問いたかったこと

当記事の経緯のツイートを追記(2022.6.21)

追記しました(2022.6.20)

【追記】独自の調査をされてる方々から聴き取りや情報提供をした方々への細やかな配慮について聞くことができました。
これがこのまままかり通る事の意味について、とても重く受け止めていらっしゃいました。
くれぐれも無理をしないようお伝えしました。

文化庁へのパブリックコメントで書きましたが、劇作家協会、劇場や企画主催をされる方々へもガイドラインにハラスメントに関する項目を追記し、それに反した場合の運用を考慮し実行してくださることを切に願います。

私自身は謝罪を求めてないけど、
虚偽を公式サイトに自分でやった杜撰で偏った調査を元に書かれたままにされるのは嫌なのでやめてほしいと、心底思っています。
それは私より先に声を上げてくれた人を踏み躙る行為です。

(さらに最後に追記あり)
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この文は最初、現在独自の調査をされている方々へ向けて書かせていただいたものでした。それを編集追記しシェアいたします。

今、精神的に不安定なのでその人間の名前すら見るのが苦痛です。最初だけ名前を書きます。矢野靖人についての事です。

私は実は告発した当初から「おそらく謝らないであろう」と思っていました。

これだけ告発があるにも関わらず虚偽を堂々とできると思っていることに驚きましたが(反応しないと思っていたので)

被害者がこれ以上出ないよう呼びかけ、業界全体の改善と傷ついた人たちの相談先やケアの体制を整えてもらいたいと思い声を上げた次第です。

何より、自分の身に起きた事を無かったことにはできませんでした。それが身近な友達に及ぶ可能性を見過ごすこともできなかったからです。

そしてあの人達の認知の歪み、心身への暴力性を体験し見て知っているが故に、調査対象の方の情報保護では足りないのです。恐れている人はいると思います。私も10年近く怯えていました。

徹底したケアができる専門家が入らない聴き取りを、被害を受けた本人から言い出さないカタチで行うことに私は危険を感じます。

もしそれを私がされたら私は苦しいし、話さない選択を自由として認めないのもまた暴力のひとつになりかねないからです。より傷つけることになりかねない。

優先すべきは被害を受けた人たちのケアです。そこには私も含まれます。

当時の現場で目撃し、声を上げてくださった方も、私からみたら被害者です。

表立って発言をされていますが、相当負担と傷を負っているはずです。さらに、私へ不要な傷や負担をかけないようとても気を遣ってくださいました。

謝罪が目的ではないと最初から書いています。

これは演劇界、社会全体の問題だととらえているからです。

被害当事者に聞き取りや加害当事者に謝罪を求めるのは、ケアの観点からも問題があると思っています。

問題視せず静観し動こうとしない出資者、劇場、それを観に行く観客、問うべき対象はその『彼らを許し助ける周りの人たち』だと思っています。

彼らに演劇の場を与えそれを許す全ての環境、価値観、これまでの慣習、仕組みが問われるべきだと考えています。

自発的に被害当事者への聴き取り等、動くことを私は止めませんが、私はそれを望んでいないことをここに明言しておきます。

被害者へのケア、抑止力としての仕組み、彼らを許す劇場や助成するすべての方々への問いかけと改善、それを私は望んでおり、それはこの問題だけでなく他の問題と繋がる演劇界の大きな課題だと考えているからです。

なお、法的に弁護人を立てて相手が動いても、私や目撃者には接触しないと考えています。何故なら彼らにとって私たちの発言は不利になるからです。

自分に都合の良い答えをくれる人間にしか聴き取りを行わないでしょう。

様子を眺めるに今、相手方が法的に動いている目的は

「直接問題に関与せず情報だけを拡散する人間を止める」ことかと思います。

何故か。

した事を認めさえしなければ、証拠もないので法的に罰せられることもなく、やり過ごせば周りの環境も許してくれるので「演劇活動が続けられると考えている」からだと思っています。

彼らにとって一番避けたいのは

・演劇を続けられなくなること
・助成金を受けられなくなること
・加害の情報に触れ、彼らの作品の観客や、作品に参加する人間がいなくなること

なのではないでしょうか。

加害を止められるのは被害当事者ではなく、彼らを活動するのを黙って認めている周りの人間、周りの環境、仕組みだと思っています。

告発や情報提供は自発的に当事者がそうしたいと感じた時以外にさせるのは強制であり、更なる傷を負わせることになるからです。

私はそれを望んでいません。

それと、謝罪を私が望まない1番の理由は「許すつもりがないから」です。

再発を防ぐ仕組みと価値観の見直しを望むからです。

演劇界全体がこの問題をどうとらえどう動くかだけを見ています。

声を上げてくださること、動いてくださるその気持ちはとてもありがたいと思っているのですが、働きかける先を一度考えてみてほしいと思いこれを書きました。

相手ははっきり言って治療が必要なレベルで認知が歪んでいますから、話は通じないと思いますし、自分はむしろ被害者だと考え報復するのを正当の権利と考えかねないからです。

これだけ多くの当事者からの声が上がっているにも関わらず、公演を最優先している理由を考えるとそこに行きあたるので。

そこからも、止めるには周りや仕組みを変えるしかないと思っています。
これだけのことがあっても、彼らが「演劇をやり続けられてしまう仕組み」をどうか見直してほしいと思っています。

被害当事者たちが当たり前に守られ、相談先や助けを受けられること、ケアされ、創作にまた戻って行ける事を願っています。

私は今カウンセリングを受けています。

長い文章を書くのも読むのも正直負担なため、連絡をいただいてもしばらく返信しません。日常を取り戻す事を最優先にします。ご理解ください。

【さらに追記】
声を上げてる人、私もその他の人も余裕があって元気で助けられるからやってるわけじゃないと思っています。少なくとも私は余裕もないし心身ともにダメージをたくさん負いました。親しい周りの人達からも止められてる。リスクとダメージばかりだから。

でも、本当のことを言わず、無かったことにされる事のほうがもっと苦しいから言ってます。

声をあげないと問題だと認識してもらえない現状だからやってます。
この先も苦しむ人が出続けることに耐えられないからやってます。

私にとって大切な人達がまだ演劇界にいて、その人達のこれからも守られてほしいと思ったからです。

痛いから苦しいからやめてくれって言うのは、自分の尊厳を守る当たり前の行為です。やめてくれないから言い続けてるだけ。止めてくれないから言い続けてるだけです。

このままスルーしたとしても、そこから立ち去っても、現状のままだと、また違う形で違う場所で被害が起こり続けるから伝えてるだけです。私だけの話じゃなく他の声を上げた方の身に起きたことも含めて言っています。

本当はもう声なんかあげたくない。
苦しいです。ここから言わなきゃいけないの?って事が多すぎて。
なんで加害者側の心身ばかりが配慮されるんだろう。
なんで被害当事者や、それを助ける人にばかり配慮を求めるんだろう。
私が心身共に苦しまなかったとでも思ってるんだろうか。

リアルに支えてくれる友人達がいなかったら
カウンセリングが無かったら
まともにご飯も食べられず
ストレスによる過覚醒とフラッシュバックでどうなってたか分からない。

傷と向き合わずにやり過ごしたひずみが
何年経っても見逃してはくれないと思い知ったから、私は私の気が済むまで、自分の本心に正直でありたい。
どうか正論で私たちの口を塞がないでほしいです。
見過ごさないでほしいです。
それはそのままそれぞれの演劇活動を守ることに繋がっているはずだから。