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El Chalo, the Legend of Granada. 4

(https://youtu.be/Vc_Wy4xfprQ?si=TIRZ1dz9FDtmzlyB より)

フラメンコのカンテ(歌)について

チャロは自身が歌うことに関してはコンプレックスなど全くないようで、むしろ機会さえあればいつでも歌いたいらしい。しかし、動画のコメント欄を見ても、チャロのギターを賞賛する人々は溢れるほどいるが、その歌声に言及する人はいない。(天才だ!芸術だ!としか言わない人も多いが、少なくともそれは彼の歌に対してではないと思う)

sentir framencoさんのチャンネルにある彼の動画でも彼自身が歌っているものは一つもない。チャロがきっかけでフラメンコミュージックについて学び始めたばかりの新米ファンとしては、こんなことを言うのは気が引けるのだが、チャロは「ギターだけ」で十分、千金に値する。

フラメンコの歌い手は「澄んだ声」がいいというわけではけしてなく、むしろ日本の浪花節のような、絞り出すような渋い声がいいらしいのだが、あまり渋すぎると初心者にはちょっと聴きづらい。

・・・と、実はここまでの私の感想はカマロン・デ・ラ・イスラに関するものだったのだが、先日、日本のカンタオーラでスペインに留学された方の作られた「ブログ形式のデータベース」でカマロンについて書かれていたものを読み、なるほどと思った。

ミュージシャンのためのフラメンコ百科事典 カマロン・デ・ラ・イスラ
http://flamenco-jp.net/cantaor/cn35/pg356.html

私が最初に聴いたカマロンも搾り出すような苦しげな声だったので正直ちょっと引いてしまって、「でもこれが本当のフラメンコのカンテなのかも」と思い込もうとしたのだが、実はそうではなかったのかもしれない。

フラメンコに限らず、真面目な人ほど追い込まれてしまうのは悲しい。似たようなことは芸能界では時々あることのようだが、稀有な才能を潰してしまうような人使いだけは絶対にさせないでほしいと思う。

リロラの声は若い時のカマロンのように、若々しく伸びやかで聴いていて心地よい。私も含めてそんな彼の歌声が好きなファンは沢山いるようだ。

チャロとリロラの共演動画にはYouTube上ではたくさんの視聴回数と賞賛のコメントが付いている。特にこの二人を以前から知っていたらしい人たちは「夢の共演だ」と喜んでいた。どうせ聴くなら「チャロのギターに見合う歌声」を一緒に聴きたいと思う人は多いようだ。(人によっては、かつてのカマロンとパコ・デ・ルシアの組み合わせを思い出していたのかもしれない)

チャロに関してはコメント欄に「この人が世に知られていないのは不思議だ!」「この天才はもっと世界に知られるべきだ!」という意見も多い。私自身もそうは思っているのだが・・・


フジコ・ヘミング 魂を揺さぶり動かす音楽

チャロを「再発見」してよく見るようになった頃、思い出したのはフジコ ・ヘミングさんのことだった。日本人の母(やはりピアニストだった)とスウェーデン人の父との間に生まれ、天才少女と言われながら欧州でのデビュー直前に高熱を発して難聴になってしまうという不運に見舞われた方だ。一時はまったく聞こえなくなり、その後、聴力は幾らか回復したものの、六十を幾つか過ぎるまでピアニストとしてはほぼ無名のまま、不遇の人生を歩んで来られた。それが24年前の1999年、NHKのあるドキュメンタリー番組で取り上げられたことで一気に人気に火がついた。

当時、私もその番組をたまたま見ていた。台所の片付けが終わって何気なく点けたテレビに長いガウンを羽織った、何人(なにじん)かわからない初老のおばあさんが映っていた。そして古びた洋風の部屋でタバコを吸ったり猫たちに餌をやったりしていた。なんだかわからないけれど、そのおばあさんの不思議な存在感に惹かれて、そのままダイニングテーブルの椅子に腰掛け、その様子をぼーっと眺めていた。そのうちにおばあさんは部屋の中ほどにあったグランドピアノの前に座ってそれを弾き始めた。曲はラ・カンパネラ。

その時の衝撃は忘れない。ピアノを弾いていると言うより、彼女自身の指先から、とめどなく音楽が溢れ出て来るように聴こえた。まるで魔法を見ているようで、こんなふうにピアノを弾く人を初めて見たと思った。

この放映の後、NHKには電話が殺到したそうだ。「あのおばあさんは何者なのか?」と。そしてその多くがピアノには素人で触ったこともないような人たちだったという。思えば動画の中でチャロのギターを聴いた時も似たような驚きがあったように思う。特に音楽に詳しいわけでもない素人でも、一目見ただけで心を掴まれてしまうような感覚が似ていると思ったからだ。(しかも、生ではなく、テレビ画面やインターネット越しだ)

フジコさんのことを「所詮、素人受けするアーティストだ」と批判するネット記事を読んだこともある。端的に言えば、クラッシックの本流からは外れた異端者だということだ。私が読んだ記事ではフジコさんの勝手な曲解釈とか、ミスタッチの多さを咎めていた。もしかしたらチャロにもそんなところがあるのかもしれない。

私もあれからチャロ以外の、過去に名人として知られた人を含め、フラメンコのギタリスタの動画をいくつか見た。そして(素人耳だから確かなことは言えないが)技巧的にはチャロよりも上手い人も結構いるのかもしれないと思った。

さらに言えば、元々差別を受けていたロマの人たちの音楽なのだから、「異端」も何もないだろうと思っていたのだが、タブラオでもテアトロ(劇場)でもない屋外で、出演料ではなく投げ銭を受けながら演奏する人たちはやはり格下に見られているのかもしれないという気もした。

しかし、それが何だろう?

その分野の音楽について、様々なな知識のある専門家やマニアに評価されることも意味はあるだろう。でも、それまでクラッシックにもフラメンコにも特別な関心もなければ縁もない人生を生きて来た多数の人たちをいきなり振り向かせて夢中にさせてしまう、それほどのことをやってのける人には何か特別な力が備わっているような気がする。

佐賀県の海苔漁師の徳永さんという方は、たまたま奥様が音大出のピアノ教師だったが、ご本人は音楽といえば漁師仲間とカラオケで演歌を歌うくらいでクラッシック音楽には特に興味もなく、奥様のピアノにも触れたことすらなかったという。それが海苔養殖が暇な夏場にパチンコに行くお小遣いも尽きてしまい、私と同じくたまたま見ていたテレビでフジコさんの弾くラ・カンパネラを聴き、激しい衝撃を受けた。そして自分でもどうしてもそれを弾きたいという衝動に駆られたという。

さんまのあんたの夢叶えたろか2020 ラ・カンパネラ徳永さんとフジコヘミングさんのリアル物語(番組後、NAMUK@のカンパネラ演奏☆
https://youtu.be/GGnhAYYGPt4

そして呆れる奥様を尻目に、楽譜も読めなかった徳永さんは鍵盤動画を見ながら毎日練習に励んだ。(ラ・カンパネラはプロのピアニストでも弾くのに躊躇するほどの難曲だという)その時徳永さんは52歳。もちろん、フジコさんのCDも手に入れて、それを手本に七年もかけて、とうとう、ラ・カンパネラを習得、その話を知ったテレビ局の取材でフジコさんとの面会も叶い、そのピアノを聴いてもらった。そしてその後も研鑽を重ねて、今ではフジコさんのコンサートに呼ばれて前座を務めるほどになったという。 

徳永さんは「自分にとってはフジコさんのピアノが世界一、なぜならそこに彼女の人生のすべてと魂が現れているから」というようなことをおっしゃっていた。

徳永さんの例は特殊かもしれない。私もあの番組を見てフジコさんのピアノに感動したが、自分でもラ・カンパネラを弾きたいとまでは思わなかった。チャロのギターを聴いたからといって、自分も今からフラメンコギターを習ってEntre dos Aguas を弾いてみたいとかもまったく思っていないし、リロラのようにカンテを歌いたとも思っていない。(ちょっと鼻歌程度には真似したりしてるけど)せいぜい、彼等の曲に合わせてパルマを打てるようになったらいいなと思うくらいだ。でも、それまで漠然としたイメージしか持っていなかったフラメンコの音楽について、もっと深いところまで知りたいと思うようになったのは事実だ。


チャロとリロラに救われた話

ここで現在の私自身の話をすれば、今年で二親の介護生活七年目になった。父の代で四代目になっていた自営の店と小さな工場(こうば)を閉め、初めのうちはそれでも細々と続けていた“ロマ的行商”もついに諦め、ひたすら家事と介護に明け暮れる日々となった。特にこの三年半は母がコロナを恐れてデイサービスにも行ってくれなくなり、元々行くのを嫌がっていた父のことも行かせてはならないというので行かせておらず、私自身も友人に会うことも気晴らしに出かけることもまったく出来なかった。

同居の兄弟が一人、元々在宅ですることも多い仕事でこの三年はリモートもしていたから、まだ、なんとかなっていたが、ここへ来てストレスが溜まって来たせいか私自身、色々不調も出て来てしまい、この前からは首が痛くてまっすぐ立てるのが難しくなってしまった。整形外科へ行ったら典型的なストレートネック、いわゆるスマホ首だと言われた。そんなにスマホばかり覗いてていたわけではないのだが、元々猫背気味で姿勢が悪かったのと、タブレットパソコンを買って以来、普通のパソコンは使わずに家事や介護の合間に暇さえあればそればかり覗いていたのが仇になったかもしれない。この三年、なんとかオンラインで週一の個人レッスンをして頂いていたベリーダンスの先生にもとうとうお休みを頂くことにした。

それでも日々の買い物や親達の通院で車には乗らなければならず、これがちょっと辛いのだが、田舎なので車なしではどこにも行けない。首が支えることが出来ないくらいに頭が重く感じて、歩きながらもつい、うなだれてしまうのだが、さすがにうなだれて運転はできない。シートに座れば幾らかは楽なのだが、それでも頑張って頭を上げていなくてはならない感覚だ。そんな時はスマホにBluetoothで繋げたスピーカーでチャロとリロラを聴く。特に疲れている時は二人のEntre dos Aguasを聴くと元気が出る。いや、元気というよりは何か「勇気」のようなものが湧いてきて、背筋が伸びて真っ直ぐになれるのだ。

そんな中で、母が誤嚥性肺炎で入院した。朝、起きて来ないので見に行ったら寝床の傍に転がって立てなくなっていた。手を貸してもどうしても立てないので、てっきり転んで骨折でもしたものかと思って救急車を呼んでしまったが、近くの病院に運ばれた結果、骨折ではなく、肺炎だと言われてびっくりした。そう言えば前日に少し吐いてしまったことがあって、その時、間違って吐瀉物を吸い込んでんでしまったらしい。しかも、何かの食材に当たってしまったものらしく、私も含めた他の家族もその後、相次いで腹具合がおかしくなってしまい、下痢症状こそあまりなかったが、吐き気がしてしばらくはまともに物が食べられず、その中で母の入院の支度をするのは辛かった。

入院させた翌々日に肌着などの衣類と書類を届けた時はとうとうヘタってしまって、病院の駐車場で車に乗り込んだ瞬間、ハンドルにしがみついて「お願い、チャロ、私を助けて!」と心の中で叫んでいた。そしてあのチャロとリロラのEntre dos Aguasをガンガンかけながらなんとか家に帰った。

私の住むところは中途半端な田舎で、都心までの通勤圏には入るので近くには大きな新興住宅地もあり、信号のない交差点や見通しの悪い細道などが多い割には交通量は多い。対向車との距離を的確に測りつつ、互いに譲り合いながら走らなければならないのだが、チャロの弾くテンポの速いフラメンコを聞いていると、なぜかそのリズムがうまく合い、スムーズに運転できる。

本当に私の人生の中でここまでフィジカル(肉体的)に、かつ、「実用的」と言っていいまでに音楽に助けられたことはなかった。それだけでもチャロとリロラには会ってお礼を言いたいくらいだが、仮にそれが出来るとしてもまだまだ先になるだろう。


ダンスと音楽

それでも私がここまで音楽好きになったのはここ数年、ベリーダンスを習うためにApple musicやyoutubeの有料会員になり、世界のいろいろな音楽を聴くようになってからだろう。

なぜ、ベリーを習おうかと思ったかと言えば元々音楽にはあまり興味もなく、スポーツも苦手だった私が、なぜか踊りだけは嫌いではなかったからだ。子供の頃は幼馴染たちと一緒に近所に住む藤間流の名取であった父方の伯母のところに習いに行っていたこともある。実は高校生の頃にフラメンコダンスを習おうと思ったこともあった。そして市の中心部の駅前にある小さなビルの2階にあったフラメンコ教室の看板の前に佇んだこともあったのだ。たしか家で取っていた週刊誌に長嶺ヤス子さんの特集記事が載っていてそれに憧れてやってみたくなったのだと思う。でも結局、勇気がなくてドアを開けることは出来なかった。

(ちなみに私の住む市にはバレエ教室はあったためしがない。私の小中学生の頃は山岸涼子の『アラベスク』とか、TVドラマの『赤い靴』とか、漫画やドラマでバレエものが流行った頃でもあり、女の子たちは憧れたものだった。私自身はなぜかバレエは習いたいと思ったことはなかったが、習いに行こうにも市内にも近隣の市町村にも教室などなかったようだ。市内に限ってはたぶん今もないと思う。それがフラメンコ教室だけは当時もあり、今も〈別の場所にだが〉あるのだ。それを考えただけでも日本が「フラメンコ大国」だというのは頷ける気がする)

その後も踊りを習いたいと言う気持ちはどこかにあったようで、数年前に決心してべリーを習うことにした。その時もフラメンコとどちらにしようか少し悩んだのだが、その頃にたまたま見てしまった動画があのグラナダの“ストリートフラメンコ”である。フラメンコってこんなのだっけ?とその激しく打ち鳴らすステップ(サパテアードというらしい)に驚愕した。そして、運動不足による肥満気味だった私がいきなりこんなことをやろうとしたら間違いなく膝の関節を痛めてしまうだろうと思った。その点、足は大地に着けたまま、うねうねと腰を揺らすベリーダンスなら大丈夫と思ったのだ。(実際には普通のフラメンコ教室で教えている踊りはあんなに激しくはないようで、あれはヒターノならではのフラメンコだったようだが)

それで結局、ベリーにしたのだが、それで良かったと思っている。ベリーダンスはコアマッスル鍛える。というか、コアマッスルが上手く使えないと踊れないのだ。(ただし、自分でもしっかり練習できればなのだが、その点、このところの私はずっと練習不足だった)それと、先生のお人柄が良い。私よりもずっとお若いが、とても尊敬できる方で、そしてその踊られる姿が美しい。ベリーダンスというとやたらと「セクシーな踊り」というイメージがあるが、先生の踊りは女性らしさ表現しながらもとても品格がある。やはり、踊りにしろ歌にしろ、楽器の演奏にしろ、最終的には本人の個性や人柄が現れてこそだろう。

ベリーダンスといえば、基本的には中東、アラブ系の曲で踊ることが多いのだが、そうした曲は日本ではほとんど知られておらず、一部専門のネットサイトではCDが売られていたりはしたものの、手に入れ難いことが多かったようだ。だから教える先生方もご苦労されていたようなのだが、今のように音楽配信サービスが充実して来てからは大抵のものは手に入るようになった。

私の場合、レッスンで使う曲のほかに、ネイティブアメリカンの音楽とか、モンゴルの伝統楽器を使ったバンド、それと近年はハンガリーなどの東欧のロマのバンドの音楽が好きでよく聴いていた。昔のようにレコードとかCDとかで揃えようとしたら結構な金額になったかもしれないが、それ以前に出会うことすらなかったと思われるような曲ばかりだ。サブスクリプション方式には感謝せざるを得ない。

特にyoutubeの有料会員になると付いてくるGoogle musicは、知名度のない、一般市場にはシングルもアルバムも出ていないようなマイナーなミュージシャンの曲でも聴くことができる。誰かが彼らの曲をyoutubeに投稿して、それが「音楽」と認められれば、youtubeより負荷の少ないアプリのGoogle musicでも聴くことができるのだ。(どういうシステムになっているのか知らないが、初めはGoogle musicでは聴けなかったものが、途中から聴けるようになっていたりした)チャロやリロラの場合、Apple musicで検索しても何も出ては来ない。寡占化の問題も含めて世界のネット化には光も闇もあるだろうが、もし、youtubeがなかったら、私が彼等の存在を知ることはけしてなかっただろう。


我が「心の王子様」たち

韓流ブームの火付け役になった「冬のソナタ」という韓国ドラマが日本で放映されたのはもう、二十年も昔のことだ。当時、主演カップルのうちの男優、ヨン様ことぺ・ヨンジュンに夢中になったのは私よりも一周りは上の世代の女性達が多かったように思う。そのおば様方の熱狂ぶりは、時々、からかい混じりに報道されるほどだったが、ヨン様がまったく好みのタイプではなかった私は「あれのどこがそんなにいいの?」と醒めた目で見ていた。

しかし考えてみれば、当時のその世代の既婚女性たちは子供の就職や結婚で気を揉む一方で、子離れする寂しさも感じたり、かと思えば、そろそろ親や義親の介護の問題も出てきたのに定年間近い旦那様は相変わらず仕事一途でなかなか相談も出来なかったりで家庭生活の中でも一人、不安や悩みを抱えることも多かったのかもしれない。

そりや、「心の王子様」くらい、ほしいよね、と今になって思う。この歳になると実際の恋愛などなかなか出来ないし、したらしたで厄介なことにもなるが「心の健康」のためにも疑似恋愛の対象の一人や二人は持つのもいいかもしれない。それが私の場合、ここへ来て若いのと中年と「ダブル」で見つかったようなものだ。(笑)

あの時、一度は興味を失って忘れかけていたチャロの動画を再び見るようにと何度も「おすすめ」に出してくれたyoutubeの神様?には感謝しなければならないだろう。

それにしても直に本人たちに会いに行けないのでやってみた「ネットストーキング」だが、動画だけでも結構彼らの日常や(と言ってもそのほとんどが「営業中」のものだが)交友関係みたいやものまで、なんとなく分かったのは面白かった。もちろんそれは、やはりチャロたちが「芸能人」だからであり、そして多くの観光客からビデオカメラやスマホのレンズを向けられる「グラナダの風物」になっているからだろう。普通の人ならこんなに出てくるはずもないが、彼等にとってはそれが日常になってしまっているので、動画を撮られていてもあまり気にする様子もなく自然に振る舞っていられるようだ。表題下の写真もそんな動画のひとコマ。

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