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効率よく文章を書くことはテトリスに似ている

雑誌の仕事をしてるとき、文章を書くのは速いほうだったと思う。

雑誌の文章といっても情報誌がほとんどだったので、1本の原稿が400字を超えることは少なかった。今はWebのみなので、4,000字とかの原稿を書くのが普通だ。そう考えると、数百字の文章を書くことは楽だったのかなとも思うけど、写真キャプション100字×10個を表現の重複なく書き分けるとかやってみると意外に疲れるし、それを10ページとかサクサクとできるようになったときは、後輩に「パズルみたいなもんだよ」と語ってた気がする。

当時、ぼくにとっての文章はパズルみたいなものだった。

限られた文字数で読者にわかりやすく情報を伝えるため、またチェック役の編集者やデスクから余計な赤字をもらわないため、同義語の引き出しをたくさん作って、いかに効率よく当てはめていくかというゲームだった。
「厳選の」「こだわりの」「○時間かけた」「△種類を使った」「希少な部位で」「滋味あふれる」「風情のある」…それっぽい表現をできるだけ多く覚えて、テトリスのように次から次へとはめ込んで文字スペースを消していく。慣れると楽しかった。

原稿チェックで赤字が入ることもなくなり、「忙しいし、原稿はもうチェックしないよ。大丈夫でしょ」とデスクに言われたときは心のなかでガッツポーズした。

その後、Web業界へ転職して、まったく書けないという貴重な経験をしたことで、ひたすらパズルのように原稿を埋めることは少なくなったわけだけど、「この場所に最適な言葉は何か?」と探す作業の根っこは、たぶんつながっている。機械的にやるか、納得できるまでやるかの違いだ。

パズルのように埋める作業を否定はしない。

仕事を効率よくこなすためには必要なスキルだ。メールの返答はテンプレとなる回答例のあるほうが速く済むし、むかし流行った「SEO対策コンテンツ」はGoogleの検索ロボットが最優先読者なので、効率よく埋めるほうが文章を量産できる。つまり、効率が良いことは、多く稼げるということだ。

ただ、おそらくそこには限界がある。納得できるまで言葉を探した文章じゃないと、人の心は動かない。効率的で速い文章では、なぜか人は動いてくれない。

だから、「最近、ライターとして壁を感じている」という人がいたら、テトリス原稿になっていないかを考えてみると、何かのヒントになると思う。


書きたいと思っていた話と別のところにきてしまった。
ひとまず、書きたかった話は改めてまた書きます。

※書きたかった話を書きました。読んでみてください。


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