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昨日はあの日だったらしい

何故真珠湾攻撃に踏み切ったのか。
TVで特集が組まれ、Twitterのニュースには80年前の日本が起こした出来事が載っていた。
私はその全てから離れた場所に居た。

私は生まれも育ちも広島県である。
故にとも言うべきか、「反戦教育」が盛んな地域であり、戦争の悲惨さを学ぶ機会が他の県民よりある。
多分、こういう教育が盛んなのは他の県は長崎と沖縄ぐらいではないのかなと思う。
故に、この歳になると積極的にそういった話題から遠ざかるようになった。「しんどい」が感情として先に来るのだ。
これは「何度も話題にして/されて、しんどい」ではなく「辛い体験を聞くのがもうしんどい」である。

だから、一日置いてふと思ったことがある。
「戦争の悲惨さを語るのに、何故「関東」が含まれないのか」
戦争の悲惨さを語る広島・長崎・沖縄の人たちの話はよく聞く。
沖縄の人たちは特に長期間に渡っての「悲惨さ」を語る。
だが、長崎と広島の人間は「8月」を語るのだ。
これは、原子爆弾のインパクトが強いからと言うのは確かにあるだろうが、それまでは土地的には被害が無かったのではないかと個人的には考えている。
だが「関東」は違う。
反戦学習の中で、たった1度程度だったと思うのだが「関東大空襲」をとりあげられたことがあった。
当時は「関東」なる地域はよくわからない日本の地域だったが、爆弾が毎日のように降る。空襲警報が鳴る。防空壕がある…今でも覚えているワードが沢山ある。
その学習は終わってちゃんと「関東」を認識した私は埼玉から引っ越してきた子が「こんな勉強無かったよ」と言っていたのを思い出して不思議に思った。
更地にされた上に何度も何度も爆弾を降らされた地域が?という気持ちだ。

まあ、1発の爆弾で10万人が死に、後遺症で苦しむ兵器に焦点が行きがちで、現在も米軍基地との兼ね合いで当時の負の遺産が未だに継続している土地とは違うと言えばそうなのだが…

ただ、戦争の悲惨さを語るのなら、「沖縄と関東」が語られても良いのではないかと思う。
そして「広島と長崎」はその延長である「戦争での実験」だったと思うようになった。

こんな話を聞いたことがある。
当時のアメリカ大統領には「日本は天皇家の存続を保証すれば降伏する」という情報を持っていた。
そんな中で「原子爆弾が完成した」という情報も手に入れた。
故に、日本へは「無条件降伏」を通達。結果、日本は徹底抗戦へと歩みを始めたと…

未だに米国では「原子爆弾が戦争を集結させた」というご意見が根強いらしい。
「パール・ハーバーの報いだ」というご意見もあるらしい。
その結果が関東の焦土作戦だったり沖縄激戦だったり原爆投下なのかなぁとやるせない感じになったりする。
やられた当人が「報いだ」と怒るのも恨むのもそれは正当だと思うのだが、「聖戦」だとか客観的に見れる未来の人間が「報いだ」というのならば「民間人の死傷者を対比させてみようか?」と反論したくなるのだ。

米国は戦争での立ち位置で「謝罪」することはない。というより、「謝罪」する国のほうが稀だということを最近知った。
うちの国はちゃんと謝ってるのに?とも思った。
しかし、ゲームをやったり物語を読んだり歴史を知ったりしていく中で「勝てば官軍、負ければ賊軍」という価値観を知った。
「勝者の歴史」である。
歴史学者が当時の記述をひっくり返して「実は〇〇は…」とか判明したりしてくるが、あれも「勝者に良いように書かれた歴史の側面が解明された」というやつである。

この時代、そんな勝てば官軍みたいな価値観で世界情勢は動いていないだろうと子供の頃は思っていた。
しかし「常任理事国」の「拒否権」という「権利」を持ってる国の実情を知って、しょっぱい顔になった。

ONE PIECEの「ニコ・ロビン」というキャラクターが居る。
このキャラクターは世界政府に故郷を地図から消された経歴を持つ(詳しくは漫画にて)
このキャラクターが「地図の上から人が見えるか」と叫ぶシーンが有る。だからあんな酷いことが出来るのだと。
敵キャラクターのドンキホーテ・ドフラミンゴというキャラクターが「歴史は勝者のものだ」と言い放つシーンが有る。紛争地域の価値観と平和地域の価値観が違うとも言っている。
事実は小説より奇なりとはよく言ったものだな…と最近つくづく思う。
もしくは作者は現実を織り交ぜて漫画を書き上げているのかもしれないが…(この作品にはいくつか気づけば世界情勢に関わるのでは?と考察が苦手な私でも思う箇所がちょこちょこある)

話が逸れてしまったが、個人的には戦争の悲惨さはスパンとかを考えると、よほど沖縄や関東が当てはまると思うのだ。
しかし「戦争での行き着く狂気」としてならば、広島と長崎は当てはまるなと思うようになった。
普通、世界平和を謳う国が、民間人を惨殺する爆弾を使うか、それを聖戦だと言うか。と思うと…

個人的に「平和ボケ」というのが、すごく惨めな言葉に使われるのが悲しく思ったりしている。
平和ボケする程度には平和なのが普通になるといいので誇ればいいのに…という気持ちだ。
もしかしたら、反戦学習をしまくったせいでもう人の争い声(演技含む)が苦手になった故の感想かもしれないが。

何がどうというわけではない。
ただ、振り返りというか、なんとなく思ったことを徒然と書いただけのノートである。

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