24/05/14 【感想】邪魅の雫

京極夏彦『邪魅の雫』を読みました。
言わずと知れた、百鬼夜行シリーズの第8長編(塗仏はふたつでひとつとカウント)です。昨年、17年ぶりのシリーズ最新作『鵼の碑』が出たことが話題になりましたが、僕はその前の『邪魅の雫』をまだ読んでいなかったので周回遅れで追っかけた形になります。

手が止まっていたのは理由があって…第6長編『塗仏の宴』がとにかく合わなかったのと、第7長編『陰摩羅鬼の瑕』もそんなに刺さらなかったんですよね。なので実は『邪魅の雫』もあんまり期待していなかったのですが…これが最後まで読んでいるといやいや面白い。『絡新婦』以降一番のヒットでした。

ただ最後まで読むと面白いことをやっていたことがわかる本作ではあるものの、その趣向ゆえに序中盤が退屈になるのが本作の痛し痒しなところで…。正直、上巻を読みながら「もしかしてこの小説、京極堂が出ているパートしか面白くないのでは?」と思っていました。ぶっちゃけ最後まで読んでから振り返ってもこれは当たっています(個人の感想ですが)。あ、ちなみに僕は文庫分冊版で読みました。上巻・中巻・下巻にわかれています。
閑話休題、上巻を読み進めていくと、本作における「毒薬」の扱いが段々おもしろくなってくるんですね。

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"毒"がただの凶器を超えてこの作品のモチーフ、テーマになっているように感じたんです。
たとえある人を除きたいと思っても刃物を持ってそいつに近づき自ら突き刺して赤い血が噴き出るに至るまでには大きな隔絶があるのに対して、ただ一雫垂らすだけの行為にはどこか地続きに感じられてしまう。小さくて、静かで、それでいてドス黒い殺意の象徴として毒薬は描かれています。刃物を突き刺すのは自分の行為であるのに対して、飲み物に雫を落とすだけ落として飲むかどうかは相手次第という曲がった責任逃れがあらわれているところなんかも卑劣で露悪的。『邪魅の雫』というタイトルは本書を表すのにこの上ないものです。
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…というメモを上巻時点で書き残していました。そして果たしてこの印象は本作がまさに演出していたところでした。以降は下のネタバレ感想で。

江戸川、大磯で発見された毒殺死体。2つの事件に繋がりはないのか。小松川署に勤務する青木は、独自の調査を始めた。一方、元刑事の益田は、榎木津礼二郎と毒殺事件の被害者との関係を、榎木津の従兄弟・今出川から知らされる。警察の捜査が難航する中、ついにあの男が立ちあがる。百鬼夜行シリーズ第9弾。

『文庫版 邪魅の雫』(京極 夏彦):講談社文庫|講談社BOOK倶楽部

ここからネタバレ


誰かを嫌うことも憎むことも嫉むことも、ありふれたことです。
しかし本作は「雫」によって憎むことがシームレスに害意に繋がってしまう特殊な状況ができあがっていた。それによって殺人という一線を越えた人しか行わないはずの行為が特定の関係性の中でありふれてしまい、入り乱れてしまった…というのが本作の「連続殺人」の真相でした。
上に書いた上巻時点の感想では毒薬は青酸カリのようなものと思っていたのですが、実際は咽ませる必要すらない、もっとお手軽なものでしたね。憎悪を害意、そして殺意へと増幅させる憎しみ増幅装置。まさに邪魅の雫といえましょう。

あえて本作から「トリック」を抜き出すとするならば「神崎宏美の一人複数役」になるのでしょうが、本作はトリックものというにはあまりに複雑…というかあえて言うなら変な話で、変な謎解きによって解体されます。
そして本作のこの趣向のために、犯人になる人たちはみんなモノローグパートが差し込まれており、そして何人かは影響されやすいという特徴が必要になるため薄ぼんやりとしたモノローグにならざるをえない。
その結果として…ぶっちゃけ退屈なんですよね! 当初感じた「京極堂が出ているパートしか面白くない」というのは本作の趣向のためには仕方のないものであり、それはそうと仕方がなかろうと退屈なものは退屈。でもまあ最後まで読んだら面白かったのでね! 個人的には大いにアリです。

神崎宏美のしたことは、憎むことが害意に直結してしまう特殊な世界の中で憎しみを委託したこと。個人的な嫌悪の感情をナラティブな語り(もしくは騙り)に乗せることで憎しみを外部委託した。本作は2003年の作品なんですが、今読むとSNSで毎日やられていることですよね。そして「誰かの憎悪」を受け取った人が、血を見ることなく低リスクで攻撃に転換できる武器を持ってしまっているという状況も、ある意味現代のSNSに近いかもしれません。