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生煮えの言葉が得をうむ

続けることは難しい。

世の中には毎日365日、文章を書いてWebに更新し続けている人がいる。
ぼくなんかよりも、はるかに仕事が忙しいだろうに…という人が、毎日のように自分の感情をブログにまとめ、更新している。「なぜ?どうやって?」と疑問を感じていた。
ただ、ふと思ったのだ。

毎日文章を書き続けて、更新し続けることは、とんでもない「得」につながっているんじゃないか、と。

文章を書くということは、自分の感情と向き合うことだ。自分の中にあるモヤモヤっとしたなにかを捕まえて、言語化して、伝える。読んだ人の心に共感が生まれれば「良い文章」だろう。

人は、モヤモヤっとしたなにかを言葉にしてもらったときに、快感があるとぼくは思っている。「エモい」とか「(インスタ)映える」とか、最近の言葉なら「そだねー」とか「半端ないって」も、それまで言葉にできてなかった何かを一言で表現しているから、人々の記憶に残るのだろう。

あえて「そだねー」の感覚を言語化するなら

「大舞台でのチャレンジがミスしたけど、失敗ではなかったから気持ちを切り替えて次に行こう。」
「確かにあなたの言うリスクも無視できないけど、ここは私の作戦で攻めたい。大丈夫。勝ち目はある。」
「オッケー!良い感じ!今は流れがきてるから落ち着いてやれば問題ないよ。」

という感じだろうか。
無理やり言葉にすると、「そだねー」の4文字が含む万能さに感動する。

SlackやLINE、Facebookメッセンジャーといったチャットツールが当たり前になり、こういった一言でモヤっとした感情を伝えることができる言葉は貴重だ。個人的にはよく使う「なるほどー」なんかも近い属性の言葉だろう。

さらに、こうしたモヤッとした感情を表現できる言葉は、普段の生活で見落とされがちだ。

上司やクライアントの納得を引き出す言葉でもないし、好きな相手に気持ちを伝えるような言葉でもない。だから、優先度は低い。ノウハウを書籍化して売り出されることがない。つまり、普通に考えると、言葉として残る可能性が低い。

しかし、毎日文章を書く人は違う。毎日、自分の感情と向き合い続けるから、自分の中にモヤっとした何かがあれば、言葉にする機会ができる。1回で正確な言葉にすることができなければ、その「生煮えの言葉」を残すことができる。

そうやって、「生煮えの言葉」が10や20…100と積み上がったとき、書くことをしていない人との差が明確にうまれる。ぼくは、それがとても大きな「得」につながっている気がする。

言葉にして残すことを面倒くさがるのはもったいない。
続けることで成功している人は、書くことの大変さを引き換えにしても、得られる得が大きいことに気づいているのだ。

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