最後の挨拶

2022年9月29日(木)の放送をもって、MROラジオ書評番組「竹村りゑの木曜日のブックマーカー」は最終回を迎えました。

5年間続けてきた、毎週1冊の本を読み、レビューを考え収録するという生活も一段落です。ざっと計算してみれば、紹介してきた本は250冊ほど。小説もビジネス書も、新書も絵本も漫画も、ジャンルを選ぶことなく様々な本に触れ、リスナーの皆さんに紹介させていただきました。
色とりどりの本を手に歩んできた5年の旅路は、振り返ってみれば大変なこともあったなあと思います。このままでは収録に間に合わないと、半泣きになりながら何度徹夜で本を読んだことでしょうか。最後のページを読みきるまでは絶対にレビューしないという、自分との約束を守るために結構無茶したなあとも思います。

けれど、その無茶な日々こそ、本当に本当に楽しかったのです。

普段は手に取らないような本も、リスナーの皆さんと一緒に読んでみたいと思って選んでみたり、その結果思わぬ発見が得られたり。
通常なら会うことの出来ないようなゲストの方々にお話を伺ってみたり。
もちろん、ともに番組を作り上げてきた金沢ビーンズプランナーの表さんとの月一回のやり取りもとても楽しくて。
そして何より、リスナーの皆様からのレスポンスに何度励まされ、元気を頂いてきたことか。

これらは全て、「木曜日のブックマーカー」という番組を担当させてもらったからこそ得られたものです。
この15分足らずの番組から、私が得たものの大きさは計り知れません。
出会うはずのない、言葉を交わすはずのない、本当に沢山の方と繋がることができた、私にとって奇跡のようなラジオ番組なのです。

時に、数々の本を紹介するうちに、不思議な思いを抱くことがありました。
何の気無しに選んだはずの本が、以前に紹介した本の内容と奇妙にも繋がっているように思えてくるのです。
互いに全く違うテーマを扱っているはずの本であったとしても、2つの本を読み比べることで、新しい問いや答えが浮かび上がってくるのです。
それはまるで「本によって、次の本を紹介されている」ような体験でした。
「私を読んだあとは、この子を読んでみてね」と、本にまんまと誘導されたような気分になることが度々ありました。

例えば、2022年8月14日にご紹介した『ホロコースト最年少生存者たち』です。

太平洋戦争時に、ナチスによって迫害を受けたユダヤ人のうち、10歳にも満たない年齢で終戦を迎え「生き延びる」ことのできた子どもたちの、戦後の足取りを綴った膨大なデータをまとめたものです。

その頃の私は、戦争そのものよりもむしろ「戦後」に関心を抱いていたため、この本を紹介しようと決めました。
今も世界で戦争が起きているのなら、戦後とは一体何なのだろうと思ったのです。

そもそも、私が戦後に関心を持つようになったのも1冊の本がきっかけでした。
かつて番組でも紹介した『知らなかった、ぼくらの戦争』という本の中に「アメリカには戦後という概念がない」と書かれていたのが、何年もの間ずっと心に引っかかっていたのです。

『ホロコースト最年少生存者たち』で特に印象深かったのが、「幼少期に終戦を迎えたユダヤ人の子どもたちは、終戦後、年上のユダヤ人たちから一線を引かれることがあった」という記述です。
まだ幼いユダヤ人の子どもたちの中には、海外に里親に出されるなど収容所に送られなかった者も多く、強制収容所で激しい暴力から生き延びた年上のユダヤ人たちからは、同じ被害者として見られない場面もあったそうなのです。
迫害という壮絶な暴力を受けた被害者たちの間でも、「より苦しんだのはどちらか」という被害のグラデーションがあり、それによって分断が生まれるのだと知った私は、すっかり打ちのめされてしまいました。
この分断こそが、一度振るわれた暴力は止まることなく続いていくことの証だと思ったのです。
傷ついた者のうち、より傷ついた者は誰なのか。それよりも更に傷ついた者は誰なのか。
暴力を受けた痛みはその時限りのものではなく、たとえ直接の攻撃が終わった後も、傷ついた者たちの間でさざなみのように広がっていくのです。

被害にもグラデーションがあり、被害者同士の分断を生むのだろうと感じた私が、次の週の8月21日に紹介したのが『父と暮せば』です。

その頃、劇団「マームとジプシー」の「Coccon」の公演を見たばかりということもあり、「何か戦争をテーマにした、劇の台本のようなもの」というテーマで探したのがこちらの本でした。
どんな物語なのかは、選んだ時点では知らない状態でした。

しかし、読み進めてすぐに気が付きます。
この本も、まさしく「被害のグラデーション」と、それに伴って生まれる「分断」について書かれたものでした。
原爆によって親しい人を皆失った主人公の美津江が「うちはしあわせになってはいけんのじゃ」と繰り返す姿は、戦争という暴力によって二分された、生者と死者の境界線をありありと浮かび上がらせます。そして、「生き残ってしまった」美津江が苦しむ様子は、終戦を迎えても尚続く暴力の余波を、他ならぬ被害者が一身に引き受けていることの悲惨さに他なりません。

『知らなかった、ぼくらの戦争』は、数年の時を経て、私に『ホロコースト最年少生存者たち』を手に取らせました。そして満を持して自らの物語を存分に見せつけた『ホロコースト最年少生存者たち』は、間髪入れずに『父と暮せば』を私のもとに呼び寄せたのです。

暴力は、一度振るわれた以上決して終わることがないこと。
戦争とは壮絶な暴力であり、戦後とは暴力の余波が分断として広がり続けている状態であること。
さらに言うならば、「より傷ついた者は誰なのか」という被害者間の分断と同じように、「より傷つけた者は誰なのか」という加害者間の分断もあるはずなのです。
この学びは、上で述べた3冊の本が私に対して行った、壮大な伏線回収だったのだと思っています。

対話するように、本を読むこと。
その身震いするほどの美しさを、私はこの5年間で存分に味わいました。
同じ感動を、私は皆さんに伝えられていたでしょうか。

実は「木曜日のブックマーカー」には、表テーマと裏テーマがありました。
表のテーマは、「皆さんと読書の楽しさを分かち合うこと」
そして裏のテーマは、「一夜を越える手助けができること」です。

一夜を越える。
それは、私がラジオの可能性を信じて、強く願ったことでした。
めくるめく映像が繰り広げられるテレビほどの華やかさはありませんが、ラジオには隣に座ってお喋りに付き合ってもらえるような、人肌の暖かさがあります。
自分がテレビラジオともに出演しているからこそ思うのかもしれないのですが、ラジオパーソナリティはリスナーの人肌を感じながら喋っていて、それはどんなに頑張ってもテレビでは到達できない近さなのです。
少なくとも、私はそうです。
パーソナリティではありますが、仲の良い友人たちと一緒に過ごしながら、自分に喋るターンが回ってきた時ぐらいの感覚で喋っています。

だから、番組を始める時に私は思いました。

学校で、職場で、家庭で、毎日の生活の中で、本当に苦しい思いをしている人たち。
やっと夜になって一息つけたとしても、明日が来るのが嫌でたまらない人たち。
この夜を越えるのが、怖くて仕方のない人たち。

生きるのに必死だからこそ、どうしようもなく傷ついてしまう人たちに、ラジオであれば触れられるのではないか。
週に1回、たった15分の番組であっても、それを聞くことで何とか明日を迎えようと思えるような番組にできるのではないか。
たった一晩でいいから、この夜を越える勇気を伝えられるのではないか。

私の力を遥かに越えた、あまりに大それた願いでした。
でも、切実でした。

最終回を迎えて、果たして願いが叶ったのかは分かりません。
でも、沢山の人に愛していただいた番組だったということだけは、自信をもって言うことができます。
その中で、誰かの心に触れられた瞬間がありますように。

最後に、番組を応援してくださった皆様に心から感謝をお伝えしたいです。

15分間のマニアックな書評番組を、何とか続けられるようにと尽力して下さった北陸放送の皆様。いつも締め切りギリギリですみませんでした。

5年間スポンサーとして応援し、とことん好きに番組制作をさせてくださった金沢ビーンズ明文堂書店の皆様。世界一大好きな本屋さんです。

戦友、金沢ビーンズプランナーの表理恵さん。今週のお勧め、いつも最高でした。

そして、そして、リスナーの皆様。冒頭の「もくもくです」も、締めの「ばいもく」も、紹介本の「もくぶっく」も、全部皆さんが名付けて下さいましたね。

木曜日のブックマーカーは私の力を越えた番組でした。
それは、皆様のお陰です。
大切にして下さって、本当にありがとうございました。

それでは、またどこかでお会いしましょう。
ばいもく!

<了>





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