見出し画像

なぜSFCで学ぶ必要があるのか。

前書き

最近、SFCのオープンキャンパスなどで「SFCの魅力はなんですか?」といった問いを受けることが多かった。なので、その答えと自分なりのなぜ SFCにいるのかということを言語化する。そしてそれらに付随して色々と普段SFCに対して考えていることを言語化してみようと思う。

 SFCとは何か

まず、冒頭の質問に答える。SFCの魅力とはなんだろうか。それは「自分のやりたいことや楽しいことを誠意いっぱいやっている人を邪魔する制度も組織も人もいないところ」である。高校や中学、社会や会社においては好きなことをやる際には必ず邪魔をしてくるものがある。もちろん、SFCにはSFC以外の場所における規則なども存在する。文科省が定めている規則や義塾が定めている規則などである。また、犯罪行為などをしようとしているのであれば僕らは同級生が好きなことをしていたとしても止めなければいけない。このような例外を除いてSFCはやりたいことを邪魔するようなことはない。例えば自分の専門を変えたり研究会を変えるという行為が他の大学に比べて大幅に簡単にできる。カリキュラムは無いに等しくそれゆえに自分の興味・関心・意欲に合わせて授業や学生生活を設計することができる。この自由こそがSFCの最大の魅力である。
他方、それゆえの代償も存在する。顕著なのが資格が取れないことである。医学部は医師免許、法学部は弁護士や検察官、理工学部は危険物取り扱いなどの資格を取ることができる。資格の主な目的は「その人が適切な学びを得てきたことを証明する」と言うことであり、SFCにおいては建築士などの例外や個人で取得する応用情報技術者などの資格を除いて学部単位で取ることができる資格はほとんどない。そのような仕組みになっているのは「カリキュラムを自分で作る」と言う仕組み上、同じような学びとならないためである。
SFCはまず個人のやりたいことや解決したい問題や関心、興味が先に存在する。そしてそれに合わせて自分の授業などを設計していく。例えば地方創生であればその地方の地理や人口などを考えた上で海外の事例を用いつつ分析を行うと言った具合である。それに対して他の学部ではまず学問が存在する。それに合わせて学んでいく。

一般的な学問とSFC的な学問

以上がSFCでの学びの特徴である。次にSFCでの学びについて個人的に推奨することを述べる。

SFCでした方がいいこと

勉強をしよう

まず自分がSFCで研究会などに参加するときや授業を受ける際に言われたこととして次のような言葉がある。


「脳のことをやるなら医学部と、行政のことをやるなら法学部と、数学のことをやるなら数学科と、同じではなく上回るぐらいの勉強をしないといけない。 それをできて初めてスタートラインに並ぶ。それすらできないならその道を目指すのをやめた方がいい」

https://twitter.com/Yasufumi_Nakata/status/1440546908938780681

SFCは他学部とは違い、カリキュラムを自分で作る。その真意は自分で進みたい人の歩みを止めないと言う目的がある。それを万全に使うのであれば他の学部の人に負けないくらいの勉強をしなければいけない。そしてそれこそがSFC生に求められることである。

実際にやろう

これはSFC生だけではなくほとんどのいわゆる学のあるひとへの意見となるがことSFCには実現ができる人が多いので言及しておく。

上の記事でも言及したが何かを実現する時には批判がでる。どのような意思決定をしたとしても何かを決めれば反対者は出てくる。そしてそれをただ批判するだけではなく実際に中に入って決めればいいのである。

文句があるなら自分が入って仕組みや内容を変えろよ。改善案を言うなら自分が関与してそれをやれよ。ただ言うだけならSFC生の頭なら誰でもできるだろう?それをいかに現実世界で落とし込むかを学びにきたんじゃないのか?それが「Policy Manegiment(総合政策学)」なんじゃない?

https://twitter.com/Yasufumi_Nakata/status/1538242541631737857

口を出すだけならばSFC生では誰でもできる。そうではなくてきちんと変化を作り出してこそのSFC生なのである。例えば以下のような議題についてSFC生は実際に意思決定を行うことができる可能性がある。

  1. 総合政策学の授業はどのように改善できるだろうか。

  2. SBCなどの設備利用についてもっと自由にできないだろうか。

  3. データサイエンス科目や言語科目、プログラミングの授業がもっと単位をとりやすくなるにはどうすればいいだろうか。

これらについて実際に意思決定の現場の中に入って変えることこそが社会に出てからも必要なことであろうと私は考えている。私の好きな言葉に「修身斉家治国平天下」というものがある。身を修め、家を斉える。そうして初めて国を治め、天下を平定することができると言う考え方である。まずはSFC改革から始めるのも悪くないだろう。そして最初に述べたようにSFCは好きなことをしようとしている人を否定しない。もしも提案が良いものであれば受け入れられるだろうし、そうではないなら否定されるだろう。そのような切磋琢磨をすることは今後について良い影響を与える。

もちろん、対象がSFCである必然性はない。バイト先や起業の際など題材はなんでもいい。肝心なのは中に入って実際に行うことである。中に入らなければ見えないこともあるということを知った上でどのように意思決定をするのかを学ぶべきであると私は考える。

2022/09/02 加筆
大切なことを書くのを忘れていたので加筆します。

外に行こう

多くのSFC生がSFCに入るときに評価されることは「その学校/場所/制度において異端であること」である。例えばVRは学校の勉強にはほとんど関係して来ない。また、東大等の一般受験を考えるなら豊富な国際経験は特に役に立たない(英語が喋れたり地理がわかるのはアドバンテージだが高度にシステム化された塾制度においてはその塾にいないことの方がマイナスになると私は考えている)。しかし、それが「異端であるか?」と言う問いに対してはとても有意義なものとなる。高校生のうちから自分なりの研究活動なり体験をしていると言うことはそれだけで尊い価値となる。そしてこれらの人々、特に「SFCが大好きだ」と言う人に限って陥るのが「SFC内で自分の興味を完結させてしまう」と言うことである。元来SFCにくるような人は「授業中」ではなく「放課後」に活躍するような人が多い。だが、SFCに入ることで「放課後」に何もしなくなってしまうのである。これはとても勿体無いことである。SFCに来て、慶應の名前を使えるのだからこそ外へと興味と活動を向けるべきなのである。同時にそれはその人自身にとって自分自身の認識をするという意味としても価値がある。自分自身を全く異質の空間に置くことで自分の特性を把握することができるのである。

SFC生の価値は『放課後』の時間で決まる

これらの「した方がいいこと」はあくまで推奨であり、強制ではない。ただ、僕の周りで輝いている人はほとんどの人が無意識/意識的に行っていることでもある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?