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魚とペンギン。

このnoteを開いてくださり、ありがとうございます。
NPO法人ETIC.(エティック)、やすだです。


今回で3回目の投稿ですが、
少しずつ、馴染んできた感覚があり、
居心地が良くなってきて、いい感じです。


さて、今回のテーマは、魚とペンギン。
ぜひ、ゆるやかにお楽しみいただけると嬉しいです。


まずは、🐟


本物の生きた魚はそれがそのなかを泳いでいる水から切り離すことはできません。水とともにあってこそ活潑發地(かつぱつぱつち:ぴちぴち躍り跳ねる生きのよいさま)に泳ぎ回る生きた魚といえるのです。

だから、魚をその生きた姿のまま捉えようとするなら、魚だけでなく、魚と水を含む全体をこそ「魚」と見るべきなのです。

しかし、常識的には、泳ぐ「魚」とその環境としての「水」というふうに、魚と水をまず分けてからその組み合わせとして全体を見ています。それはもうすでに分別の立場に落ちているといわなくてはなりません。

そうではなくて、リアルにあるのは継ぎ目のない「一枚の全体」なのであって、いわゆる「魚」と「水」はそれを便宜的に分節したものなのです。

それぞれ異なる相貌(そうぼう)と機能を持つのでわれわれにはあたかも独立した二つの実体があるかのように見えるだけです。

ですから禅的には、こういう継ぎ目のない全体そのもの(もちろん、それは動きのない固定的なものではなく、魚は泳ぎ水は流れる、そういう絶えず変化流動を続ける動的(ダイナミック)なものなのです)が「魚」であると言うべきなのです。

「現代坐禅講義〜只管打坐への道〜」
(藤田一照、2019、角川文庫)


つづいて、🐧


ペンギンは奇妙で、こっけいな生き物だ。足は短すぎて安定しておらず、歩くというよりはよろめいている。身体全体が片方に倒れると思えば逆方向に倒れかかり、バランスを取ろうと時々羽をバタバタと揺らしている。進化の過程でどうしてこれほど不格好になってしまったのだろうと首をひねるかもしれない。

ところが、ペンギンがひとたび陸地から水に飛び込むと事情は一変する。

泳ぐために生まれてきたかのように、水中でのスピードは速く、敏捷で、とても楽しそうだ。そして一リットルのガソリン分のエネルギーで二〇〇〇キロも泳げてしまう。人のつくった機械でこれほどエネルギー効率の高いものはない。

ペンギンは、「文脈の力(power of context)」をよく示す比喩(メタファー)だと思う。自分たちの活動する環境によって、潜在力がどれくらい発揮されるかが決まってしまう。

「ティール組織〜マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現〜」
(著者:フレデリック・ラルー、訳者:鈴木立哉、解説:嘉村賢州、2018、英治出版)


魚とペンギン。


このnoteアカウントは、
プライベートと別に、「組織に所属している自分」という人格を
表現するために、新しく立ち上げたものです。


ですので、本来ならば、
仕事のことをメインに執筆するのが、
きっと、もしかしたら、常識的なのかもしれません。


しかし、リアルな「組織に所属している自分」にとって、
仕事もあくまで一つの側面でしかなく、
たぶん色々なものに影響を受けながら、もしくは与えながら、
そのキャラクターは出来上がっていると考えています。


ですので、“継ぎ目のない「一枚の全体」”を表現するためにも、
様々な側面から描いていけるといいなとおもっている次第です。


また、潜在力が環境に影響を受けているということにも自覚的になり、
自分の潜在力が最大限に発揮されるように、日々心がけていきたいですね。


そして、自分が人と向き合うときも同様に、
その人を、“継ぎ目のない「一枚の全体」”として常にみれるように、
日々精進していきたいものです。


最後までお読みくださりありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。


2022年05月19日
やすだりょうた(NPO法人ETIC.)

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