論ずることと罵ること
おはようございます♪
文化の日ですね。
最近は
お庭
に興味を持ち、このベンチ座って見せたい景色はなんなのだろう?と少し知的なやさしい趣味をみつけだしている
日本一のキャリアコンサルタント
多和田泰久です。
さて本日のテーマは
論ずることと罵ることです。
ものすごく難しいですよね。
このふたつのちがい
会議の中で論じようとしてもプライドが高く
罵られてると勘違いしてしまう人も少なくありません。
特に経営層に近いとその傾向が強いのが日本の企業の広範囲かなと思います。
しかし、そうでない会社も個人もいます。
罵られていないと思う個人と組織はどのように作られるのでしょうか?
それは心理的安全性があるかないかです。
会社の経営者側も雇われる方もどちらも不安を抱えながら
議論が進むとセンシティブにその話がどう感じるのかを意識せずに自分の心でそれを表現として受け止めます。
逆も然りです。
今の一言はその人のためを思って発言していればなんのわだかまりもありません。そして素直に受け止めれます。
この素直に受け取れないくらいの関係構築の中で議論が進むとただの罵り合いになります。
論ずるとはファクトとエモーションを分けて聴く姿勢にすることが大切に思います。
この事象は会社にとって課題か?
そうでないか?
または、この人は感情に任せてなにかをはつげんしていないか?
など疑うのでなく単純にファクト捉えてそれについてどちらも意見していい場作りだとおもいます。
今の世の中はとてつもない量的情報社会です。私たちが必要なのは批判や否定でなくより良いものにする為に常にファクトからみえるものはなんなのか?
それわ冷静に判断して意見として話ができるかではないでしょうか?
よく私は昔会社勤めをしているとき空気を読みませんでした。
だって意味のない空気を読み必要もない決定事項をただただうけいれるだけでこれは論じているのでしょうか?
それならば論じよう
その論じることこそが会社にとっての利益につながりその先の道が何本でもひけるからです。
noteには何度も書いてますが今の社会は批判と否定が多すぎます。
つまり罵り合いです。
これでは成長どころか自分である意義がなくなります。
ですからみなさんも
心から論ずるその論ずる意味はお互いが大切と思えるからです。
今の論点をしっかりと事実で見つめてその論点が罵り合いにならないそういった関わりができるといいなと思う次第です。
いつも最後までお読みいただきありがとうございます😊ではではおやすみなさい
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