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数のおはなし〜「2」という数

「数のおはなし」シリーズです。

「2」のエネルギー(一部)

《2という数》

よく、人という存在や、その為すこと、成すことに上下や優劣はないと言われますが、

結局のところ多くの人はその価値観に憧れつつもなかなかそう思えないということがあります。

2という数は、そのことを端的にあらわしていると感じます。



画像に「繊細の精神」と書きました。
「2」なので「繊細」だけでも良かったのかもしれませんが、それでは「2」のエネルギーが伝わらないと思ったのでそう書きました。

というのも「繊細」という言葉について多くの人は過去の価値観にとらわれているためです。



17世紀フランスの哲学者であり物理学者、数学者でもあったブレーズ・パスカルは、その遺稿(後に「パンセ」として出版)にて、

人間には二つの精神があるとし、哲学において真に重要な精神は二つの内、日常生活の様々な事柄を微妙な心情の動きに基づいて情感的かつ繊細に感じ取り自らを高めていく繊細の精神であり、(中略)一切の事柄を定義し理論立てていく幾何学的精神は哲学の思考においても日常生活においても役に立たないと主張した

(Wikipediaより抜粋・略)

ということです。

この時代に、「2」のエネルギーをここまで端的に洞察し言語化した天才がいたことに驚くとともに、今あらためてこの部分を取り上げたいと思います。

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真に重要な精神は、日常生活の様々な事柄を微妙な心情の動きに基づいて情感的かつ繊細に感じ取り自らを高めていく繊細の精神
\\

「自らを高めていく」
このことを自然に為すからこそ「2」のエネルギーは素晴らしい。
そして、その「2」のエネルギーに触れると、人は自然とその波形と同調し、自らそうなりうるのだろうと感じられるのです。
「2」が「2」であることで、「相対」としてともにおしあげられていくのです。
それは「鏡」でもなく「対比」でもない。

だからこそそのエネルギーがあることで「和む」のです。


パスカルは1、9、7、8の人。
39歳で早逝したのは、人の一生分以上の仕事を終えて宇宙へと還りたかったのかもしれません。

「人間は考える葦である」
という言葉も遺しています。



数のエネルギーは物質現象化する際に、既存の価値観や意識によって次元の歪みが生じます。

「方向性」と書きましたが「2」についてより正確に表現するとすれば「ベクトル」かなと思います。
これからの時代は2点間の引力で説明されること、解釈されることが増えてくるように思うのです。
重力からの解放はまだ先ですが。

そして「2」がない人でも「2」のエネルギーについては今の時代の後押しがあります。
一切の既存の価値観や意識にとらわれずに「2」を味わうことです。

「既存」とは「他者」と置き換えても良いでしょう。
旧来の地球次元では「他者」は「対比」の始まりだからです。

まずは「2」の位置に立ってみることです。
そうすれば「相対」の意味、「パートナーシップ」とはなにか、立ち上る空気感を味わえるかもしれません。

∞ ∞ ∞

「2」というと女性性の象徴として語られることの多いものです。

確かにそういう符号になっています。
ただ、宇宙の摂理とは言えないかな、と感じます。

数の不思議さはそういうところにあります。
人間(地球人類)は、たびたび「数」を象徴として扱い、ラベリングしたり、イメージを強化するために利用します。

個人的には、「女性性」という概念自体、地球人類が生み出したものだと感じています。

なぜならば、宇宙には「性(セクシャリティー)」の概念をもたない種族もあるのではないかと思われるためです。

なんの根拠もないですが。

「女性性」は対比のために便宜的に生まれた表現なのではないかと感じています。
もしかすると「男性性」の方が対比されたのではないかとあらゆる神話から感じますが、ここはそれを論じる場ではないので提示するに留めます。

なので「2」については「繊細の精神」がなによりもしっくり合うと感じ、フォーカスしました。

数秘鑑定もしています。


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