24/09/02 【感想】棋承転結――24の物語 棋士たちのいま

松本博文『棋承転結――24の物語 棋士たちのいま』を読みました。

多様な棋歴を辿り様々なポジションにいる将棋棋士24人へのインタビューからなる本書は、そのひとつひとつも勿論非常に読ませるものでありながら、その幅広いカメラアングルを通して羽生時代から藤井時代にかけての将棋シーンを立体的に浮かび上がらせるものでした。
[第3局]の蛸島彰子は取材当時75歳、[第23局]の鎌田美礼は取材当時14歳というところだけ見ても本書のカバー範囲の広さがわかるというものです。(なお本記事中では敬称を省略させていただきます)

プロ棋士の多くは幼少期に将棋と出会い、修行時代を経てプロ入りし、将棋を仕事として何十年も勝負の世界に身を置きます。このように将棋が密接に絡み合った人生を歩んできた棋士たちの言葉はどれも豊かで、プロ将棋という趣味が持つ独特な魅力を象徴していると思います。

藤井聡太の強さについて言語化するものは今までそれはもうたくさん見てきました(将棋の強さはパッ見わかりづらいので、プロ棋士へのインタビューではとにかく言語化を求められているんだと思います)が、佐藤天彦が語っているこの表現が今までで一番しっくりきた感じがしました。

「読みの能力については歴代の棋士の中でも突出してると言ってもいいんじゃないですかね。将棋は読み切れないからこそ、補う工夫が大事だと思われてきた。しかし藤井さんの場合は読みで正しい道を導き出してしまう。(後略)

『棋承転結――24の物語 棋士たちのいま』
――〈[第20局] 佐藤 天彦〉
(太字は当記事筆者による)

この「読み切ってしまえばいい」というアプローチってすごく現代の将棋シーンを表す言葉でもあると思うんですよね。というのも、AIの指す将棋がまさにそうだからです。

将棋には「厳密にはこれが最短であるように思えるがリスクが大きい手」というのがよくあらわれるのですが、人間だとどうしても優勢な側はそういう選択肢を嫌うものです。これは単にリスクを嫌うというだけでなく、人間同士の勝負だからこそ相手に「最短で来られたがこれはこっちにもチャンスがあるかもしれない」という希望を与えてしまうよりも心を折るように指したほうが良いという勝負術でもあります。将棋は一方が投了することによって勝利が確定するのですから、盤面で最短ではない手が勝負では最短だったりすることもある。

ところがAIはそんなことお構いなしに、リスクと天秤にかけることはなく最善と信じる手をまっすぐに指します。本来将棋に運要素はないのですから、本質的にはリスクはない。相手がどう指してきてもいいように全パターンを読み切れば絶対に予想外の出来事は起こり得ない、というのもまた将棋というゲームでもあるのですが、この本質の領域に立ち入れるのはすべてを読み切ることのできる者だけでした。
そこにAIが立ち入り、藤井聡太も立ち入った。

佐藤天彦によるこの評は藤井聡太だけでなく「藤井時代」を定義するものにもなっていくのではないかと感じました。それはまるで、羽生の将棋を正しく評価した表現がそのまま「羽生時代」というトレンドを表したように。

僕が将棋を見始めたのはもう20年も前ですが、その頃はまさに羽生時代でした。僕の将棋棋士に関する最も古い記憶は「羽生七冠達成」です。

「羽生さんが竜王戦で勝ち上がったときの将棋が本当に、キラキラしてて。もうなんか才能の塊みたいな。それを見るとやっぱり、胸が締め付けられるような思いがしました」

『棋承転結――24の物語 棋士たちのいま』
――〈[第15局] 中村 修〉

そして20年前の当時トップ棋士だった先生方のほとんどは今も現役です。

狭き門の中で競技人生が何十年も続くということは、小中学生時代からしのぎを削ってきたライバルたちとの人間関係が何十年も続くということです。プロ将棋の公式戦は1日1局であることが多いのですが、それでも多い人は二三十年かけて特定の相手と通算100回以上対局したりします。
そんな世界を生きてきたベテラン棋士が同世代のことを語るときにはなんともいえない味わいがあります。プロ将棋って見れば見るほど楽しめる、長ーい趣味ですねえ…。

「最近、40代の同世代と会うと『おまえもがんばってるな』みたいな感じになるんです。20代の頃には、競争相手とは口もききたくなかった。だけどいまでは、戦友のように感じられるんです。いまでも若手に負けずがんばっている同世代も、やっぱりすごいと思います」

『棋承転結――24の物語 棋士たちのいま』
――〈[第22局] 飯島 栄治〉