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ソクラテス的であり続けたい。

このnoteを開いてくださり、ありがとうございます。
NPO法人ETIC.(エティック)所属、やすだです。


このアカウントを新しく立ち上げて、
これが2回目の投稿です。


まずはなにより、ひとつ前の初回投稿を
お読みくださった皆さんに対して、感謝の気持ちでいっぱいです。


さて、2回目です。


点と点とがつながり、線になるタイミング。
なにを書こうか迷った、というのが正直なところでした(笑)


意外と勢いで書けてしまう初回投稿(1つ目の点)と、
今後のこのnoteの方向性がじんわり見え隠れし始める2回目(2つ目の点)。


なにを書くと「正解なのか」とつい考えてしまう自分も含めて、
(良くも悪くも)自分らしさなんだろうなと感じながら(笑)、
庵野秀明さんの、この言葉を、ふと思い出していました。


庵野 自分のリアリティなんて自分しかないんですよね。

「庵野秀明 スキゾ・エヴァンゲリオン」
(庵野秀明、1997、太田出版)


なにを書こうか迷った結果。


タイトルの通り、
「ソクラテス的であり続けたい。」となりました。


つまりこの投稿は、自分の願いの表明です。


とくに人と向き合うとき、
以下に書かれているようなソクラテスのスタンスを、
つねに大切にし続けたいとおもっています。


ソクラテスの活動の核心は、彼が人を教えみちびこうとしなかった、というところにある。(中略)

ソクラテスの母親はお産婆さんだった。そしてソクラテスは自分のやり方を産婆術にたとえていた。たしかに、子どもを産むのは産婆ではない。産婆はただその場に立ち会って、お産を手伝うだけだ。ソクラテスは、自分の仕事は人間が正しい理解を「生み出す」手伝いをすることだ、と思っていた。なぜなら、本当の知は自分のなかからくるものだからだ。他人が接ぎ木することはできない。自分のなかから生まれた知だけが本当の理解だ。

「新装版 ソフィーの世界〜哲学者からの不思議な手紙(上)」
(ヨースタイン・ゴルデル、2011、NHK出版)


「問い」であり続けたい。


さて、このnote自体も(アカウントも各投稿も)、
同じく「問い」であり続けたいと考えています。


ときに、自分の意見や結論も表現したいとおもいつつも、
たとえば、今回の投稿のように、「だからなに?」と、
ある種、着地がふんわりしていることもあります(笑)


自分の好きな言葉に、
「美は見る者の目の中に宿る」という考えがあります。


以前、本で目にして、
今回、頭の中から引っ張り出してきたので、
一言一句、合っているかどうかはわかりません。
その点は、あらかじめご了承ください。


さて、つまりなにが言いたいかというと、
読んだものをどう感じるかは、「その人次第」ということです。
ですので、この投稿についても、お読みくださった方々が、
「それぞれ感じたことが、すべてである」とおもっています。


そして、そんな皆さんに対して、
執筆した自分ができることはただひとつ。


世の中にコンテンツが溢れている中、
このnoteをお読みくださったことに対して、
感謝の気持ちをつねに表現しつづけること。


最後までお読みくださりありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。


2022年05月15日
やすだりょうた(NPO法人ETIC.)

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