24/08/26 【感想】JK、インドで常識ぶっ壊される

熊谷はるか『JK、インドで常識ぶっ壊される』を読みました。

筆者が中3のときに突如父親の転勤でインドへ転居することになり向こうで高校生活を送ることになるというエッセイです。とにかくリアルタイムでビビッドな感性が魅力的な一冊! あとがきの、

高校生で心を動かされたことも、高校生のうちに書いておかないと、出会ったことも感じたこともないことになってしまう。青いなら、青いままで残しておくというのも、大切であると思うし、自分が青かったから、そしていまもなお青いから、この作品があります。

という一節に本書の素晴らしさが詰まっていると思います。

たとえば初めてインドに降り立ったときのくだり。
この手の海外渡航モノをいくつか読んでいると外国に降り立ったときに「日本との違いを感じるポイント」ってだいぶ決まった型ができていて、実際に自分の目で見ているつもりでも無意識にものの本やテレビ番組などで刷り込まれた「違い感じポイント」に引っ張られてしまうものです。
でも本書はデリーの街に初めて降り立って目についたポイントが「街中の広告にうつる女性モデルのメイク」で、目の上下を漆黒のラインで縁取ったアイメイクや迫力と貫禄のある眉、ビビッドピンクの口紅を塗って自信ありげに口角を上げた唇を見て「どうやらここでは生気に満ちた力強い女性が好まれるみたいだ」「ここでは、日本の『かわいい』は『弱い』になってしまいそうだ」と考えます。視点だけで面白いですよね。
本書はとにかく等身大に自分の目で見たこと、自分で感じ考えたことをまっすぐに書いてくれています。そのことに誇りと使命感を持って書いてくれていることもひしひしと伝わってきます。

インターナショナルスクールでの生活や異文化交流が面白かったです!
クラスメートのシーク教徒の女子が筆者のサラサラの髪の毛をうらやましがったので日本のトリートメントを使ってサラサラにするというエピソードがありました。シーク教徒は戒律で髪を切ってはいけないことになっているので彼女の髪はとても長く、大量のトリートメントを使い最後には容器から手で直接すくって彼女の髪をサラサラにするんですね。
後日、筆者はその子に尋ねるのです。

「サーニャはさ、髪、切りたいなって思ったことはないの?」

このやりとりでの彼女の回答が個人的に非常に興味深かった。

「なんか、髪の毛を伸ばしていることが、わたしなりに自分の宗教とのつながりを保つ手段っていうか。だから別に切りたいって思ったことないのかも」
(中略)
「じゃあ、そこまで宗教が自分を制限してるって感じてるわけではないんだ?」
「んー、まあね。ほかの宗教と同じで、決まったお祝いとか習慣とかはあるけど、それが毎日の生活に直接影響してるとはあんまり思わないかな。あくまでうちの家族にとっての核みたいなものであって、わたし自身がそのせいで自分じゃなくなるとかはないと思う」

そういう感じなんだ! 日本にいるとなかなか体感することのできない生の声で、純粋に感じ入ってしまいました。ティーンエイジャー同士だから聞ける本当の距離感だと思います。
もちろんこのあたりは宗教によっても家庭によっても環境によっても変わるところでしょうし一人ひとり違うことだろうとは思います。それでも現代の社会や家庭において同居する宗教や信仰が座っている席、そのひとつが僕の中で見えるようになった嬉しさがありました。

でもやっぱり一番共感したのは日本の中学に通っていたころ春休みに海外転居の話を聞かされてから8月に転居するまでの日々の辛さかもなー! 日常のあらゆることに対して今後連続性が絶たれることが決まっているせいで虚しく思える感じ! これは自分も体験したから以外の何物でもないんですが…。
 

さて、筆者は華のJK時代をインドで過ごすことになるという青天の霹靂に見舞われるわけですが、この特別な体験を「出版甲子園」に応募してグランプリを獲得し、この本の出版につなげました。こういうのを見ると、やっぱりこういう普通を得られなかった代わりに得られた特別な体験の受け皿って"出版"だよなあと感じます。

今だとネットも発表の場になりそうに見えるんですけど、実は今のネットで広く求められるものって共感やわかりやすさなので、特別な体験や未知の世界って案外求められないんですよね。バズったり話題になったりするのは特別なものなんですが、求められ通読されるものって共感できたり自分はもう知ってるものだったりする。
この作品がネットで公開されたら「自分もインドに住んでいますが~」で始まる解説コメントが一番上についていたり、「インドのやつ読んだけど~」で始まるツイートが本書を部分的に切り抜いて消費してしまったり、読者の手に届くまでに随分と退屈なものになってしまっていたのではないでしょうか。

こうして考えると書籍の形で刊行するというのは新鮮さを保つパッケージをして流通させるようなもので、特に本書のようにビビッドな鮮度が最大の魅力であるような作品の場合は最適な媒体であり流通形式なのではないかと思いました。