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23 years ago

社内ベンチャー時代に起こった話を続けます。

2001年9月10日(月)

夕方になって、当時のビックボスから急な呼び出し。今週末の経営会議報告に同席してくれ、との指示で、明後日からの出張予定を1週間延ばすことに。既に帰宅済みだったバディF君にも連絡。翌日発の前乗りを止めてもらう。F君と同期のNYC現地法人の駐在員T君に出張延期とホテルのキャンセルを連絡。

9月11日(火)

朝から多忙な一日。訪問予定の在NYCのスタートアップに出張・打合せの延期を連絡。翌週にズラすためのアレンジ変更を旅行代理店に指示。別用もあり、なんやかや忙殺されているうちに、夕方過ぎに。帰り際にF君を捕まえて、一杯やりつつ、来週の作戦会議。ほろ酔いのまま、22時少し前に自宅の最寄り駅に到着。タイミングよく、今はなき北海道の父から突然の電話
(父)「パピちゃん、無事か?世界貿易センタービルがトンデモない事になっている。」
(パ)「どこの世界貿易センタービル?」
(父)「ニューヨーク!」
(パ)「パピが働いてるのは浜松町の貿易センタービル!」

※世界貿易センタービルは世界中にあり、当時 浜松町は最も古い建物でした。

足早に駅から5分の家に着くと、シェリーちゃんがニュース中継に釘付けになっていた。航空機がビルに突っ込んだ?! そんな事故が??? 一緒に見ていると、2機目がツインタワーのもう一棟に激突?! 映画でも見てるような、いや現実にそんな事故が…ある筈がない。テロか?

9月12日(水)

一日にして、世界が変わってしまった。それでも仲間の安否を気にしながら、仕事。F君が前乗りしていたら、当日どこかで巻き込まれていたかも知れなかった…と少しだけ安堵しつつも、現地法人社員や駐在員仲間からの連絡が来ないか、期待する。宵も更けてNYCから電話。T君だった。
(T)「パピさん、ホテルキャンセルしときました。いつに変更しますか?」
(パ)「えっ、そうじゃないでしょ。皆さんご無事?」
(T)「あ、、、はい。駐在員は大丈夫です。出張者もアメリカ全土で足止めになってますが、直接の被害者は無いようです。」
(パ)「良かった。皆さん、安全第一で。出張の件はまた連絡します。」

なんだか気が抜けてしまった。

その後

2週間後、本社のリスク対策部長に念書を出して、改めてF君とNYC出張。
すべてのイエローキャブ、街中に星条旗が掲げられて。宿泊ホテルには全米から招集された消防隊員がいっぱい、昼夜なく交代出動。地下鉄が停まった日に乗客が手を繋いで地上駅まで一緒に歩いたニューヨーカーらしからぬエピソードも聞いた。(ブラックアウトの原因は、しっかりカナダのせいにしたらしい、笑)
スタートアップの事務所がウォール街にあり、グラウンドゼロにも近く、立ち入り制限の影響で難儀しながらも辿り着き
、打合せは首尾よく運び、ライセンス契約する方向に。

出張自粛令(禁止ではない)の中、何が自分を搔き立てたのか?もちろん、テロに屈して日常を変えたくないという意地というか昂揚状態、そして仲間が避難していないという事実。※当時の代表駐在員が芳名帳にサインしろ、との昔気質で…次の署名者は同年12月になってからだった。

ただただ、「忘れないため」の投稿にお付き合いありがとうございました。

このスタートアップとの契約で始めたサービス事業の面白い苦労話はまた次の会で???

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