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アルコール依存症の父が急逝。

1月2日父が住んでいるアパートを訪ねると普段と違う様子に気づき一瞬で状況を理解しました。

亡くなっている。

白くなった父の腕を少し動かしてみると硬くなっていて、すぐに救急車に連絡しました。声も震えて、心臓の鼓動も早くなったので心を落ち着けるように努めました。

救急車が到着するまで外で待ち、到着した隊員の方に状態を説明して、中に入りました。脈拍と心電図の確認をして、亡くなっているのを確認し、この状態で病院には搬送できないということで、警察の到着を待ちました。

警察が到着する頃には、少し気持ちも落ち着いてきて、今までの生活や状況を説明していきました。
遺体の写真を撮影し事件性がないか部屋の状態を一つ一つ確認していきます。遺体は警察の車両に運び込まれ、検死のため病院に運ばれることになり、その間に葬儀屋へ連絡して、通夜も行わず家族葬で執り行う事を伝えました。

17時過ぎには病院での検死が終わり、結果外因の要素もなく内因不詳での死亡という結果になり、検案書を取りに行ってきました。

長い1日が終わりました。

次の日に遺体を引き取りに警察署に行くことになりました。遺体は4日に火葬できることになったので火葬場の霊安室に安置するということで付き添っていきました。
安置後、アポートに行き片付けを行なっていきました。幸いにも荷物は最低限にしていたので、物を積み込み掃除機を掛けるのに1時間もかからなかった。軽自動車の後部座席を倒すと何とか全部載せることができて、家電は全て備え付けだったので運ぶ必要はありません。
やはり物を少なく生活するのは大切と実感しました。

1月4日家族と父の友人が来てくれて、7人で父を見送りました。
父の遺骨を家に持ち帰り、我が家に迎え入れた時安堵感を感じた。
母が亡くなってからの4年間は実家を行ききして、家の片付けや父の後始末をしてきました。ここ2年は入退院を繰り返し、その度に病院での対応を行
いどうなっていくか不安が続いた。
父と私はこの4年間お互いに疲弊していたと思う。でもようやく終わったんだなと思うと少し涙が出た。71年間お疲れ様でした、ゆっくりと休んでください、ありがとうと。

2024年は始まったばかりで、転職、家族 墓じまいと色々な課題に直面しているがしっかりと向き合って、自分なりの答えを出し、責任をとっていきたい。
ミッドライフ・クライシス真っ只中ではあるが、乗り越えることで自分が成長できると信じ進んでいきたい。

2024年皆様がいい年になるように!
最後まで読んでいただきありがとうございました。

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