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未完成を愛する人生。


未完成を生きていくのが人生だとおもうの。

自分の未完成を、別の誰かが愛してくれることは
ロマンだなっておもうんです。

それに救われることが旅の途中では多くある。

1番近くで、その歪な形を抱きしめてくれる人。
恋人にはそんな魅力がある。

かっこ悪さを他人に見せるのって勇気がいることなんやけど、

かっこ悪いをみせたくないのは
ピュアじゃないからなんかなっておもってみたり。

人間の未完成さって、なによりも魅力的なのにね。

できないこととか、掴めてないものとか
足りてない部分とか、そこに魅力の養分がたっぷり
詰まっていることに、気づけてないんだよね。

コンプレックスがある人は優しい。
コンプレックスを武器にできた人はつよい。

光があるから影もある
影があるから光もある。
そんな考え方があるなかで、

光があるなら、影もあって当然。
が私には1番しっくりくる。

影も光もどちらも主役。どっちも脇役なんかじゃない。
影を悪者にしちゃいがちやけど、それは違う。

影には影の良さがあるから。

未完成な自分を、一期一会のように愛せたら。

それを誰かと分け合えて分かり合えるならもっと美しい。

そのロマンこそが人生の1番幸せな部分やったり。

全てを全員に見せることがいいなとは思えなくて

例えばすっごい笑顔が似合う子の誰にも言わない内に秘めた悩みは、その子の魅力をより際立たせている。

いつもしっかりしてるお姉さんのどうしようもなくだらしない部分が見えたら、すきやなぁっておもうし。

表舞台で輝くひとの、孤独を知る感情やったり。

完成的な部分だけの人よりも、
どこかかけてる方が輝いてみえるのは、
そのバリエーションの幅こそが人を魅力的に映しているから。

"幅を知ってるからこそ"の方が正しいかな。

未完成を愛せない人は、
めちゃくちゃ最高!を生み出してめちゃくちゃ最悪!も同時に生み出す人やとおもうんです。

痩せてる私がめちゃくちゃ最高!なら
太った私はめちゃくちゃ最悪!になる人たち。

光が現れれば影も現れるように。
完成をめちゃくちゃ最高に位置させるなら、
その時点で、未完成がめちくちゃ最悪の位置に絶対に現れてる。

その、最悪になることを嫌がれば嫌がるほど
抵抗したり、恐れれば恐れるほど、
どんどん苦しくなるし、輝きが薄れるんよね。

痩せてる私も魅力的やし、太ってる私も魅力的。
笑顔の私もかわいいし、落ち込んでる私だってこれも魅力。
何も恐れる必要なんてなく、それが魅力やん。

そう思えたら、どんな瞬間も、ほんとは輝いてる。


未完成を愛せる強さを持とう。

悲しみすらも、一部やね。って抱きしめれるように。

そんな人生を、あいしてこう。

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