24/04/15 【感想】殊能将之 読書日記 2000-2009

殊能将之『殊能将之 読書日記 2000-2009 ~ The Reading Diary of Mercy Snow』を読みました。

僕は当初この本を図書館で借りて読み始めたのですが、数ページ読んだところでおもむろに本を閉じて後ろの値段を確認しました。この本は買わなければいけないと確信したのです。この本は一度通読して図書館に返してしまえるようなものでなく、所有して、できれば物理書籍として本棚に並べていつでも手に取れるようにしておかなければいけない本だと。とんでもなく面白い本です。

本書は作家・殊能将之が自身のHPに書いていた読書日記をまとめたものなのですが、本書巻末に法月綸太郎が寄せている以下の解説を見ていただくのが早いでしょう。(ちなみにこの本はとにかく殊能将之がSFとミステリを読みまくるのですが、本書解説は若島正と法月綸太郎がそれぞれSF面/ミステリ面を"担当"して書いていて、本作りの丁寧さ・誠実さを感じます)

 殊能将之氏の公式サイトMercy Snow Official Homepageに掲載されたreading diaryは、よくある作家の読書日記とは一線を画している。あえて形式的に分類するなら、リーディングの公開日誌というのが一番しっくりくるように思う。
 ここでいうリーディングとは、まだ日本語に訳されていない海外小説を読んで、出版社が翻訳出版するかどうかを検討するための資料(レジュメ、シノプシス)を作成する仕事のことだ。――(中略)――プロの翻訳家の営業ではなく、好事家の道楽というスタンスでやっているのが、本書のポイントだろう

この「読書日記」で読まれる本は多くが洋書で、最初は英語、途中からはフランス語のSFやミステリを殊能将之が自らAmazon等で取り寄せて読んでいます。あるとき突如「とある事情からフランス語の辞書と文法書を買うはめになった。辞書と文法書が必要な用事はすぐに終わったのだが、せっかく大枚はたいたのに、これではもったいない。」としてフランス語の本を読み始め、フランスのミステリ作家ポール・アルテの作品を読み漁ったりするんですね。「半分勘で読んだ」と言っているんですが、まずこれがすごい。僕は半分も勘を働かせて本を読むことなんてできないです。半分謙遜も入ってるのでしょうけど、これだけでも読書巧者ぶりが伝わるというものです。

そうして読んだ本のあらすじ(数ページにわたってかなりしっかり書いてくれます)や評価を書きつらねているのがこの「読書日記」です。
今日こんにち我々の目に入るあらすじって大体「面白そうに書いてある」んですけど、殊能将之の書くあらすじ(特に本書初期)は本当に筋だけを抜き出してあって繋ぎがほとんどないので、なんだか夢の話を聞いてるような気分になります。紹介されているものに奇天烈なSF小説が多いからというのもありますが。そしてこの夢の話っぽさがたまらなく良いんですね。
そんな原液のような濃厚なあらすじが毎回出てくるので、ストレートのウイスキーのようにちょっとずつしか口にできません。ちびちびと舐めるように読んでいました。

また作品評価の方もめちゃくちゃ率直でめちゃくちゃ気持ちいいんです。

これはコスプレした半裸の女性と可愛い猫がいると幸せという、ほとんど妄想を描いた小説です。

とか書いてるんですよ。これはTwitterのことを言っているのではなく、1953年に書かれたSF小説に対する評価です。
そしてついに飛び出すのが「フランス人は本格ミステリについて何か重大な勘違いをしている」という本書で最も有名なフレーズになります。

ポール・アルテを「読書日記」が読み始めた半年後に、日本で初の邦訳が刊行されるのですが、その売れ行きを気にしたり応援したり、あんまり期待しすぎないでくれよと言ったり、このへんのファンムーブがとても共感を誘うもので楽しいったら。そして次に翻訳されるのはこの作品だろうと予想してはそのたびに外しているのも大好きです。
そして邦訳に伴い日本国内でポール・アルテ作品に対する評価も出てくるようになります。そこに共感したり反発したりして「ポール・アルテ論」から話が広がっていくのが前半の山場でしょう。

2002年5月18日は特に面白かったです。「アルテにとってのジョン・ディクスン・カー」を推理するくだりが非常に興味深い。
曰く、アルテはフランス人なのでジョン・ディクスン・カーを翻訳で読んでいるはずである。そして”翻訳は時代性をある程度消去する。まず、翻訳はすべて現代語訳である”、”さらに、翻訳は新刊書として流通する”。いわば日本人が英米黄金時代の本格推理小説を読むのと同じように接しているはずで、この接し方ができるのは翻訳を介する非英語圏だけである。だから英米では古臭くなってしまったような黄金時代本格に新鮮な憧れを抱ける。新本格ミステリとは非英語圏の産物である。
この論は目からウロコでしたね。

後半はSF作家アヴラム・デイヴィッドスンに凝るようになります。そのきっかけは「新・新・大森なんでも伝言板」という大森望氏(SFに強い翻訳家・アンソロジスト)の個人サイトBBSで河出書房新社の〈奇想コレクション〉企画ネタが盛り上がっていたから、というもの。このへんは当時(2004年)のインターネットらしさも感じられて二度美味しい。
この話題に乗っかって、殊能将之もアヴラム・デイヴィッドスン作品で短編集を編むならどうするか考えはじめ、原書を読み漁りながらラインナップを洗練させていきます。(この過程を日記で追えるのがまた最高なんです)

そして話題に乗っかってからちょうど2ヶ月、実際にアヴラム・デイヴィッドスン選集が出版されると決まったと河出書房新社から連絡があったと書かれます。そして編者は殊能将之。このへんは実際のところ裏でどういう時系列になっていたかは想像するしかないんのですが、めちゃくちゃ夢のある話じゃないですか!? 日記で好きな作家の短編集を好き勝手に考えてたら実際にその編者になるという。出来上がってきた本で原書で読んだ様々な部分が巧みに翻訳されているのを見て、

 一流のプロってのはすごいもんだ、と『どんがらがん(※選集のタイトル)』目次職人をやって、あらためて痛感したよ。同時に「そういう方々をこき使うのは気持ちいい」とちょっとだけ思ったな。

太字部は原文ママ、注は本記事筆者

と言っているところなど本書で最も気持ちの良い箇所ではないでしょうか。

僕はミステリや本の話が好きなだけでなく、このnoteでたびたび書いているように昔のWeb日記も好きなので、本書はもう最高の一冊でした。
この「読書日記」は2009年までやっていたそうなので、これがWebに載っていた頃に僕はアクセスしようと思えばアクセスできてたんだよなあ。やっぱりインターネットは自分で探さないとダメですね…。