30歳になって。


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ずっと、今日書こう。今日書こう。と思ってはいたが、たくさんの移動と流れるような日々を過ごしているがあまり、半年以上こういった形の文章は書いていなかったと思う。

つい先日、30歳の誕生日をむかえ、ああ、本当に自分にも30歳という時間がやってきたんだ。と実感した。

例えば、僕が18歳の頃、30歳の大人にあったら、すごく年上の感覚があったし、自分にはいつかくるというような30歳というのは遠い存在であった。

僕の20代はとにかく、前へ。前へ。 篩にかけられる世界で必ず勝ちに残り、

世の中に自分という存在を個として確立したい。

自分が生まれて育った場所から1日も早く外に飛び出したい。

オリンピック選手になりたい。

プロアスリートとしてフルタイムで自分が望む条件を掴み、競技をして世界で戦いたい。

海外をベースに生きたい。 いろんな国に行き、世界を見て感じたい。

と、そういった飢えと劣等感、反骨心が心のガソリンで、突き進んできたと振り返ってみると思う。

もう1回同じ事が出来るかと問われたら、できない。と答えると思う。全部が初めてで知らなかったから飛び込めたり、ゼロイチの挑戦を続けられたと思う。凄い濃い20代だった。

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20歳の自分と今を比べたら、大きなスケールアップをしたし、全てが変わった。

これが個人ではなく、企業であったら、物凄い成長率を出した企業だ。

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夢も叶った。

会いたい人にも会えるようになった。自分を個として世の中に確立できた。

千葉から東京に行くような感覚で東京からパリ、東京からニューヨーク、

ニューヨークからフランクフルト。東京からシドニー。とか。

 飛行機のトランジットも自分の中では山手線から違う路線に乗り換える感覚に近い。

そういう感覚を自然に抱くくらい、本当に自分と世界が近くなった。 

どこの国にも再会したい友人ができ、お気に入りのカフェやレストランもある。いろんな場所に行きすぎで、限られた人生の中であとこの人に何回、Face to Face で会えるだろうと思うくらいだ。

https://youtu.be/UlPyBqEajUI?t=142 

中学の時も高校の時も大学の時も真剣に受けていなかった、興味も持たなかった

語学、英語も、2012年、初めて出場したロンドンオリンピックの後、次のリオでもっと上を目指したいなら、結果を出したいなら、英語くらい話せないと、というか日本人と接したり、会話するのと同じようにOvea Sea の人たちとコミュケーションとれないとダメだ。と試合が終わった後の選手村で痛感したのを今でも覚えている。

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それで大学を卒業してオーストラリアに行き、日本人が1人しかいないチームに加入して競技生活をおくった。

大学を卒業する前に、結局入る事はなかったけれど、楽天の内定者の同期と過ごした時間も自分にとってはインパクトがあった。明治で一緒にいた友達とは全く違うタイプで、帰国子女や海外で生まれ、育ち、大学のタイミングで日本に戻ってきた人達が多かった。彼らは例えば、物事を2つの視点からみれ、1つの解を出すことができる。日本だったら、こうだよね。とかイギリスだとこうだよね。って。


自分には留学の経験や海外生活の経験がない純ジャパだったから、彼らと過ごした時間の中で劣等感というか、自分にはないこの感覚を自分が身につけるには、この大学卒業する23歳のタイミングが最初で最後だと思った。

オーストラリアの生活ではパースとゴールドコーストにいたけど、

最初、本当、全てがわからなかったなと振り返って思う。もちろん経験したことがないからそういう感覚に陥るのは当たり前のことだが。

カフェでコーヒーを注文する時の Can I have~ とかも全く言えなかったし、

チームのミーティングで何を話しているのかもわからなかった。。

でも、それが良かったんだと思う。水泳と同じで早く泳げるようになりたいとか4泳法泳げるようになりたい。から練習を続けて頑張って習得してきたのと方法は一緒だと思ってたから、ある程度こなせば修得できると思った。

今思うとね、最初に挑戦した国がオーストラリアだったのは

自分にとってとても良かった。その選択は120%素晴らしい決断だったと思う。

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初めての国がアメリカとかEU圏だったら、結構厳しかったと思う。あの時、例えば、イタリアとかアメリカを選んでいたら、リオも行けなかったかもしれない。

オーストラリアとニュージーランドは日本人にとって暮らしやすいし、

街も綺麗で日本人コミニュティーもそこそこあって、アメリカやEU圏に比べて

間違いなく治安が良い。治安が良い。というのは凄く人生を構築していく中で大事なキーだと今、すごく実感している。

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僕がオーストラリアを選んだのは、ロンドンオリンピックの時にオーストラリア代表のカイ・ハーストに勝ったという実績を自分で作っていて、この実績があれば

受け入れてくれると思ったから。スポーツの世界はわかりやすいくらい実力社会。日本ではほとんどの人は彼を知らないし、どんな存在かもわからないだろうけれど、カイはオーストラリアではスーパースターだからね。やっぱり、ゲスト扱いとか下に見られたくなかったから。対等に接してくれる海外の環境で挑戦したかった。その時は英語が話せない日本人スイマーだったけれど、

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カイにロンドンで勝った。という事がオーストラリアに来た初めの頃、僕の信用と自分が何者かという事を証明できるパスポートのようなものだった。

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その時はその後、カイと一緒のチームでトレーニングする事になるとは思っていなかったけれど、カイがプロスイマーとしてのキャリアを終える最後の時間を一緒に過ごせた事は僕の一生の宝物であり財産である。

カイは僕より一回り年上だけど、プロアスリートとして世界最高峰の第一線で勝負している。カイと今も連絡を取り合っているの中で、30歳になりたての僕がもうアスリートを辞めるなんていうのは、クールじゃない。と思わせてくれた事に、そういう自分の気持ちを奮い立たせてくれたカイに感謝している。


オーストラリアではチームメイト、コーチ、地元の人達に本当に恵まれていたと

思う。特に、国は違えど、1つになり、オリンピックを目指して一緒に時間を共有したチームメイトは僕にとって一生の友達になった。

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水泳が日本でいう相撲のような存在のオーストラリアで、ロンドンとリオで

オーストラリア代表に勝った後、自分の中で、オーストラリアではやり切った。結果も出した。だから、初めて19歳の時に海外でトレーニングに行ったアメリカで競技がしたい、挑戦したいと、リオのレース後、思った。

ただ、この決断がのちにとてつもなく悪い方向にいく事になる事はその時、1ミリも考えもしなかった。


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リオのレースのラスト200mくらいでまだトップ集団にいる事が泳ぎながら

わかっていた時、ラスト50mでもっと外側にいる事が出来れば、余力があったっから抜け出せて、メダルが見えたあの瞬間。

今のところ、僕にとって世界の頂点に1番近かった日だ。

メダルを獲得する事ができなかったが、体格差が1番大きく影響する自由形で

世界最高峰の舞台で1桁。8位。オリンピックファイナリストになれた事は、

自分も誇りに思うし、自分を今まで応援して下った支援して下さった方々にも誇ってもらえる結果をあの日残せたという自負はある。

リオオリンピックの自由形の種目で決勝に残った日本人は僕と萩野君だけだ。

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たらればになってしまうが、リオが終わって翌月に出場した国体、日本選手権まで、もうメンタルもフィジカルも早く解放されたいという気持ちがとっても強かった。あの時は日本選手権で勝った後、3ヶ月くらいブレイクしたけれど、それは短すぎたと感じている。東京五輪だけにフォーカスして次の4年を進んでいくなら、2017年は大きな試合に一切出場せず、トレーニングと新しい環境に自分をアジャストさせてる事だけに集中するべきだったと思う。

2017年4月からロスに移ったが、合宿などの短い滞在と長期は全く別物。

オーストラリアでの競技生活では新しい環境に移って、すぐ順応できてしまったのでその経験のまま、行ってしまったが為に、ロスでの生活の準備、生活するにあたっての下見などをせずに、競技生活と同時進行でやろうとしてしまった。その為、ロスでの競技生活に全く適応できずに、焦り、準備が全然できなかった。リオの翌年とあって、自分も周りも期待値が高く、上手くいっていない状況をどう打破すればいいのか、相談もできず、結構、1人で毎日悩んでいた記憶がある。今ならできるが、もっと早く見切りをつけてプランBやCに移るべきだった。ここでやるって。決めたからという気持ちをぶらすのは悪だ。みたいな感覚が当時、猛烈にあった。


自分でも散々、結局最後はオリンピックがすべて。と過去8年で1番よくわかっていながら、母国開催のオリンピックという雰囲気にのまれてしまったと感じている。東京オリンピックでメダルを獲得します。と宣言して新しい所属に移籍したのに、自分が公言した結果が出せずに焦りや不安を常に抱いてしまい、自分の計画通りにプランが進まなくなり、空回りしていた。常にどんな試合も100点満点取らないといけないと。2018年は千葉県でパンパシフィック選手権がありそこでメダルを獲得し、2019年の世界水泳で TOP10に必ず入り1年前にオリンピックの出場権を獲得する。と描いていたから。自分の調整力と人をマネージメントする力不足だった。本当ならば、競技生活を過ごす環境や、所属、トレーニングを一緒にしていく周りの人達をすべて一新したのだから、最初の1−2年は順応期間と捉えて、ゆっくり、確実に、そういう時期だと捉える気持ちを持っていいれば、負のスパイラルにハマらなかったと思う。実際はどんどん深くハマっていった。今、思うと本当に正気ではない決断や選択をしてしまった。自分が全く想像もしなかった最悪な方向に実際は進んでいった期間だった。

もっと、気持ちに余裕を持てば良かったんだと思う。



リオが終わって、今まで我流でここまで来たが、どうしたら東京オリンピックでメダルを取れるだろうかと考えた時、自分のスタイル、自分の価値観に合うかどうかよりも、オリンピックでメダリストを育てた事があるコーチ、トレーナーとか僕が出した結果以上の誰々を指導していた事があるスタッフとかそういう人達と、一緒に取り組めばその目標に近づくのではないかと思った。僕のマックスのリザルトはオリンピックで8位。メダリストの領域を実際に経験をした事がある人たちの経験値が必要だと思った。このチャンスを最大限に生かして、なるべく早くパッと結果を出したかったから。

でも、結果どうなったかというと、そういう側面だけで僕は自分の周りを選んだので、やり始めは良いんだけど、少し時間が経つと、ズレが出てくる。

2回のオリンピックの実経験があるのだから、もっと自分を主張して自分はこうと言えば、また全然違う状況だったとも思う。なぜか、かしこまったり、変に自分を譲ってしまっていた自分が当時はいた。お互いが、もう色で表現するならば、とても濃い単色なので、交われば誰も見たことのない素敵な色になるんだろうけれど、交わらなかった時には汚いぐんじょ色になってしまう。それで自分らしさがどんどんなくなって、悪い流れに入り、気がついたら

本当は今、1番良い時間で自分の可能性を更に未開の領域に引き上がれる事ができるはずなのに、競技を辞めたいとか、もう生きたくないと言ってしまうほど、身も心もボロボロになってしまった。(あの時に支離滅裂な弱音を吐いてしまった人達には本当に申し訳ないと思っています。)



スタイルや価値観というものは生きてく上で物凄く重要な要素だという事に

気が付いた。自分が1番伸びていた時、辛いトレーニングなのに、毎日

早くプールやジムに行きたいと心底感じていた時はいつだったんだろう。と振り返ってみた時に、価値観が合うとか、オンでもオフでも一緒にいて心地がよいとか、

そういう自分らしさに合う人達と競技生活を過ごしていた時に自分は物凄く伸びたなと感じた。

それで、ヨーロッパにいる仲間たちと競技がしたいと思って、そう思ったタイミングでドイツナショナルチームのコーチに連絡して、俺たちと一緒にまた頑張ろう。ヤスなら必ず復活できるし、東京でメダルを取れるって言ってもらって、どこまでできるかわからないけど、もう一回頑張ってみようと思ったのが去年の2月くらいかな。プールに戻った時の僕はまるで別人で、50mのバタフライも泳げないくらいでした。。。でもみんなが、大丈夫すぐ戻るからって、いつも励ましてくれた。

それからドイツ、オランダ、フランス、オーストリア、スウェーデンに滞在して、どん底からカムバックした。マジで仲間に助けられた昨年だった。

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去年の9月23日の日本選手権まで、準備期間が半年もなかったのに、よくあそこまで身体のスペックを戻せたなと今でも思う。自分がゾーンに入った時の集中力は人並みはずれていると思う。本当に仕上がっていて、自信があったせいで、この試合が終わったら、これからまた寒いヨーロッパの冬に戻るし、髪を短くしなくていいやって。そういう気持ちでレースにのぞんでしまった。

これの判断が結果的に致命傷になった。

日本選手権の試合中、最後のラップで給水ゾーンの前を通過するところで

僕の内側を泳いでいた選手が、外側に移動しようとして、僕と大きく接触し、その時にスイミングキャップが外れてしまった。

前髪は鼻にかかるくらいあったから、キャップが取れてしまい、周りの選手、次に目指すブイ、ゴールが目にかかってしまい前が見えない。状態になってしまった。一度、キャップを探して、また泳ぎ直してもまだ間に合う位置にいたから

そういう選択もあったと思う。でもその時はその判断ができなかった。

最後のラップに残していた余力をキャップを失った事で

たくさんヘッドアップスイムをしてしまい、呼吸が乱れ、心拍が上がり、スパートをかける前に、残していたエネルギーを使い切ってしまった。

前が見えない。終わった。と思った。

振り返ってみれば、統計的に、僕はレース中にキャップが外れることの方が多い。

10の準備の9はバッチリだったのに、1つを見逃してしまった。

だから、髪を短くせずにのぞんだ自分の選択によって自分のキャリアを途絶えさせてしまったという、誰のせいにもできない失敗でした。とにかく、心身のコンディションも身体のスペックも自信があり過ぎたあまり、経験値が積み重なっているキャリアがあったからこそあの試合は通過点としてしか捉えなかった自分がいけなかったと思っている。

どん底からベストな状態に戻すことができたのに、1つのミステイクで、その努力を生かすことができなかった。

違う事でもこういう事が2度ないように、これからの事業にこの経験を生かさなけばと強く誓っている。


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今年の1月に引退の報道が出てから、身体を動かす事をほぼしなかった。

そういう気持ちにならなかった。

2ヶ月くらいかな。だんだん、自分の身体が衰えてくる、筋肉がなくなって

アスリートとして死んでいってしまうような感覚に陥った。

その時、やっぱり、この今まで築き上げてきた身体のスペックを失いたくない。と

心底思った。そのスイッチが入るまでには時間がかかったが、いつかそのタイミングは来ると思っていた。

3月23日の便でシドニーに移る予定だったけれど、19日か20日頃にオーストラリアへの入国ができなくなり、自分の予定も大きく変わった。ただ、日本にいないとできない事が今できる状況になったので、その明確に出てきたことに取り組みながら、アスリートとしての身体を作り直しているのが今の僕の現状だ。毎日、テキストやワッツアップで海外の仲間や友人と連絡を取り合っているが、現状はニュースで出ている以上に良くないと感じてる。

引退したら、起業家になります。と公言していた僕ですが、3月16日に会社を設立して、起業家になりました。

気持ち的には、競泳からオープンウォーターに競技をピポットした20歳の頃の感覚に似ている。あの時はオープンウォーターのトレーニング方法わからない、大会も全然、出場した事もないのに、この種目で日本人初のオリンピアン になる。というギラギラとした意志だけで、そこからたくさん挑戦し、壁にぶち当たりながら、

その夢を掴んでいった。その感覚に凄く近い。事業計画書を書いていた時にそう感じた。

今、僕はまだ赤ちゃん経営者です。

自分は人の縁に本当に恵まれていて

心から信頼できる経営者の大先輩方に助言や応援をして頂いて、

今、前進している。

今、毎日とてもワクワクとやりがいを感じながら生きている。

夢は目標を持つ必要なんかないという人もいますが、僕はやっぱり充実した人生を過ごすには夢は目標、つまり、生きがいは絶対に1回しかない人生を生きていく上で必要不可欠だと自分自身を経験から実感している。

引退の報道が出てから、毎朝、起きると言葉ではどう表現したらいいかわからない喪失感が凄くあった。満たされているのに毎日がつまらない。みたいな感じかな。

どんな状況に陥っても、人生は続くし、生きていかなければいけないから、

ダメな時はダメでいいし、何もできない時は何もしなくていい。

休んで、また何か挑戦したいな。頑張ってみようかな。っていう気持ちが出る日

が来るから、そしたら、またスタートすればいいと思う。

大挫折を経験をするまで、僕は常に最高の事態しか考えていなかった。

だけど、最悪な事態も想定して生きる。という事がとても重要ということに

気がついた。

人のせいにしてるようじゃ、絶対に這い上がれない。今の自分は全部自分がやった事の結果。それを受け入れてゼロから這い上がる。毎回そんな人生を繰り返す事でしか新しいゼロイチな事はできない。

人は最終的には自分の心に手を当てて何が正直なんだって生きて行くのだと思う。その正直が自分が創る人生とどう合っていくのか。その戦いなのではないかと思う。

結果と理屈は常に背中合わせでこれをどれだけ高次元にバランスさせられるかが人生能力ではないかと思う。


18歳の自分にもし会えるなら、30歳の君は少し大人になったっけれど、すべての面において全然まだまだです。 と 伝えたい。

まだまだ人生能力の伸びしろ大有り。けれど、人生の持ち時間は意外と少ないから、取捨選択してまた掴んでいかなければいけない。

国内も海外も毎日、状況がものすごく変化している今、だからこそ

"今"に集中して、そして自分にとっての幸せが何か分かった今、そこを追求したい。

まずは2020年を良い年だったと言えるように過ごしていこうと強く強く思っている。

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自分がいざ30歳になると、今まで日々考えもしなかった事を意識する。自分はあとどのくらい生きる時間があるんのだろう。と。



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