全にとどめたまま翌シーズンを迎える。
それをわかっていながら、同じか、それ以上の苦しみと、ほんの少しの夢を見るためにまた次の年に向けて家内もしない夢を唱えるサポーター。
まったく、頭がおかしい。

悔しくなんてないさ


同じクラブを長く応援していれば偉いなんて思わない。
応援年数が短くても、圧倒的な熱量でスタジアムに来る人もいるし、逆も然りだ。
少なくとも私は、23年の人生のうち、20年近くをこのクラブとともに過ごし、育ってきた。
多くのジェフサポーターもそうだと思うが、私も例に漏れず、このクラブを応援していて嬉しかったことより、悔しかったことのほうが多い。
先制点を決めて喜んでいたら、そのあと大量失点するならまだいい。よくはないが。
試合開始3分でキャプテンが肉離れを起こして交代するのもまあいい。全く良くないが。
どんなにいい試合をしていても、点が入らずにむしろワンチャンスで負ける事なんて何度あったことか。
ずっとこんなことを繰り返していくと、だんだん感覚がマヒしてくる。
一点決めたところで、何も起きない。
一試合勝ったところで、なにも喜べない。
プレーオフ圏内を確保したところで、どうせ勝てない。
喜ぶのは、シーズンが終わり、「結果」が出たその瞬間だけだ。
だから、喜びも、悲しみも、悔しさもすべて我慢する。
我慢する、というか、何も感じない、と言ったほうが正しいかもしれない。
一点決めても失点するのは伝統芸だから、ちょっとのリードじゃ喜べない。
相手チームに退場者が出ると途端に試合が難しくなるから、なにも嬉しくない。
そもそも試合に負けるのなんて、別に珍しい話じゃないから、なにも悔しくない。
プレーオフだってそうだ。どうせ勝てない。勝ち上がれるはずがない。だから、あくまでもボーナスステージ。
オフサイドを見逃されても、理不尽な判定があっても、リーグ戦で完勝した相手に惨敗しても、2連戦で両方とも敗戦しても、何も悔しくない。
そうだ。悔しくなんてない。
これが私の愛するクラブの、いつもの姿なのだから。
そう、自分に言い聞かせて何年たっただろう。
今シーズンだって、思いっきり喜べたのは、ホームの甲府戦で新明がゴールを決めた瞬間と、アウェイ栃木戦の劇的ゴールの瞬間だけだ。
甲府戦も試合終了の笛が鳴ったらすぐ次戦のことを考えて正気に戻ったし、栃木戦の試合後は喜びより、疲労が勝った。
そんな私だから、プレーオフで負ける事なんて予想通りだったし、悔しくなんてなかった。少なくとも、試合終了の瞬間はそうだった。
試合内容を見れば当然だ。この内容で勝てるわけがない。
胸の中にあったのは諦めと、やっぱりこうなったという納得感と安心感。
リーグ戦のアウェイの時よりましなプレーだったぞ、なんて笑えて来たぐらいだった。
全く、薄情者だ。
きっと、私はジェフのことなんてあんまり好きじゃないんだろう。
声は出すし、ゴル裏で飛び跳ねてる。ただ、きっとそれは小さいころから身についてた「習慣」みたいなもので、そこに愛なんてない。
ジェフサポによるクラブの自虐ネタだって何とも思わない。
むしろこのクラブはネタクラブだから、そうやってネタにされてこそ価値がある。
周りのサポーターが試合の結果に一喜一憂し、クラブの力になるために、何ができるかを本気で考えている中で、そんなことすら考えている私は、もしかしたらサポーターですらないのかもしれない。
だから、プレーオフで負けても悔しくないんだろう。
選手たちが悔しがっている様をどこか冷めた目で見つめ、試合内容に様々な感情をぶつけている周りのサポータを見ながらそんなことを思った。
ただ、選手たちがゴール裏に回ってきたとき、自分の中で何かが切れた。
あの時位の自分が何を感じたのか、今でもよくわからない。
悔しくなんてないはずだった。
選手たちのプレーに怒ることもなかった。
なのになぜ、自分は泣いているのだろうか。このクラブに、そんな感情をぶつけられるほど、自分はこのクラブに大きな熱を入れていないはずなのに。
悔しくなんてない。怒ってもいない。試合前に自分が思っていた通りの結果なのに、なぜ自分は泣いているんだろう。
正体のわからない感情の正体を探している時、ふと、自分が最近傾倒しているゲームのシナリオライターが書いた言葉が頭の上に浮かんで来た。
なによりも彼の書く作品は素晴らしい。
「ここには、ノアなんかいないですよ。神も仏もいないですよ。あるのは現実だけです。」
というセリフに代表されるように、基本的に「奇跡」を否定する。あくまでも「人間」を描くのが彼の作品だ。
暗い話の中、奇跡は起きない。ヒーローなんていない。目の前にあるのは、生身の人間と、その人間が生きる現実だけ。
その中で、微かな希望を描く。希望に向かって進み続ける人間を描く。
暗闇の中に一つ浮かぶ小さな灯りが太陽より眩しく見えるように、影の中で光を描く彼の作品は、どうしようもない現実の中の明るい希望を描く。
そして、その希望に向かって歩み続けるキャラたちの生き様を描くその作品群は、まさに「人間賛歌」と呼ぶにふさわしい。
そんな彼の作品群の中でも、ひときわ明るく輝くセリフが一つ。
「いまこれから迎える瞬間を思うと、胸が躍った。きっとこの至福の刹那に全てを捧げるためだけに、おれはこの苦しい地獄のような世界を生き抜いて来たんだ。そう考えれば、何もかも肯定できそうな気がするんだ。」
これこそが彼の作品と、そこに出てくる人間たちを表す最もふさわしいセリフの一つだろう。
このセリフを思い出した瞬間、ついに今この味の素スタジアムで自分が涙を流している理由が分かった。
この1年間、ジェフのために我慢した、あるいは捧げてきたすべては、ジェフの勝利のためで、ジェフの昇格のためだった。
もしも捧げたものの大きさでこの試合の結果が決まったのだとしたら、いったい何が足りなかったのだろう。
この14年間の苦しみは、J1昇格にはまだ足りないというのだろうか。
ピッチを挟んで反対側で叫んでいる人たちと、苦しみは1年しか変わらないはずだ。
その、たった1年の苦しみの差で、こんな結果になっているというのか。
あと1年うちのほうが長く沈んでいたら、苦しみが報われたのだろうか。
そんなことを思いながら気づいたこの涙の正体は、間違いなく「悔しさ」だった。

至福の刹那のために


今年、大学を卒業し、社会人となった私は、良くも悪くもそれまでとは違うサポーター生活になった。
J2に堕ちてから最も大変だった一年だったといっても過言ではなかったように感じる。
思えば入社式前日。ノリと勢いでアウェイの金沢に日帰り遠征した。

兼六園の桜吹雪が綺麗だった。ジェフは金沢で桜のごとく散った。


兼六園に咲く桜が美しかったことは覚えているが、なぜか試合内容は覚えていない。きっとジェフが勝ったのだろう。
あまりにも試合に勝てなかった時期、フクアリに日赤が来て献血をやっていた。
それまで献血なんてしたことなかったが、自分の血と引き換えに勝ち点が奪えるとしたら安いものだと思った。
私は生まれてからこの方20年以上、人生の9割がたをジェフに捧げた人間だ。きっと血液まで黄色く染まっているに決まっている。
血を取ってみあたら真っ赤だった。まだジェフサポとして修行が足りないようだった。
でも試合は1-0で勝った。どう考えても400ml全血献血の割に合わなかった。
献血終わって30分後にはゴル裏で飛び跳ねていたというのに。(よい子の皆さんは絶対にまねしないでください)
半年以上咳が止まらなくて声すら出せない時期もあったが、それでも自分にできる範囲で応援を続けた。
ここで不幸を消化することで、きっと素敵な未来が来ると信じて。
Twitterにめったなことを書くとフラグになるから、逆張りをしてみた。全く意味がなかった。
そんなこと以外にも、ジェフが勝つために試合前に決まった曲を聴いたり、逆にシーズン中に絶対に聴かない曲があったり。
他のサポーターもそうだと思うが、大なり小なりのゲン担ぎをしつつ、シーズンを過ごしてきた。
誰に頼まれたわけでもない。自分が勝手にやっていることだと言われたらそれまでだ。
だが、少なくとも自分がジェフのために一生懸命何かを犠牲にした一年だった。
確かに、私はジェフの昇格という至福の刹那のために、この苦しい地獄のような生活を続けてきたんだろう。
しかし、これだけ苦しんでも結局、至福の刹那は訪れなかった。
12/2に試合があると信じて、会社の忘年会すら辞退したのにもかかわらず、だ。
今年、とある山雅サポさんのnoteをみた。良い記事だった。共感できる点も多かった。
だが、私はその人のようにはなれない。
サポーターなんて簡単にやめられると思っていた。
ジェフに対して、大した感情なんて抱いていないと思っていた。
もう、自分の中でジェフに対する思いっていうのはほとんど冷め切ったものだと思っていた。
しかし、POが終わった時、気付いてしまったのだ。
きっと、私はサポーターをやめられない。
どんなに苦しくたって、つらくたって、きっとくだらないジンクスだとかゲンだとかに縛られながらまた来シーズンを過ごすんだろう。
自分が苦しむことで、ジェフが報われるのだったらなんだってする。それぐらいの覚悟がある。
サポーターなんて生き物は、なかなかに頭のねじが外れている。
だが、今の外し方で勝てないのなら、もっと頭のねじを外すしかない。
POが終わって一晩明けたころ、自分の中にあったのは何よりも嬉しさだった。
ジェフに対して熱が冷めていたと思っていた自分は、まだジェフが好きだった。
ジェフは負けて当たり前だと思っていた。でも、まだジェフが負けたことを悔しく思える。
それはすなわち、「負けるジェフ」にまだ慣れていないということ。それに気づけたのが、何よりも嬉しかった。
でも、しばらくするとやっぱり試合に負けた悔しさがこみあげてきた。
POの決勝なんて見なかった。見たくなかった。
あの舞台は、ジェフがいけたはずの舞台で、俺たちが声を出しているはずの場所だった。
夕方の地上波のニュースでヴェルディの昇格がとりあげられていた。本当に悔しかった。
14年間にわたって味わってた地獄でまだ足りないなら、もう一年地獄を味わってやろう。
どんなに辛い思いをしても、至福の刹那を夢見て声を出しつづけよう。
もう二度と、悔し涙なんか流したくない。
負けて泣くより、勝って泣こう。
昇格は通過点でしかないが、その前にまず絶対的に目指さなければならないものだ。
来年も喜んで頭のねじを外して、地獄を味わってやろう。
そう思わないと、やっていられないのかもしれないが、きっとそう思えたことに今年のPOで負けた、意味があった。
少なくとも、今はそう思っている。

あとがき


冷静に読み返すと、ただのメンヘラの話でしかない。
しかもなんか掴みどころのない自分語りを延々としていて、我ながら読みづらいことこの上ない。
ほかの人のアドベントカレンダーの記事を読んでいると、とても読みやすく、私もあのような文章を書けるようになりたいなと思うばかり。
さて、今年もジェフ千葉アドベントカレンダーに参加させていただきました。毎年企画してくださりありがとうございます。
いやー、負けましたね、PO。
悔しい。本当に悔しい。
悔しすぎて、未だにTwitterを見られないでいます。
春と秋の2回、体調を崩したりもして、肉体的も精神的にもキツかったこの一年に完全にとどめを刺された気分です。
今年のアドベントカレンダーはもうちょっとネタに振った記事を書こうと半年前からネタをあっためていたりしていたんですが、POの敗退が悔しすぎてこういう面白みのかけらもない記事になりました。
すいません。
ただ、久しぶりにジェフの試合で泣きました。何年ぶりだろう。
その時に思ったことは、本文に書いた通りです。
滅茶苦茶嬉しかったですね。「やっぱり自分ってジェフ好きじゃん!」と。
声出せば偉いわけでもないと思いますし、スタジアムに通えばすごい訳でも無い。
勿論お金でもない。
サポーター論は色々ありますし、勿論私自身思うところはいっぱいあります。
ただ、何が正解って訳でもないですし、その中で絶対的な「クラブ愛」を計りにくいのがこの界隈だと思います。
アウェイに通い詰める人、スポンサーになっちゃう人、仕事の合間を縫ってスタジアムに通い、勝てば喜び、負ければ全力で悔しがる人。
そういう人を横で見ていると、なんだか自分のクラブ愛って浅いんじゃないかと思うこともしばしば。
多分POの前(と直後)の私は精神的にアレだったんでしょうね。
死ぬほど悔しかった。あんな辛い思いをした一年ですら「足りない」なら、自分を人柱にすれば昇格できるんじゃないかとすら本気で試合後に思いました。
多分、今でも私の命と引き換えにジェフがJ1に上がり、タイトルを取れるなら喜んで命を差し出すでしょう。
それほどまでに思い詰められてた一年だったからこそ、自分のクラブ愛を再確認できて本当に嬉しかったんだと思います。
嬉しかったことと言えば、今年、矢口のユニを買って、ユナパにサインを貰いに行ったとき、まだ3月でユニを買った人が少なかったからか、矢口にサイン求めたらあり得ないぐらい嬉しそうにしてサインを入れてくれた時のことを思い出します。
「えっ、番号に被らないほうがいいですよね?どこにサイン入れよう??」って嬉しそうに悩んでいた光景が見られたのが滅茶苦茶最高で、ユニ買って良かったと思いましたね。

サインがちっちゃい(笑)


番号気にせず、大きく書いて!って頼んだのに結局番号気にしてちょっぴりサインが小さくなったのもまたいい思い出です(笑)
影があるから光があり、光があるから影がある。
サポーターの声で勝たせられたら苦労しないけど、サポーターの声で勝たせられると信じて声を出し続ける。
きっと、ずっとこんなことを繰り返しながら、夢が叶う瞬間を待ち続けるのでしょう。この地獄のような苦しみと共に。
主力選手が全員いなくなっても、来年また0からのスタートになっても、それでもクラブがある限り声を出し続ける。
傾倒しているゲームライターさんの作品とその言葉たちが私にとってある意味で「聖書」のような存在になってきていることに微かな恐怖を抱きつつ、また来年に向けて頭にネジを外していこうと思います。
とりあえず来年は社会人2年目である程度行動できるはずだし、もうちょっとアウェイに行きたいかな。最低でも愛媛と大分。出来れば長崎も。
そんなこんなでここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。
また来年もジェフの勝利のために、共に苦しみましょう(笑)
来年もWIN BY ALL!

俺らの想いを歌に乗せてさあ伝えろ
さあ行けよジェフユナイテッド
共に勝利を目指そう
(↑のチャント、覚えてる方いらっしゃいます?久しぶりに歌いたいけど自分自身がうろ覚えで)


以下はただの宣伝です
傾倒しているゲームライターさんの最新作と、本編中でちょっと触れた、山雅サポさんのnoteはこちらからどうぞ!↓



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