お母さんとのおもいで


33歳の年に、親から長いモノを送るという風潮。


3つ上の姉は、知らないうちにティファニーのネックレスを買ってもらっていた。だから何年も前からお母さんは私たち双子にも買ってあげるってはりきってた。


年が明け、わたし達は32歳になる。つまりは数え年で33歳になる。


1年先まで生きれる保証がない数年を過ごしていたから、
ここ最近は誕生日も還暦もなにもかも、数え年でお祝いすることが続いてた。祝えるうちに祝いたかったから。


お盆に関西に行って、オニツカタイガーで2歳の孫へ運動会用の靴を買うこと。

9月にその靴を履いた大好きな孫の、初めての運動会を見ること。

それが終わったら?

いっこずつ、いっこずつ、すぐそこのイベントを自分で作ってはそれまでは生きよう。って目標にしながら、なんとかやっていたお母さん。


9月に運動会を見ることは叶わなかったけど。



この年の8月は長く愛媛に帰れていて、
今振り返っても人生ってほんとうにうまくできているなぁって思う。

いつも通りの夏をもし過ごしていたら、お母さんが死ぬ時にわたしはきっと隣にいられなかったから。

例年通りだと、せいぜい実家に帰れて3日程。だけど何故だかこの夏は、2週間の滞在を決めていた。不思議だね。



8月20日、お昼ごはんを食べ終えて家まで帰る車の中でネックレスの話題になった。

"来年のネックレス買うまでは生きててね。"

そう言いながら運転する双子の姉。

"買って欲しくない"って言いながら助手席に座ってるわたし。

だって、形見みたいになるやん。笑
そう笑いながら言ったけど。

本当にいらない。って思ってたよ。

まだ来年まで大丈夫って心底思っていたけど頭の片隅のどっかではもう長くないってちゃんとわかっていたのかもしれない。


カタチに残るプレゼントが嫌だった。
アクセサリーは尚更だった。

いつか壊れるし、わたしはアクセサリーをすぐなくすし。
自分で買ったならキモチの折りあいがつくけど
お母さんから買ってもらったものほど、その時を考えたら悲しくなる気がしたから。
ちぎれる時。 壊れる時。 なくなる時。

その時はきっとなにかが起こる気がして
こわかったのもあるかもね。

そんな気持ちがもしやってくるならと考えたら最初から欲しくなかった。


それに、カタチで残る思い出より、記憶で残る思い出が欲しかった。


ネックレスを見て思い出すお母さんより
今一緒にいるお母さんをいつまでもいつまでも鮮明に覚えていたかった。


モノはいらない。と、カタチないものを欲しがったわたし。


"別に形見じゃないし、記憶って忘れるやん"
"まぁええやん。買うけんね"
そう言ってきたお母さん。



約束はしたようでしてないようで。



お守りみたいなものが例えばあったとして

ないと不安になったりそわそわしたり
モノにエネルギーを注ぎすぎると本末転倒。
何もなくとも、大丈夫なわたしで在ることが
1番ヘルシー。

今も昔も未来も、そう在りたい。




それでも、お葬式も何もかも終わったあと、
お母さんのクローゼットから2枚のニットとズボンを持って東京に帰ってきた。


わたしとお母さんはタイプが全然違うし
好みドンピシャな訳じゃないのに
持って帰ってきた。


たぶん。きっと。

お母さんを思い出せる"モノ"が欲しくなったから。


ニットだってズボンだって いつかはボロボロになって着れなくなる。

それでも手元に欲しくなった。

そしてあれから5ヶ月経とうとしていて
確かに記憶の中は少しずつカタチが薄れていっている。


怒っていた姿、病気でしんどそうにしてた姿、なにもしてない姿、会いたくないって思うくらいむかついた時、わかりあえなかった時、そんなリアルな姿は少しずつ薄れていっていて、覚えていたい部分だけが残っていく気がする。


元気だった姿、はじめてかけっこの競争で勝てた時、ビールを飲んでいる姿、似合わないお化粧をして参観日に来た時、おしゃれが好きだった姿、まっすぐに、かっこよくいてくれた姿。



わたしはこれから少しずつ、月日が何十年と経つごとに都合よく、記憶の中の良いところばかりを思い出すようになるのかな。
写真の中のお母さんを見てしか思い出せなくなるのかな。



モノに意味はない。モノに価値はない。

今もそう思ってる。


それでもお母さんが死んだ時、寂しくてお母さんを思い出せるモノが欲しくなった。



目に見えないものを大事にできるのは、
目に見えて、触れることができる物質があるから。


そう思う。



身体は消えて姿カタチは見えなくなっても魂はいつも近くにいる。

お母さんのエッセンスは、確かにわたしの中に存在している。


だから寂しくなんてないってそう思っていたのに。


頭ではわかっているけど、心が追いついてなかった。


そんな時に、"モノ"はわたしを確かに抱きしめてくれた。
寂しさを受け止めてくれたし
背中を押してくれた。



モノが増えすぎて、もうこれ以上この地球に新しいモノなんていらないんじゃないかって、


資源は使い捨てられる消費社会で、モノへの執着を解き放っていく事が健全なんじゃないかって、

ずっとそうやっておもってきたけど

これは半分YESで半分NO。


お母さんとの別れの出来事から、学ばせてもらった。




カタチあるものと、カタチないもの。


目に見えるものと、見えないモノ。



なによりも大切なのは、バランス。


わたしはこうやって、死んだ後もお母さんから学んでばかり。



ぴんくのニットを、
オレンジのニットを、

大好きだったY'sのズボンを。


手に持つ度、それを着ていたお母さんを思い出す。


一緒にいた頃の感情を思い出す。


映像での記憶は少しずつ薄れていくけど、


感じた記憶って忘れない。


2023年の短い夏を、わたしはこの先もずっと忘れないと思う。


いつもとなんら変わらない家族と
特別で特別で、最後なんだろうなという実感と



たくさん泣いて、毎日泣いて、止まらず泣いて、

家族がいてくれてよかった。って思った感情も
この人の娘でいられて誇り。って思った感情も

見せたかった姿見せれなかったなっていう後悔も


たくさん手を握って、足のマッサージして触れ合ったあったかさも


全部。





モノはいらん。って思ってたのにモノに救われた。



わたしをまたひとつ
しなやかに、つよくしてくれた思い出。

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