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魅惑的な博多の夜を歩きながら,2つの心の間で揺れるボク。ある夜の物語。 前夜祭編

―魅力たっぷりの街 博多

 先日,研修を受けるためにボクは,博多へ行った。北九州出身のボクにとって博多は,故郷の隣の街っていうイメージがある。ボクの博多に対するいろんな想いがそこに現れている。とはいえ,博多には幾つかの思い出もあり,いろいろ思いがあっても仲間意識もあり,やっぱり結構好きな街なのである。
 そして,今回は,その博多が舞台である。

―逡巡する想い

 すべての始まりは,今回の研修が泊まり込みだったことに始まる。そう,今回の研修は泊まり込みだった。
 前日,仕事を終えた僕は,その足で新幹線に飛び乗った。新幹線には,車内販売がある。あまりにもありふれた風景だが,その日の僕は気になっていた。夜8時半。この時間にボクが新幹線に乗るのは珍しいことだった。ご飯は食べたが,口寂しい。夕飯は食べたボクがその時間にお菓子を食べるのは憚られる(実はもう,家から持ち出した子どもが好きなおやつを少しつまんでいた。少しの罪悪感とともに満腹感があったのだった)。とはいえ,なんだか口寂しいのだ。何か口に入れたいのだ。
 

 「コーヒーか。アイスクリームか」

 ボクは,迷っていた。コーヒーにするか,アイスクリームを選ぶのか。その前に,車内販売の売り子さんに声をかけるべきか,我慢するべきか。
 「うーん」
 

 その時だった。
 「沿線のお土産など・・・」
売り子さんだ。ボクはそちらをチラ見した。ドギマギしながら,思春期の男の子が意識する子をこっそり見るように・・・。「できる事なら気づいてくれ」他力本願だった。

 なぜ,他力本願を選んだのか?声をかけるか,かけないのか?という決断を放棄して,気づいてもらうという作戦を選択した。否,運命に身を任せた。
 一回だけだが,飛行機の機内販売でCAさんに気づいてもらったことがある。きっと,物欲しそうにしていたのだろう。機内販売のカタログを渡され,「いかがですか?」と満面の笑みで聞かれたのである。その時のボクは,「仕方ないな」といった風に注文し,(実際には汗をかきながらペコペコと注文した)恥をかかなくて済んだのである。なんせ,めんどくさい男なのだ。その時の成功体験が,ボクにはあった。
 

 しかし,・・・。その日,その方法はもろくとも崩れ去った。売り子さんは,僕をチラッと見たような気がしたが(ボクの希望的観測??),ボクの横をそのまま通り過ぎた。
 

 行き過ぎる彼女の後ろ姿をボクは見送っていた。
 

 この世は,ままならないものである。そう,ほとんどのことは,思い通りにはならない。ボクは決断を迫られていた。新幹線は,新山口駅を通過していた。あと何回チャンスが得られるだろう。でも,「このままならこのままでもいいや」僕はややあきらめかけていた。

―チャンスは一瞬,しかしそれは,ままならぬもの

 そのときだった。彼女が,帰ってきたのは。 「どうする」ボクは自分に問いかけた。「このままでもいい」という気持ちと「アイスが食べたい」という思いがそこでせめぎあっていた。あれっ!?コーヒーは??不思議なことに,その時は僕の心の中にコーヒーはなかった。いや,正確に言うと,コーヒーはアイスクリームの裏,一部はこのままでいいの裏に追いやられ覆われていたのだと思う。 売り子のお姉さんが近づいてくる。ボクの心のアイスクリームが,グングンと心の中の領域を拡大し,支配していく。その時だった。アイスクリームの陰に,コーヒー現れた。お姉さんが近づいてくるその距離が縮まるほどに,大人の象徴であるコーヒーが子供のあこがれアイスクリームをエイヤーと押し込んでいくのだった。

 「す,すいません。・・・すいません」
完璧なタイミングのはずだった。彼女の歩くスピードに合わせて,ボクは間合いを計っていた。彼女は,同じペースで近づいてくる。そして,「今だ!!」ボクが声を発しようとした瞬間。・・・。前の席の男性が頭をかいた。
 

 ほんのちょっとしたすれ違いが,全てを狂わせることがある。ボクの計画は完璧なはずだった。それでも,予想通りに世界は動かなかった。
 彼女は,一瞬前の席の男性へ視線を向けた。「す」止めようとした声は,僕の口から洩れてしまった。彼女が僕を見た。慌てて,ボクは言い直した。「す,すいません」明らかに声がかすれていた。しかし,彼女には届いていただろう。しかし,彼女は待った。それは,きっと彼女の間だったのだろう。彼女にとっては日常の時間が流れ,焦るボクにとっては非日常の時間が流れていた。当然僕が先に動いた。
 

 「すいません」

 なるべく穏やかに,紳士的にそう言ったつもりだった。でも,何だかペースを失ったボクは,「はい」優しい笑顔で微笑む彼女の姿に「アイスクリームをください」そうつぶやいた。きっと,こういうのを退行というのだろう。「授業で防衛機制を教えるときに使おう。タダで起きないのだ」ボクは自分に言い聞かせた。

 本当は,「固いので少し待ってお食べください」と言ってアイスクリームを渡してくれたお姉さんにも,そのまま眠りについた前の席のおじさんにもそう伝えたかったのだった。
 

 ボクの博多の研修は,そんな波乱の始まりだった。

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