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Creepy Nutsのファンになりたくない

”ガキのころから夜が好きだった。9時に寝るのはなんか嫌だった。なんとなくただもったいなかった。お前のことがもっと知りたかった。”  (Creepy Nuts、『よふかしのうた』冒頭歌詞)

ちょっと男性目線を感じさせるが、私が”ガキ”のころに感じた、「深夜にはなんか面白いものがある」みたいなワクワク感と、いまだにこの思いを持ってる自分の共感に近い感覚だったと思う。

売れっ子とはまさに今のCreepy Nutsのことだろう。私は古参でもなんでもなく、2019年かそこらで知った勢である。

ただ自分的には、現在日本に住んでいないため、日本で売れてるとかあまり温度感がわからない。だから流行に乗った感覚はなく、YouTubeでたまたま見かけて、勝手にハマっていった、という苦し紛れの言い訳をしておきたい!そして邦楽アーティストにハマるのは倖田來未以来かな。

とにかくCreepy Nutsは大のお気に入りなのだが、決してファンになりたくない、という思いがある。ということでCreepy Nutsについて、その魅力などをおこがましく紹介しつつ、自分の思いの丈を綴る。

Creepy Nutsとは

Creepy Nutsとは、MC(ラッパー)のR指定とDJのDJ松永という1MC1DJからなるヒップホップアーティストである。

2013年から活動しており、現在はソニー・ミュージックエンターテインメントに所属している。

R指定氏は日本のMCバトル大会、UMB(Ultimate MC Battle)で3年連続(!?)1位となった。DJ松永氏も世界一のターンテーブリストを決めるDMC WORLD DJ CHAMPIONSHIPS 2019で優勝している実力をもつ音楽ユニット。

YouTubeの再生回数から、こちらが代表曲と判断。

基本的にはトラックをDJ松永氏がメインで作り、歌詞をR指定氏が作っているようだが、曲の要所要所に2人の想いやバックグラウンドなどが散りばめられている。

最近では、俳優の菅田将暉の連名の曲を出したり、情熱大陸への出演を果たしたり、テレビ朝日で冠番組を務めるまでになっているのだ。

Creepy Nutsの魅力

さて、ここまではWiki的な説明であったが、ここからは私なりの解説を。

私は音楽に詳しいわけでもなく、ましてヒップホップというのはほとんど足を踏み入れてこなかったので、音楽・ヒップホップという観点から分析はできないが、そんな私でも引き込まれた点を紹介したい。

①振り幅の広さ ②考えと言葉選び ③生き様

① 振り幅の広さ

彼らには、わかりやすく面白い部分がある。それはヒップホップユニットなのに全然ヒップホップユニットっぽくない、というギャップ

ヒップホップというと「Yo! Yo!」みたいな、タブタブの服きた悪そうな輩のイメージが強いのではないだろうか。DJはクラブが職場で超チャラい、とか。

彼らはまさにその真逆に近い。

(写真は2人がメインパーソナリティであるニッポン放送、オールナイトニッポンゼロに、2人が敬愛するオードリー若林氏がゲストできたときの写真)

上の写真の1番右がR指定氏。髭や長髪こそ「ラッパーっぽい」かもしれないが、長髪はキムタク憧れからきているらしい。さらに、学生時代は全く不良ではなく、なんなら成人を迎えてしばらくは素人童貞だったらしい。

1番左がDJ松永氏。ビジュアルからDJ的チャラさは感じないのでは。それどころが、30年間彼女がいたことがないと公言。ただ、この点に関して、自分は「童貞DJだ!」的な売り出し方をしたいわけではなく、聞かれたら答える、というスタンスらしい。「童貞DJ」なんて、キャッチーすぎるだろ。ほっとけないだろ。ずるい、このギャップはずるすぎる。

ちなみにこの「典型的なラッパーやDJのようにチャラくないし、モテない」というポジショニングだが、彼らが絶妙に「絶望的にモテないわけではなさそう」という雰囲気がずるい。

むしろ、彼らの日陰感は、一般の人の共感やアングラ*感をさらに強めてさせいると思う。

*アンダーグラウンド。ヒップホップは元々、多数派の社会に向けて、地下的反骨心をエネルギーに文化を作ってきた背景がある。

さらに次の項目は、このギャップのフリがさらに利くようになっている、周囲を黙らせるようなものだ。

それが彼らの圧倒的な実力

先ほど紹介した通り、Creepy Nutsは2人ともそれぞれの分野でトップの実力がある。

ヒップホップに詳しくない私でも、R指定氏のフリースタイル(即興)のラップバトルは爽快に感じる。また、その場でランダムに選んだ単語をつなぎ合わせてラップする、『聖徳太子』スタイルをテレビで見かけたことがある方もいるのでは(是非ググってみてください)。

一方、DJ松永氏のDJスキルは素人目から見ると、凄さがかなーりわかりづらいが(笑)、クラブDJのように曲と曲をいい感じにつなぎ合わせるというものではなく、ターンテーブルを楽器にして演奏をするようだ。

ルーティーンと呼ばれる演奏は、失敗すると音が止まってしまったりするらしく、年に1度の大会のために1年かけてそのルーティーンを制作・練習するようなプロが集う、かなりディープなものらしい。

私の乏しい知識では、これくらいの説明に留まってしまうが、彼らがトップの座に選ばれていることが何よりの証拠だろう。

そしてこれはギャップという観点に戻すと、「典型的なラッパーやDJのようにチャらくないし、モテない。だけどラップ・DJの実力は日本・世界イチ」という畳み掛けギャップになっているのだ。

なんだこのパッケージは。

② 考えと言葉選び

これは彼らの本業である曲作りに深く絡んでくるのかもしれないが、2人とも些細なことでも、自分の考えを言葉にして伝えて、面白くしてくれる。

冴えないけどラッパー、DJとしてやっていくといったメンタリティや社会風刺的なCreepy Nutsの曲が共感をよんでいる(面白がっている?)ようだ。

トラックや歌詞(韻)については、非常に芸が細かいように感じる。『中学12年生』では、情景が伝わるような効果音がリズミカルに入っている(ドライヤーとかクリックとか、ドアの音とか)。おそらく「チャッチャッ」って入ってる音は口で鳴らしているものをサンプリング*したのでは?

*オリジナルの曲や音を参考にしたり、一部切り取って曲を作るのを「サンプリング」というらしい

トラック・韻については、正直私がわかる範囲ではまだまだ浅い。これはYouTubeなどのコメント欄でお詳しい方が隠語を解説していたり、どことどこがかかっているのか、などを説明しているので是非ご参考に!

彼らはヒップホップという業界でやってきたから、サラリーマンの私にはわからない部分ばかりかと思ったが、周りを少し穿った見方をして切ったりきらなかったりするのは、アラサーの私に遅れてきた中二病のようなものを沸かせた。

Creepy Nutsの考えやそれを言葉にできることは、しゃべりという生業にも至っている。

曲にもみられるような視点や表現力が、しゃべりになるとまた違った面白さが出る(より2人の掛け合いが起こったりもするので)。

このしゃべりスキルの高さは、芸人が多くを締める枠のラジオパーソナリティにアーティストとして抜擢されていることが証明しているのではないだろうか(Creepy Nutsのオールナイトニッポン0)。

元々Creepy Nutsの2人がラジオが好きで、特にオードリーや南海キャンディーズ山ちゃんからも影響を受けているようである。『たりないふたり』はまさに2人が、オードリー若林氏と山ちゃんからなるお笑いユニット、たりないふたりにヒントを得てくつられた曲。

(これはこのコンクリートジャングル(?)にいきとしいける全ての人がわかる爽快ネタが多いと思っている)

ラッパーやDJって「チャラい」イメージがあり、いまいち馴染めなかった2人が、お笑い芸人なのに人見知り・地味・人としてクズ(笑)みたいな若林氏や山ちゃんのように、「その生き方でいいんだ!」というような思いにさせてもらえたらしい。

こういった、マジョリティーや偏見に対してどう解釈し、どう天邪鬼になるか、みたいな部分が彼らのしゃべりにはよく出てくる。

女性に好きな有名人を聞いて、木村拓哉と答えないから、木村拓哉はどうかと聞くと、「別に好きではない」と答えるのは「木村拓哉はもう当たり前にカッコ良いと思ってるくせに、選ぶと直球すぎてベタになっちゃうからみんなそこをそれようとする」的な見解を話していた(R指定氏は「平成は木村の時代。令和も木村」と断見するほどのファン。つい先日、木村拓哉のラジオで共演をはたす)
10代の男子がいう、「俺は巨乳好きじゃない」というのはイキってるだけ。そういう「性欲ない俺」みたいなのに浸っていた時代があったらしい。でもそれは体験したことないだけ。イキんな!一旦知った上で感謝して、自分の好みを決めろ、みたいなことも過去の自分に対して言ってた(笑)

↑私の記憶を辿って書いているので、若干解釈にずれあるかもですが、あしからず。。。あとあまりいい例ではないかもw

ただ、2人の実体験のこもった想いと語りは本当にエンターテイメントで、芸人と並んでテレビ出演が増えているのだ。

特に印象深かったもののひとつが、DJ松永氏のテレビ業界というものへの違和感に関する発言。テレビ局の作る番組では、演者の言ったことがどう編集されて、どう伝わるか事前に全く見ることなく世間に出ていってしまうことに、切り込んでいた。「人の人生にケツ持てないくせに、何オファー出してくれてんだ」と。

おそらく今までテレビ業界にいた人たちにとっては、もう当たり前になってしまってて今更気がつかないか、声を大にして言えないようなことを、スパッと素直に言ってくれたのがエンタメに仕上がっているようだ(最近はテレビへの不満がないか、ほじくられるようになってそれがまた辛いらしいが)。

とにかく!ユニークな視点で、変なものは変!と言える、見解を話せる彼らは、自分たちの変の呪いにかかったテレビ業界に重宝されている。

③ 生き様 

さて、ここまで曲やラジオの内容などを話すとわかってくるが、正直、男子学生が男子トークをしている感はすごくある。私はそんな時、白い目で楽しんでいる感じ(女友達に進めるときは人を選ぶか、曲は選ぶ)。でも生き様は面白いと思える。

Creepy Nutsの2人の表現は、一見強め・下品といった印象もうけるが、誰しもがもやもやとかなんとなく不安に思ってたことを「それでもいいじゃん」「カッコ悪くていいじゃん」と言ったような安堵に誘ってくれることがある。

学校じゃイケてるカーストには入れない。羨ましいけど、別にそーでもない。でも活躍したい。でも怖い。そういう、アンチテーゼをガソリンにして前に進む、という姿が面白くもあり、わかる気がする。

Creepy Nutsの2人は、紛いなりにも芸能界の人ではあるが、有名人のことをたびたび呼び捨てにする(例:キムタク)。これは、彼らとの距離があまりにも遠すぎるので、もう呼び捨てにしているらしいが、キムタクに関しては、キムタクのラジオにお呼び出しをくらい、中学生のようなテンションで大興奮していた。(いつぞやのラジオより)

元々典型的なラッパーやDJっぽくなかった人たちが、そんなステレオタイプとも戦いながら、時にダサさや小物感全開で圧倒的パフォーマンスをするのはなんとも軽快ではないだろうか。

キラッキラな人生じゃないことを認め、素直に面白く話す。それもまた趣深いと思える。

先日放送された情熱大陸では、そんな部分がふんだんに盛り込まれていたのだろう(アメリカからは見れてない)。

なので「ファンになりたくない」

Creepy Nutsの2人に興味がありすぎて、ファンになりたくないという思いがある。いちヒトとして興味があるので、ファンになることは、最終的にその妨げになると思っている。

2人があまりにイケてなさ感を出すから、「いけるのでは」という感覚マジックにかかってしまっているのだとすると怖いが、まぁ冷静に考えれば、多分現世ですれ違うことすらない人たちだろうと思う。また、私がみたり聞いたりしている部分なんて、彼らが大衆に見せる部分でしかなく、メディアが面白く仕立てている部分もあるだろうから、今の自分はトランス状態に陥ってるだけかもしれない。

ただ、肩書きをとったとき、1人の人間として考えたとき、同じ目線で話せる人になりたいから、ファンでいないでおこうと思っている。語弊満載であるが、別に私もトップレベルにすっ飛んで話したいというわけではなく、同じ生命体としてコミュニケーションとりたいといったようなニュアンス。

ん?ファンになった方が、ライブに行った方が、近くなるのかもしれない?

確かにVIP席チケットを購入すれば、彼らを間近でみることはできる。でもこれは近いようで、見上げているし、皮肉にも決して同じステージに並ぶことはないチケットを手に入れたということだと思う。舞台裏や楽屋で同じレベルで話したりすることは絶対にない。

一度「ファン」というくくりに入るとガラスの天井があるように思ってる。相手がすごければすごいほど、ファンがファン枠から出ないようにするセキュリティは強くなる。

あ、恋愛したいとかいう感覚ではない気がしている。てかこちとら会ったことないような人に恋心抱くほどもう夢見る少女じゃいられないんだ。

とかいって、実際どっかで会ったりしたら「ファンデスぅ〜」とか言っちゃいそう。「ファンではないけど興味あります!」って言うシミュレーションしておこう。

main image from Pixabay




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