差別には「これぐらいならセーフ」は無い。
たとえば、アメリカ在住で日常的に差別を受けていたアジア人の女性が、辛く悲しい日々をおくっていたある日、BTSのラブマイセルフ語録やLYSに出会い、心を救われていたとする。
BTSを大好きになって、美しい歌声のグクが大好きになって、ソロシングルを一生懸命応援したいと、3Dを聴いたとする。
彼の口からでは無いものの、大好きな人の曲の中に差別用語が使用されていたら…。
どんな理由でも、差別を歌にしてしまうようなアーティストとコラボしていたら…。
グクの曲として、歌詞に入っている限り
グクかいつか口ずさむかもしれないとしたら…
いったいどんな気持ちだろう。
大きな物事に隠れてしまったものを、
良い事の反対側で、誰かがどこかでさみしい思いをしているかもしれないことを、
私はテヒョンから教わったから、今3Dの歌詞についてとても悲しんでいるARMYたちの気持ちをどうしても考えずにはいられないんだ。
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さて、重たいけど逃げたくない話を今からする。
差別について。外でもない3Dの話。
待ちに待った、アラームかけて正座でリアタイしたARMYは私だけじゃないはず。
「他メンが最推しなARMYも、大前提でグクの事が大好きだよね。」
私は今まで何度もARMYとこの話をしてきた。
私が出会った16歳のグクはとてもやんちゃで可愛らしかった。
ジーッとジミンの後で直立するグクを、忘れられないARMYは多いんじゃないかな。
その面影をもちつつ成長したグクを愛しく思い、応援せずにはいられない。
そして、ヒョンたちが大切にしているグク。
グクが幸せじゃないとヒョンたちが幸せじゃない事なんてARMYなら皆がわかっている事。
ガキだけど、冷静で恥じらいを知っていて、視野の広いグク。小さい頃から大人なグク。
グクの事が大好きだから、今日はARMYとして伝え合うことを諦めたくない。
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ARMYの定義にファン歴は関係ないとはっきり思う。前提条件としてARMYに優劣は無い。
ただ今日は、10年と4ヶ月、彼らをリアタイしてきたからこそ肌で感じられた事があったなと思う『BTSと差別』について純粋に、ストレートに話したい。
その話を踏まえて、3Dについて一緒に考えていけたらなと思うから書き残すという選択をした。
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BTSと差別。これがリンクする時、
①BTSは差別を受けて来た側
②差別の無い世の中を願う立場の仕事をしている
③たくさんの配慮を通し、信頼を取り戻そうとしてきている最中
この3つは要だと思う。
①はアジア人差別、アイドル差別、弱小会社への差別。
やられた側のBTSが寡黙に生み出す愛の歌や強いラップは、応援し続けているARMYとバンタンだけが理解できる嘘偽りないメッセージと心の叫び、差別を乗り越えた証だ。
②こちらは言うまでもなく国連ユニセフバイデンさんとの対談。
(割愛)
そして③。
BTS側が世の中とARMY(私という、いちARMY)から、信頼を失いかけた過去があるという点。
3Dに限らず、今まで幾度かこういう時がARMYとバンタンとの間にあった。
わかりやすいのは
・原爆ティーシャツ(日本からみたら侮辱行為)
・女性蔑視曲(差別と侮辱)
その度にARMY達は、直接集まったりもしながら何度も話し合い、事務所へ嘆願し、説明を求め、署名し、誰かが傷付く恐れのあることは、ARMYの総意として一枚岩で抗議した。
(100%の総意ではないけれど、“ほぼ”100%なほどのまとまりの強さを見せていた)
確かにバンタンが何をしても全肯定する人も居た。これは悪意ではなく、感覚の違いだから咎める対象ではない。
ただ、差別というのは「聞かなきゃいい、見なきゃいい」は理由にならない。
この地球上から“無くそう”としている問題。
難しいけれど、“悪口、侮辱、批判”と差別は大きく違う。差別は時に絶対に変えられないアイデンティティに刺さってくる。
当時私は上記2つの問題を乗り越えるのは、とてもとても辛かった。
“ARMYやめなきゃいけないかな”(喪失感)
“どうしてこんな事に………”(戸惑い)
“どうして事務所チェックしなかったの?”(怒り)
“嫌韓の日本人から猛攻撃をうける日々…”(爆発しそう)
ただ、乗り越えられたのには、明確な答えがある。
ひとつは、ARMYの抗議に事務所や本人、関わった方が応えてくれたということ。
然るべきところへの対応や、当事者同士での和解、ARMYへの弁解、釈明、謝罪、そして何より1番は、本人たちが、ちゃんと反省してくれたということ!!
だから未だに外部から、ARMYだからという理由で上記の問題を出され叩かれたとしても、
その後その問題に向き合った彼らの話をすることができるし
「その節は本当にバンタンがすみませんでした。自問自答を繰り返しながら反省していて、今はとても考えの深い人たちになってます」って胸張って思える。
そしてもうひとつは、(これが重要)
その後、表現に対して配慮している様子をいくつも見てきているからだ。
・ladies&gentlemenの言い換え
・2018ビルボード音楽祭 フェイクラブ歌詞差し替え
・『メリークリスマス』が『ハッピーホリデー』へと変わる
他にもライブやインタビューなどの機会がある毎に言葉選びを慎重に行っているのをものすごく感じるから。
本来なら拭いきれない過去の出来事を、彼らは行動で払拭しようとしている。
見て取れるほど彼らは敏感に、より親身に、差別という問題と向き合っている。
いわばまだ “向き合っている途中”だ。
私からすれば、向き合っている途中のBTSのウリマンネから発表されてしまったのが3Dなのだ。
今のままでは、多くのARMYが3Dという乗り越えたい壁を、乗り越えられる明確な答えがない。
「乗り越えられないなら、乗り越えなきゃいい」なんて絶対に言わないで。
私たちが幾度となく乗り越えたから、今のBTSとARMYの信頼関係がある。
ARMYに手を差し伸べることはあっても、ARMYを篩いに掛ける様な事はしないで。
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第一章。
3D。この2週間でたーーーくさんの意見を読んだ。内容は人それぞれ、感覚の違いがとてつもなく大きくて、3Dの話なのか、グク本人の話なのか、差別への話なのか、加熱していて分からなくなっていることで喧嘩さえ起きている。
大前提として、曲が原因で喧嘩が起きている時点で、その曲は世界一のポップスターであるウリマンネが歌うべきハイセンスな曲なのだろうか。
…とも思うが、この章は、3Dの内容でも無く、グクの事でもなく、『差別の認識格差』について書いていく。
そのまえに!このnoteで、自分がどこまで敏感で、時に過敏すぎて、全然鈍感なのかを自己テストして、反対側で悲しんでいる人に目を向けるきっかけになればと、そんな気持ち。
ちなみに3Dという曲を擁護している人に多かった、「3Dを批判している人はグクの事を考えていない。(ARMYじゃない)」という意見。
差別への問題提起は、そもそも『批判』ではないことを知ってほしい。
これが既に“差別”という言葉への認識格差。
そして、グクの事が大事だから問題提起している。どうしても無関心になれない物事だという私の気持ちもプラスさせてほしい。(私のnoteですからね)
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【自己テスト】
・3Dによって深く傷つけられ、傷をえぐられてしまった立場の方(ARMYでもある)が異国の地に存在している。その人の気持ちを考えたことはあるか。
・大好きなグクが差別用語使用曲発表に加担したと捉えられる事に抵抗と恐怖がある。だからこそ事務所や本人から意見を聞きたくて、勇気を持って抗議しようとしている人の気持ちを考えた事はあるか。
・差別用語使用曲を発表したからといって、差別という問題を履き違え、盾にして、グク本人を全否定するような言葉にであったら、一生懸命グクを推している人はどんな気持ちになるのか。
〈〈・「グクじゃなくて白人が〜」とジャック・ハーロウさんを“白人”と一括りにして批難している方へ向けて、名前で呼んで意見してほしいと伝えたかった、この4番目の自己テストは論点がズレるのと私が上手に表現できていないために誤解をうんでしまうので削除させていただきました〉〉
(10/13追記)
・(3D関係無く)アジアンヘイトは、アジアにいたらわからない。日本にいたら日本ヘイトされないのと同じ。アジア圏外にいる一部のアジア人が日々、差別で虐げられ辛い状況にあることに目を向けたことはあるか。
・マジョリティの中にいる自分の感覚での差別判断ではなくて、マイノリティ側から見た判断をしたことはあるか。
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前記した通り、日本のARMYだけでも差別への感覚の違いがとてつもなく大きかった。
バンタンの過去を知って、今を見て、差別について、差別用語使用曲について、考えてくれる人が増えたらいいなぁと思う。
みんなそれぞれの感じ方がある。
時にそれがマジョリティとなり、マイノリティとなる。
ただこれ↓だけは私がみんなの頭の片隅においておいてほしい!と思うこと。
【「これぐらいの差別ならセーフ」なんて言わないでほしい。差別に、セーフは無い。】
長々第一章(終)
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(ここからは私の気持ち。これがいわゆるお気持ち表明ってやつです。どう思いますか?とDMを多くもらったので私の気持ち書きます。差別への認識格差の話じゃないので見たくない方は見ないことをオススメします。ただ最後にメッセージかいてるから読んでもほしいな…)
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【事務所とグクについて】
来るグクのソロアルバム、2025年再集結に向けて、乗り越えたい壁。それがまさしく私の思考を2週間拘束し続けている3Dという差別用語使用曲とどう向き合えば良いのかだ。
グクから、ジャック・ハーロウさんの歌詞をどう咀嚼し曲にすることをOKしたのか、率直な話を聞きたい。
事務所には今ここで立ち止まり、ARMYからの抗議に向き合ってほしい。
差別用語使用曲について今ならまだ弁解し、抗議をもとに学びと反省ができるチャンスはあると思う。
その差別用語使用の真意を、そして差別用語をどうしても使わなければならなかった理由を本人や事務所は不安を抱えているARMYに話すべきではないだろうか。
(アンチや別界隈が抗議しているのではなく、ARMYが抗議しているということがこの問題のミソであり、グクがARMYを無視しないだろうと信じたい気持ちばかりである。)
先日ARMY仲間のある言葉が私の胸に刺さった。
“再集結の時”の話だ。
いつか7人が再集結してステージに上がった時、またBTSの波がくるだろう。
その時までこのモヤモヤを引きずりたくないし、7人が揃って歓喜のさなか「でもセンターの歌上手い人って差別用語使用曲リリースしてるらしいよ」なんて水を差されたくはないし、
自分だってグクを見て、そんなこと思いたくない。
その時私は、(今ジミンやナムジュンを全力で庇えるのと同じ気持ちで)全力でグクのことを庇いたい。
庇うには、やっぱり明確な答え、弁解、説明のための学びと反省が今必要なんだと行き着く。
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賛否両論の意見をTwitter上でとてつもなく読んだ2週間。
私は、思ったことを呟くのがTwitterだから、存分に(でも言葉を選びながら)心の内を吐露することはダメじゃないとおもう。
ただ抗議や意見は、ちゃんと事務所にも出さないと意味がないと思う。
差別への真っ当な意見も“お気持ち表明はいらん”と罵られ
グクを擁護する気持ちも“全肯定グクペン”と呆れられる。
日本語版Twitterというとても狭い世界のなかで、ARMYたちが喧嘩腰で意見を述べ合い、庇いあったとしても、争いは増すだけになってしまう。
意見があるなら事務所へ抗議文・説明依頼を出そう。
それが1番の近道だと思うから、私は差別用語使用についての意図の説明要求と質問を事務所へ出した。
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9月29日。
ARMYみんな、グクの曲だから、楽しみだから、応援したいから3Dを聴いた。
グクを応援しているひとへ
愛をくれてありがとうと言うのなら、
グクの曲にショックを受けている人へ
ごめんねがあっていいと思う。
グクの曲として、歌詞に入っている限り、グクがいつか口ずさむかもしれない差別用語。
好きとか嫌いとか、嫌われてるとかそういう話じゃない。
グクのことがとても大切だから、苦しんでいるARMYがいることをちゃんと知ってほしい。
今回この事に言及しているのは、アンチではなくてARMYなんだ。だからこそARMYの名前で意見したい。
グクはARMYを大切にする人だって私は思っている。“嫌われている”って言葉で勘違いしたままにしないで、3Dを聴いたARMYの言葉を大切にしてほしい。
自分を肯定してくれる人だけがグクにとってのARMYの定義じゃないことを祈る。
【事務所とグクについて(終)】
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人生のなかで忠告を受ける事はきっとみんなあると思う。
肯定を抱き寄せ、否定に目を瞑るのでは無く、耳を傾けて学び、そこで得た気づきを自分の糧や生き方にしていくことが、成長するってことなのかなって今回の一件で身に沁みて感じたこと。
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【3Dについて】
例えば
自殺は罪にはならないが、他殺は罪になる。
この方程式に当てはめて【ABG】という言葉を考えてみる。
ABGを自負することは、固着した『真面目なアジア人』という偏見を打ち砕く事ができる要素の1つになる風も吹いているそう。ただ
ABGでは無い人間がアジア系女性に対して発する事は差別に捉えられる。(他殺)
なのでこの言葉自体は複数の意味感覚があり曖昧だと思う。差別だけに使われる言葉ではない場合もあるようだ。
私の3Dへの違和感は、わざわざ『アジア人女性』と、人種をもって名指ししている行為だ。
立場や見方を変えた時、差別を受けたと感じ傷付く人がいる時点でこの曲はアウトなんだとおもう。
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【最後に】
日本の中で日本人に囲まれて暮らしている人がこの問題を「差別ではない」と決めつける事はそもそも出来たことなのだろうか。
今回の件がきっかけで一人でも多くの人がたちどまり人種差別について考えてくれたらいいなと心から思う。
自分が差別と感じない事柄も、時に誰かを差別しているかもしれない。
無意識の差別があることや、立場が変われば見方が大きく変わることについて考えてもらえたら世界は少しずつ優しくなるのかな。
(終)