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私にとってプリライは、いつだって『画面の向こう側の世界』だった。


そもそも私が『プリライ』という一大イベントに興味を持ったのはいつだろう?思い立ったら即調べたい人なので、これを機に過去ツイを遡ってみた。

まず1st (正確には無印)開催は2012年1月15日らしい。
1000%が2011年7月、2000%が2013年4月なのでちょうどその間。ちなみに私がうたプリに入門したのはアニメ1000%から。
2012年はこのアカウントを開設して間もない頃だったので、うたプリ関連ツイは見つけられなかった。

続く2nd開催は2012年8月……19日……?え、待って、1stからたった7ヶ月しか空いてないよ?どんな鬼スケジュール??
ということで2ndについてもツイートはなし。

2013年になってから途端に私のツイート数が引くほど増え始めた。大学2年の私のツイ欄は○魂、○バス、○リー、○○キューで埋め尽くされていた。
その中に、『起点』と思われるツイートをいくつか発見した。

一つ目。
2013年12月1日。3rd当日。

「プリライ3rd に行かれる皆さん楽しんできてください!」

これ!!!はっきりとその四文字が書かれている。2000%終了から半年、やっと私の人生に『プリライ』という概念が登場した。

二つ目。
同じく、2013年12月1日。恐らく深夜。

「さて、ST☆RISH見たし寝るか………」
「ST☆RISHのライブ、テレビで1曲見ただけでこんなに楽しいんかよ……本物見たら死ぬんじゃないのこれ」


え?????なんて?????
テレビでST☆RISHが歌った!?!?そんな記憶は私の中から消し飛んでいた。
何かの間違いかと思いながら、日にちを進めていくと……。

翌日のツイート。

「朝から昨日のアニサマ観た。ST☆RISH!!!!!!!」

衝撃の事実。なんと3rd 当日の深夜に、その夏開催のアニサマ(しかもST☆RISH出演日の回)をBSで放送していたらしい!!!

それから半年後の2014年6月。

『この子達をお迎えに行ってきた!(3rd 円盤画像)』

私がプリライに興味を持ったきっかけ、それは

『アニサマのST☆RISHのステージをTVで見たから』


……アニサマが起点なんて、意外すぎる。過去ツイも遡ってみるとおもしろい。
こうして私はうたプリの世界へまた一歩足を踏み出した。

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その後のプリライと私の遍歴を簡単に書いてみる。

4th……現地に落選するも数ヶ月後のシネライに友人Aと初参加。ペンライトで応援することの楽しさを知った。

5th……友人Aがまさかの現地当選!自分は留守番組だったけど、急に現地を身近に感じる。円盤を観て「この光の1つに友人はなったんだ」と羨ましかった。

6th……レジェンドスター音也回で大ダメージを食らった私はうたプリにちょっとついていけないかもと思い始めた。ヘヴ参戦で18人と聞かされた時も心の整理がつかず、私の中で5thが最後かなと漠然と考えた。現地にもシネライにも応募せず、円盤は買ったけど見る気になれず。少しずつ気持ちが遠ざかっていった。

そして、2019.6.14。

そう、『建国記念日』。


映画をやる事も風の噂で知った私だったが、たまたま翌日の舞台挨拶LVが空いていたので「せっかくだし」と軽い気持ちで観に行った(その時の感動やらを書くと長すぎるので割愛)。

とにかくその結果、以前よりも深くうたプリにのめり込み、HE★VENS含む18人のプリンスが大好きになり、王国セトリを帰りの足で全部iTunesに入れ、毎週のように往復1500円の交通費をかけて隣町の映画館へ通い、グッズやCDを買い、シャニライ を再DLし、うたプリ漬けの日々を送ることとなった。

うたプリ熱が自分史上最高潮に盛り上がっていた頃、それは突然の特報だった。

『プリライ 7th、開催決定!』


誰もが歓喜に沸いたあの日、私は思い出したーー。(進撃のBGM)

4thでシネライに参加した時の楽しさを。
5thで友人が現地に行った時の羨ましさを。
6thを見ることを躊躇った時の虚しさを。

そして、7thという新たなステージの開幕。その決定の瞬間に、私はいる。

私にとってプリライは、いつだって『画面の向こう側の世界』だった。
キラキラで、ドキドキで、幸せで、かっこよくて、かわいくて、笑顔と感謝と涙と愛が溢れる夢のような世界。
そんな場所に、初めて心の底から『本気で行きたい』と思った。

私の毎日を幸せでいっぱいにしてくれた『マジLOVEキングダム』を創り上げたプリンスたちに、プリンスと私たちを繋いでくれる彼らに。
うたプリに関わる全ての人たちに、直接「ありがとう」を伝えられる。「大好き」を伝えられる。
そのチャンスがあるのなら、どうしても私は『画面の向こうの世界』へ行きたかった。

現地へ行くために遠征するのも、遠征するために円盤を積むのも、円盤を積むためにボーナスを半分以上費やすのも、何もかも初めて。
汝、初めてを捧げよ。

こうして私は念願の『プリライ』行きの切符を手にした!

そこからの険しい道のりは皆さんもお察しの通り、本当に長くて(長すぎるので割愛)、一人ひとりに思うところが山ほどあって、沢山の人が悩んだ末のそれぞれの決断があって、辿り着いたあの日。
2021年11月28日。

私は、ついに『画面の向こう側の世界』へ行こうとしていた。

うたプリを教えてくれた友人Aと一緒に飛行機に乗って、ホテルに泊まった。
ホテルのロビーには、明日同じ場所へ向かうであろう人たちがちらほら居た。
翌朝、見覚えのあるネコを連れた人たちの流れについていったら駅に辿り着いた。
駅の中には、見覚えのある顔がびっしりのバッグを持っている人がたくさん居て、またついていった。
電車を待つ列は11色のカラフルなプリンセスで溢れていた。
乗り換えた先ではまた一段とカラフルなプリンセスが増えた。

「西武球場前駅」のアナウンスが聞こえる。
さっきまで住宅地が広がっていたのに、気付いたら車窓には木しか見えない。
扉が開き、みんな同じ方向へ歩いていく。
なぜか鼓動が大きくなり、早足になる。
そして改札を抜けた瞬間、空気が変わった。
大袈裟と思われるかもしれないけど、それくらい衝撃的だった。
愛と希望と幸せに満ちた空間ーー。

『うたプリを愛している人たちが、こんなにたくさんいるんだ』
私にわかるのはそれだけ。それだけで、まだ何も始まっていないのに涙が出そうだった。

会場入りしてからも、感動の連続。
まず広い。見渡す限りのスタンドと、無数に並んだアリーナ席。
でかい。ステージでかい。モニターでかい。セットでかい。裏にめっちゃでかい白い風船みたいなの見えた。あれ割って出てくるのかなと思った。違ったけど。
アリーナ席へ降りる。さっき見えたステージがどんどん近くなる。
自分達の席についた。前から2ブロック目。右モニターと中央モニターのちょうど間。
見える。肉眼で見える。だって最前にいるスタッフさんの表情が見える。
これはとんでもない席を賜ったのではないかと思い始めた。

開演までまだ2時間くらいある。人はまばら。
中央モニターに1000%Blu-rayBOXの広告が流れている。

BRAND NEW MELODY〜Knocking on the mind〜世界の果てまでBelieve Heart〜男気全開 Go! Fight!〜オリオンでSHOUT OUT〜Eternity Love〜七色のコンパスのサビメドレー。

順番に流れる思い出たちに、既に泣きそう。
メドレーは何度も流れ、その度に男気全開のフリを小さく手だけ踊り準備運動をした(同じ事をしている翔担さんがいた…!)
あと1時間。あと30分。あと5分。

暗転し、あの曲が流れる。
何度も聴いたあのイントロ。何度も映画館で名前を呼んだあの旋律。
声は出せないけれど、順番に一人ずつ心の中で叫んだ。

『星空へ旅立とう 虹を架け橋にして』


「ほ」って聴いただけで泣いたのは、人生で初めて。
そのくらい鳥肌が立って、耳の中にいつまでも残っていて、消えない。

『画面の向こうの世界』に、やっと辿り着いた瞬間だった。

(※ここからの数時間に及ぶ夢のような体験は、また別の機会に書こうと思います。全然書きたいことがまとまってないので…)

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『See you again』

幕が下りても、鳴り止まない拍手。
「終わらせたくない」が本音だったのかもしれない。声が出せない分、全力で拍手した。
直接伝えられるのは、今この場にいる私達しかいない。
現地自慢や優越感に浸るつもりは1ミリもない。

LVや留守番組を何度も経験したから。
「現地の人は直接声を届けられていいな」と何度も思ったから。


できることはこれしかないという、誰にも頼まれていない謎の正義感と偽善。
それでもいいから、ペンライトを置いて力の限り拍手した。

余韻が会場を包んでから何分経っただろう。

規制退場が始まる中、ドームに声が響いた。

何と言っていたのかは、本人たちにしか分からない。
でもそれは、マイクを通していない『生の声』。
少しざわつく会場、また起こる大拍手の嵐。
心を揺さぶられた。
『ライブは生き物』とよく言うけれど、本当に生きていた。
本番が終わってもなお、彼らは私たちを幸せにしてくれた。

規制退場で意外と早く呼ばれ、バタバタと外へ向かう。
階段を上がり、ライトスタンド側から外へ出ると、ドーム入り口付近にやたらと警備の人がいた。
関係者以外立ち入り禁止っぽい場所を遠目に見ながら歩いていると、その場所からマイクロバスが3台出てきた。窓はフロント以外全方向真っ黒。多分中からも何も見えないと思う。
他のプリンセスたちが、立ち止まらず歩きながらバスに手を振っていた。
誰が乗っているかもわからない。
姿が見えなくても、最後まで「ありがとう」を伝えたくて、私たちも手を振った。

『画面の向こう側の世界』での経験は、私にとって大きな財産になった。
「死ぬまでに一回行きたい」と夢見てきたあの世界。
ここに来るまでは、「これが人生最初で最後の現地参戦でもいい」そう思っていた。
でも、現実に帰ってきてからの私は別人のように強欲になってしまったらしい。

「声を出して応援したい」
「名前を呼びたい」
「悲鳴を上げたい」
「両日来れば良かった」
「王国セトリの完璧なコールで彼らを驚かせたい」
「タオルを回したい」
「トロッコで近くに来てほしい」
「花道でもっと近い距離で拝みたい」
「あの曲が聴きたい」「この曲が聴きたい」

人生最初で最後なんて、とんでもない!

「私は絶対、またここに来たい」

一度経験したら、そう思わずにいられなくなってしまった。
今という一瞬一瞬を大切に生きていたら、またそんなチャンスが巡ってくるかもしれない。

その時には今度こそ、今まで言えなかった「ありがとう」を全力で伝えたい。

18人のプリンスと、彼らと私たちを繋いでくれる18人と、関わる全ての人へ届くように。


※完全に余談ですが、最後に。
初めてプリライについてツイートした日、
2013年12月1日。
初めてST☆RISHのパフォーマンスを画面越しに見た日、
2013年12月1日。
そして、念願の現地参戦を終えプリライとの出会いに想いを馳せて綴り始めた今日。

2021年12月1日。


8年という長い月日を経て、夢を一つ叶えることができたオタクのお話でした。

ここまで長文にお付き合いいただいた方、ありがとうございました!☺️

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