見出し画像

障がい者とサーカスとソーシャルデザイン

 歴史を思えば、かつての見世物小屋は障がい者が仕事を得る手段だったり、宮廷内で障がい者を縁起物として雇っていたのが道化師の元祖だったりで、サーカスと障がい者は浅からぬ社会的な関係があります。しかし1980年頃に障がい者を舞台に上げることに批判が巻き起こった結果、良くも悪くも、今は人目に触れる機会は激減しています。

 2016年10月、六本木アートナイトで「SLOW MOVEMENT(スロームーブメント)」という障がい者と一緒に創作したパフォーミングアートがありました。サーカスアーティストである金井ケイスケさんも参加しており、これも現代サーカスの一つと言えます。作中で、パフォーマーが自分の乗っている車椅子を分解して遊び出したのには、びっくりさせられました。

 障がい者と一括りに言っていますが、そこには多種多様な障がいが存在します。元軍人で地雷で脚を失った人、生まれながらに極度に視力が弱い人、病気で耳が完全に聞こえなくなった人、免疫不全の人などなど。しかしそのような方々と話す機会は少なく、この写真のパフォーマーのように鍛え上げることで素晴らしい身体表現をする方が居ることさえ、私たちは知らないのです。

 また、スロームーブメントに参加した人に聞いたのですが「健常者が生き生きとするのが素晴らしかった。車椅子の人が居たら、それを健常者が持って行こうなど役割を自分で見つけ出す」と話していました。お互いの役割を認識し、健常者と障がい者の間に遠慮を排除した深い対話を行い、作品を創る。これは障がい者を感動ポルノとして消費することとは全く異なる活動です。

 2020年の東京パラリンピックに向け、社会的な環境が整備されつつあります。「アール・ブリュット」(生<き>の芸術)という概念を輸入し、超党派が財政措置法案を提出したり、実際に作品が公的に発表されたりしています。(下記リンク先4:30から)

 また、世界的にソーシャルサーカスという活動があります。障がい者との制作以外にも、職業訓練や教育やコミュニティなどサーカスを中心とした社会的な役割を考えた活動を指すようです。南米にあるソーシャルサーカスの学校は、とにかく社会情勢が不安なその地域において、生きる希望を見出すためにサーカス的に体を動かす事を主目的としていると聞きました。生きるという原初的な欲求にまで効く、というのは凄い話です。それは現代日本において生きにくさを感じている人も救う可能性があるように思います。

 障がい者と健常者の対話、競争ではない多様性の表現、コミュニティによる家族性など、現代社会において欠けているそれらに対するソーシャルデザインとしてのサーカス。何より喜びに満ちた表現を見せるスロームーブメントのパフォーマンスを観て、これからの社会の重要な一角を担っていく予感がしました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?