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韓国のりの約束

またまた20年以上前の話です。 時は97年アジア経済危機でマレーシア、インドネシア、韓国などが国際通貨基金からの援助を受ける条件で、色んな要求を受けていました。 韓国では財閥整理を進めなくてはならなくなっており… その影響の出来事はまた別の機会に。 やはり経済危機ですから、企業業績も悪化して、取引先が「和議」申請。 自社の5百万円強の売掛債権回収にプサンに通うことになりました。

債権回収

今の民事再生などと同様に、債権者の同意を得た管財人が債務毎に区分けして返済優先順位を決めるという手続きに。 カウンターとなった取引先の経理課長チェさんのところへ通うこと数回。 会社は必ず再生するという強い意思をお持ちで、その時に我が社との関係は大事になるから、と管財人の判断を要しない営業債務として区分し、必ず返済するとの計画を一緒に検討いただきました。 なんだか兄弟のような不思議な友情が芽生え、仕事の打合せ後にチャミスルをともにしていると、実はセカンドキャリアの事業アイデアがある。 韓国のりの製造機メーカーに親友がいるので、安く生産ラインを立ち上げられる。 いつか日本で販売会社を立ち上げるので、一緒にやろう、と。

約束の行方

分割払いなどの工夫で債権回収は上手く済んだ頃(取引先も大手の資本参加があり、再生)、第一次韓流ブームがやってきました。 韓国料理を食する機会も増えて、時すでに遅しと思いつつも、韓国のりを口にする度に、チェさんとの約束を思い出しました。 さらに数年後、Facebookで懐かしい顔からメッセージが来て、なんとチェさんはタイの同業者の役員をされてるとのこと! 最近ついに勇退されたのですが、バンコクに住み着いて、頻繁にご夫婦であちこち旅をされてる写真をみかけています。 何度も誘っていただき、そのうちにと思いつつ、自分は新大久保で飲みながら、アジアのどこかでの楽しい再会に思いを馳せているのでありました、笑


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