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やすこ、離婚する(した)

なぜか昔から、辛く苦しい出来事はいつも春にやってくる。

あれもこれも、全て決算の繁忙期と誕生日とセットな記憶。

全部乗り越えたらご褒美みたいに夏がくる。
はずと信じてる。

離婚というものは夫婦のこと、家族のことなので別に事細かに公表することでもなく。
私、可哀想でしょ??というつもりもなく。

ただ、前のnoteと同じように吐き出したかったから。なんとなく残しておきたい気持ちがあったからこのnoteを書いています。

離婚とは辛く悲しいものか、それとも明るい幕開けなのか。両方とも正解ではないかと思う。

辛く悲しいというのは決して別れが悲しいのではなく、あの日々は何だったのだろう。という虚無感が津波のように襲っては、もうこれ以上ないぐらいに心をえぐって削って、ボロボロにこそげ落としていく感じ。頼むからもうやめてくれ。

この結婚生活で私は、自立心が育ち、人への甘え方を忘れ、お金の作り方を少し知り、そして自己肯定感が下がった。人は大切にされないと、どんどん自分の価値を自分自身で下げてしまうことを実感した。でも強くはなった。弱くもなった気もする。

私が生きていく上で1番重きを置いているのは大切な人を想い寄り添い、助ける気持ちで、相手にはそれが致命的に足りなかった。それが限界に達した。ほんとはもう何年も前に限界は来てたのに無理矢理蓋をしてた。
娘があんな風に育つことを考えたら逃げて正解なんだとホッとしている。ただの悪口やんと思ったでしょ。うん、そうだよ。


何万回でも言い続けるが、期待を裏切られ続けると人の心は壊れ、そして一度壊れると戻らない。
大切な人を失いたくない人は何万回でも胸に刻んでほしい。

ただ、(元)我が家においては、相手がアスペルガーであったためここまでの事態を招いたわけで、相手に寄り添おうと努力している人達はきっと大丈夫。と思う。

知らんけど。


今となっては結婚は私にとっては壮大な賭けにしか思えなかった。その賭けに私は負けたのだろうか。それももう分からない。

ただ一つ言えることは、私には私の幸せな人生がきっとこの先にあるはず。折り返しの年齢に来たのだから自分で幸せな人生を実現していくしかない。
娘にはこんな悲しい思いはさせたくない。


自分を傷付ける人間から離れて、大切にしてくれる人を大切に。
自分が決断できたからこそやっと娘に言える気がする。

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