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El Chalo, the Legend of Granada. 3

(見出し画像 https://youtu.be/ARngRnlhzZw より)

El Lirora(エル リロラ)

この人のことは、初めはどういう人なのかよくわからなかった。(未だに「よくわかった」というわけではないのだが)最初のオジさん四人の動画の十一年後の2019年に、やはり地元テレビが撮ったらしいチャロの幾つかの動画の中に、一人だけ出てきた共演者である。(Liroraというのもやはり愛称なのかと思ったが調べても見当たらず、むしろ、スペイン語圏の人名としては姓の方にあるもののようだ)

リロラはおそらくロマではない。色白で大柄で、チャロやその仲間の人たちとは見た目もだいぶ違う。思えば日本人にさえ、フラメンコのプロのダンサーや演奏家はいるのだから、スペインにもロマではないフラメンコのアーティストも、もちろんいるわけで、彼はその一人なのだろう。チャロと同じように名前にElを付けて呼ばれているので現地ではそれなりに実力が認められた人ではあるらしい。トカオール(ギター奏者)兼カンタオール(歌手)、どちらも出来る人だ。ハンサムで可愛らしい顔立ちだがスペイン人男性に多いという顎髭が濃い体質らしく、少し剃らないでいると首の方までモシャモシャに黒髭が生えて「ヒゲだるま」のようになってしまうようだ。

そして、これは私の勘でしかないのだが、彼を見ていると、どことなく鷹揚で人の好さそうな、ある種の「育ちの良さ」のようなものを感じてしまう。もしかしたら、そこそこ裕福な家の出、日本の関西風に言えば「ええし(良い衆)のぼん」だったのではないかという気がする。もし、そんな家の息子がフラメンコミュージシャンなど目指すと言い出したら、当然、親からは勘当ものだろうな、とか勝手に思ったりしている。


Entre dos Aguas

リロラがいつ、チャロに出会ったのかはわからないが、もちろん、チャロの地元での名声や実力もある程度知っていただろう。そして最初に共演したのが、この動画だったのかもしれない。

演奏が始まる前のリロラは、どこか不安げて落ち着かない様子でタバコを吸っている。チャロに至っては、自分のギターをしきりにチューニングしているその様子はかなり不機嫌に見える。演奏が始まってもなお、二人はどこかよそよそしく、特にリロラの方はまだ緊張しているようだ。

演奏が始まるとチャロは時折、ちらりとリロラに視線を向けたが、その様子は「この若いの、どこまでやってくれるか、俺について来れるかな?」と値踏みしているようてもある。いつもはロマの仲間とばかり演奏しているチャロにしてみたら、ロマではないリロラに対して、ある種の反感や侮蔑のようなものもあったのかもしれない。一方、リロラの方はそんな相手に試されているようなものだから緊張もするわけだ。

曲はEntre dos Aguas (二つの水の間に)。
(この曲のタイトルのAguasについては「河」とか「湖」とか「海」とかいう説もあって、日本語では一応「二筋の河」と訳されたりしているのだが、スペイン語のAguaは水、液体とあるばかりでそんな意味はなさそうなのだ。なのでそれで正しいのかどうか調べてもよくわからなかったので原語で書いておく)

やはりアンダルシア出身で、前述したカマロン・デ・ラ・イスラと共に1970年代にフラメンコ界に革命をもたらしたというパコ・デ・ルシア作曲によるヒット曲である。

(たぶん、チャロも敬愛しているであろう、Paco De Lucia について。(↓))

Paco De Lucia (パコ・デ・ルシア) プロフィール
https://www.hmv.co.jp/artist_Paco-De-Lucia_000000000010113/biography/

パコに想いを寄せて
https://artsandculture.google.com/story/mQUxq5VsZOvILQ?hl=ja

このEntre dos Aguasは今やフラメンコギターの名曲として広く知られているらしく、様々なアーティストによって演奏されている。かつ、難曲でもあり、ある日本のフラメンコギター講師の人は素人にも弾けるように、色々編曲を試みたと書いていた。基本的に二本のギター(プラス、あれば打楽器)で演奏されるようで、相手の力量を見るには打ってつけなのかもしれない。

最初に見た時は「もしかして息子さん?でも・・・全然、似てないしな」なんて呑気なことを思って見ていた動画だが、いろいろわかって来てから見ると緊張感が違った。

リロラは演奏しながらも、しばらくは硬い表情のままで、フィルターのところまで吸い切ったタバコの灰が折れ曲がって落ちそうになっていても気づかないほどだった。(カメラがチャロの手元を映している間にリロラのタバコは無くなっていたが、演奏直後に左腿の辺りをしきりに払っているのでそこに落ちたのかも知れない)

以下6枚、https://youtu.be/ARngRnlhzZw より

チャロは相変わらず渋い表情をしたまま、その指が忙しく弦を掻き鳴らし、時折ギターの胴を激しく叩いているのがわかる。結構な音もするのでこれでは傷もつくはずだ。


リロラもそれを受けて自分のギターの面を「バラン!」と叩いて付いていく。やがてリロラも乗って来たのか、にまっ、と笑ったかと思うと体を左右に揺らしてリズムを取ったり、「オレ!」と叫んで微笑んだりした。

それをチラリと見たチャロはまた、リロラを煽り立てるように鬼のような速弾きに向かって行く。

私はギターを弾けない、というか「弾ける」と言えるほどの楽器はほぼないので、この辺のやりとりとかは初めは全く見えていなかった。素人なりに何か心に響くものはあったにせよ、「あー、この辺からなんか速く弾いてるな」というくらいだった。それが何度も観ているうちにその生々しい技のやり取りに気づいてゾクゾクした。(考えてみたら画面を切り替えながら、こうした二人のやり取りを映し出しているカメラワークも凄い)

チャロの速弾きを見事に支えながら付いていったリロラは最後の方では白い歯を見せて笑うようにさえなっていた。チャロはチャロで表情はあまり変えないものの、わずかに納得したような笑みを浮かべていたような気がする。

このEntre dos Aguasはチャロの得意とする曲らしいのだが、主旋律を弾くのとその伴奏と二人の奏者を必要とする。チャロが展望台でロマの仲間たちを相手にこれを弾いている動画も幾つかあるのだが、ラストの聞かせどころでここまでキレのある速弾きはしていない。(いつもはチャロにカンテの伴奏をしてもらっている仲間たちにしても、展望台ではギターのみの難曲はあまり客受けしないからなのか、いまいち気乗りがしないようでチャロに付き合って仕方なくやっているような感じだ)

チャロにしてみたら自分が目一杯の演奏をしても余裕で付いて来てくれる相手と出会って満足したのかもしれない。

左下に入った日付によればこれは2019年の3月25日のことだが、それから半年後の同年10月2日に二人はまた共演している。

前回と同じEntre dos Aguas。前と同じくチャロが主旋律をリロラか伴奏を務める。二人の距離は前の時より近く、リロラはギターを弾きながらも真剣にチャロの手元を見ている。今回は、ちょうど5分ほど経ってメロディに区切りがついたところで「タタ、タッタタッタ」という、硬く鋭い打楽器のような音が入る。はじめ不思議に思っていたが、よく見るとリロラが右手の指先で自分のギターの胴を強く弾いていた。フラメンコではよくある打楽器代わりにギターを叩くやり方とも言えるが、叩き方に一工夫したという感じがする。こんなアドリブが出るくらいには、この曲を通してすでに二人は親密になっていたのかもしれない。

(ちなみに二人と一緒に出演している顔がそっくりな二人の美女は「Golsa姉妹」という双子のフラメンコダンサーらしい)

この時はAbadia de Sacuromonte〈サクロモンテ修道院〉というところで緑の木陰をバックにチャロの演奏動画が四つ、同じsentir flamencoさんによってYouTubeに上げられているのだが、そのうちの三つはリロラと組んでいるものだ。


Tangos de la sultana (イスラム王妃のタンゴス)

そのうちの一つでリロラがカンテで歌うのがTangos de la sultana (タンゴス・デ・ラ・スルタナ イスラム王妃のタンゴス 動画のタイトルにはなぜかそうは書かれておらず、“por Tangos 'de 5 cuerdas' y persian dancing & KARAOKE” 「五弦のタンゴスとペルシアンダンスとカラオケによる」とあるのだが、意味がわからず、とりあえず曲について調べてみたらその曲だった)

ともあれ、同じフラメンコのカンテでもチャロがいつも展望台で伴奏している仲間たちが歌っているカンテとは少し感じが違う。重厚でオペラみたいな歌だなと思ったのだが、それだけに歌うにも伴奏するにも腕が必要なのではないかという気がした。

(Tangos〈タンゴス〉というのは拍子の形式などで決まるフラメンコの曲種〈パロ〉のひとつだが、アルゼンチンタンゴとかのタンゴとは違うらしい。フラメンコの曲種の話は素人にはかなりややこしくて、正直、今の時点での私にはこの辺りはほとんど理解できていない。元々フラメンコは読み書きのできない人々の間で口承で受け継がれながら積み重なるようにして発展して来たものらしい。それだけにその形式や様式の違いについては「基本となる法則さえ覚えれば理解できる」という単純なものでもないようだ。チャロたちのようにフラメンコの中で育って来たような人は幼い頃からたくさんの曲を聴いているうちに自然に覚えてしまうのだろうが、既に大人である素人が一から覚えるのはなかなか難しい気もする)

Tangos de la sultana は“古典”なのかと思ったら、これもまたカマロン・デ・ラ・イスラが歌ってヒットした曲らしい。(作詞作曲者は?原典は?と思ったのだが、日本語のサイトでは「カマロンの曲」ということしか出てこない)

イスラムの王のことをスルタンと呼ぶのはなんとなく知っていたが(宗派にもよるらしい)スルタナはその女性形で王妃という意味になるようだ。よほど寵愛が深かったのだろうか。この歌の王様はその妃の一人を失ったことで身も世もないほどに嘆き悲しんでいる。(この王様がいわゆる「ハレム」を持っていたかはわからないが、少なくともイスラム教徒なら、正妻も四人までは持てるはずだ)

歌詞の解説がわかりやすいので、またこちら(↓)を参照させていただく。

大阪でフラメンコを学ぶたこさんのブログ リズム音痴がフラメンコ
フラメンコの素敵な歌詞 イスラム王妃のタンゴス ♪この地球には他に、夢はない あなたの黒髪 あなたの黒髪
https://tako1012.com/entry/nice-flamenco-yrics-tangos/

歌詞の意味がわかればリロラが苦悶の表情を浮かべてまで熱唱する理由もわかる。

カマロン・デ・ラ・イスラによるTangos de la sultana


グラナダにあったイベリア半島最後のイスラム王国、ナスル朝が滅亡したのは西暦1492年。西暦711年にゲルマン人の西ゴード王国をシリアのウマイヤ朝が倒して以来、分裂や群雄割拠を繰り返しながらも八百年近くに渡って続いて来たイベリア半島のイスラム支配はついに終わりを告げ、キリスト教諸国によるイベリア半島の再征服、レコンキスタは終了する。しかし、それから五百年が経ってなお、フラメンコの中ではイスラムの王と王妃の物語が歌となり、歌い継がれている。


チャロの“隠し芸”

下の動画の前半はいわゆる「メイキング動画」で演奏が始まる前の様子から撮られている。

リロラを助手席に乗せて修道院までの田舎道を運転する男性の後ろ姿がチャロに似ていたので、まさかと思ったが、ハンドルを握る左手には太い血管が浮き出し、白いシャツの襟周りに微かに見える赤い色は本編の中でチャロが身につけていた赤い水玉のスカーフのようだ。後部座席にはダンサーの双子姉妹と、そしてレモンイエローのような薄色の金髪のロングヘアに赤い幅広のヘアバンド、ごつめのサングラスをかけた中年女性が乗っている。スマホで車内のこの動画を撮っていたのはこの金髪女性らしい。

金髪女性については初め「なんか、派手目なおばさんだな」と思ったが、しかし、次の場面で木陰でサングラスを取ってチャロと話している時の表情は意外にも知的で穏やかで美しい。どうやらこの人が この“ Arte en Gradana “(グラダナの芸術)という番組の現場の制作責任者(ディレクター?)なのかもしれない。 

上記動画より

ちなみにチャロについては、この前年の2018年にもこの番組に出演している。(↓)下がその時の二つの動画のうちの一つだが、それにしても、その時々でまるで別人のように見えてしまう。変わらないのはギターの音色だけかもしれない。思えば不思議な人である。

ともかく、この時の修道院での撮影の頃にはチャロもリロラもだいぶ打ち解けてきていたようだ。撮影後と思われるカフェでの打ち上げ動画ではチャロはこんな“隠し芸“まで披露している。(↓)

スペイン語は全くわからないので、コメント欄で指摘している人がいてやっと気づいたのだが、チャロの弾くギターの弦の太さの順序がいつもとは逆で、つまりこれはリロラのギターであるらしい。(なので当然、指使いは全て上下逆さまになる)

初めは隣にいるリロラに、ある曲の弾き方のことで何か説明するため、傍にあったリロラのギターを取って歌いながら少し弾いてみせたようだ。それを見ていた向かい側の誰かに「自分のギターとは逆なのによく弾けるね」とか言われて「弾けるよ。もっとやってみせようか?」とかなったらしい。そして例のEntre dos Aguasのサビを少し弾いてみせて皆を驚かせ、それから何やら自分の左側の席を指さした。そしてギターを抱き直しておもむろに弾き、歌い始めた。

どこかで聞いた歌だと思ったら、チャロが珍しく夜のカフェで「流し営業」のスタイルで弾いて歌っていた歌だ。仲間の一人と共にカップルのお客さんの席に呼ばれ、彼らのプロポーズを盛り上げるために演奏していたのだが、そういえば今回、初めにリロラに見せていたのもこの曲の弾き方だった。

プロポーズの最中にはチャロの相方が別の歌を歌って盛り上げている。(ちなみにこの人はホルヘと言って、チャロの兄である)よくあることなのか、他のお客さんたちはさして注目する様子もないのだが、肝心なところでは祝福の拍手をしてあげている。


さらにその続きでプロポーズが成功した幸せいっぱいの二人のために、今度はチャロ自身が弾きながら歌っている。

曲はChato de Málaga のDepende de ti mi amor(僕の愛は君次第)
歌詞 https://acordes.lacuerda.net/chato_de_malaga/depende_de_ti_mi_amor

スペイン語は手に負えないので以下、アプリ翻訳

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

何を選ぶかはあなた次第です
しかし、私のような男は、いつも終わりなく航海している
私の帆と舵で、あなたの行きたいところへ
私の心は、私が愛していなかったすべての瞬間を考えている
愛撫と優しさの間にある、もうひとつの治療が私でした
私はあなたを愛していますし、私もあなたを必要としています

君がいないと寂しくて虚しいよ、僕の愛が
彼女は春を永遠に生きている
私の心は、彼女の温もりなしにはいられない
彼女は山上の雪のように美しい

夜明けの太陽のように、私の庭のバラの茂みに
彼女は春を永遠に生きている
私の心は、彼女の温もりなしにはいられない。
彼女は山上の雪のように美しい
夜明けの太陽のように、私の庭の薔薇の茂みの中で

なぜ声が震えるのか
伝えたいことがあるとき
あなたの心が泣くのは、あなたが私の近くにいない場合です
あなたには温もりが必要だと、別の時代に私が与えたものを
あなたの心は、私があなたを愛していなかったと、すべての瞬間を考えています

愛撫と優しさの間にある、もう一つの治療が私でした
私はあなたを愛していますし、私もあなたを必要としています

君がいないと寂しくて虚しいよ、僕の愛が
彼女は永久の春を生きている
私の心は、彼女の温もりがないままではいられない
彼女は山上の雪のように美しい
夜明けの太陽のように、私の庭のバラの茂みの中で

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ええと… まあ、そういうことです。(笑

今回チャロが「逆さギター」でこの曲を捧げたのは自分の左隣に座ったあの薄色の金髪女性のようだ。

チャロが弾き終えると彼女は感激したようにお礼のキスをし、リロラもギターを返してもらいながら「参ったな」というふうに笑っている。一見、職人気質で無愛想にも見えるチャロだが、さすがはベテラン芸人、座を盛り上げる術(すべ)は心得ているようだ。

左利きの人の一部には特に練習しなくてもスラスラと鏡文字(普通の文字の鏡像)が書けてしまう人がいるというが、それと似たような脳の仕組みになっているのだろうか?なんであれ、本当に器用な人である。


赤い水玉

この二度に渡るチャロとリロラの共演ロケで、チャロが首に巻いていた白地に大きな赤い水玉模様のスカーフがなんとなく気になっていた。

https://youtu.be/CIKJYjWXEi8 より
https://youtu.be/RGWEI7wSxHQ より

なんで水玉?赤い水玉?

赤い水玉でももっと細かな柄なら、あまり気にならなかったかもしれないが、ここまで大粒だとちょっと気になった。まさか、スペインに次ぐ「フラメンコ大国」である日本に敬意を表してくれたわけでもあるまいし、本人に似合っているのかもよくわからない。

しかし、気がつくと二度目のロケではリロラも濃緑に白の水玉のスカーフを身に着けているし、リロラ独りで撮られた別の動画では紺に白の水玉のスカーフを着けている。

https://youtu.be/017xQ0sRCwE より
https://youtu.be/maZId25E24M より

偶然とも思えなくもないが、そう言えば以前から見ていたグラナダのストリートフラメンコでもバイラオーラ(女性の踊り手)たちは水玉模様のショールを着けていた。

https://youtu.be/x3ZTcuw1U-U より


さらに気になって確認のために以前見た映画『サクロモンテの丘』の予告編動画を見てみた。するとそに登場するロマの人々も、しばしば色や大小も様々な水玉模様の衣装を身に着けているではないか。

水玉だらけである。(短い予告編なのに幾つ出て来たろう?)これはやはりフラメンコないし、ロマの人々の伝統としか思えない。そう考えて調べてみたらどうもそうらしい。ロマの人々にとっては水玉は月や星、あるいは涙と言った、かつての苦難の放浪生活を象徴するものとして用いられて来たという。

大阪でフラメンコダンスを学ぶたこさんのブログ
リズム音痴がフラメンコ
フラメンコ、水玉の謎 なぜフラメンコの衣装に水玉が多いのか
https://tako1012.com/entry/flamenco-the-mystery-of-polka-dots/

チャロ以前に水玉の衣装を着けてフラメンコを踊るロマたちを何人も見ていたはずなのに、そこにはまったく気づかなかった。このチャロのスカーフで初めて気がついた。チャロが半年置いての二度の撮影日に、いつもは着けていない目立つ水玉のこれをわざわざ着けて来たということは、ロマ、いや「ヒターノとしての正装」のつもりだったのだろうか?やはりこの人も「ヒターノのフラメンコ奏者であること」に強烈なまでの誇りを持っているのかもしれない。そんな気がした。


リロラの展望台デビュー

たぶん、この少し前くらいからではないかと思うのだが、リロラはサンニコラス展望台のチャロの傍によく現れていたようだ。演奏するチャロの足元にニコニコしながら座っていたり、側でパルマ(手拍子)を打つ彼の姿が映る動画がよくあった。

(↓)チャロの向かって左の地面に女性と並んで座っているのかリロラ。


(↓)ライトアップされたアルハンブラ宮殿を背景にチャロの右隣でパルマを打つリロラ。

やがてチャロ以外のロマたちともそこで一緒に演奏するほどの仲になったようで次第に馴染んで行ったようだ。

(↓)手前からチャロ、チピロン、その向こうにパルマを叩くリロラ


(↓)チャロの仲間たちの横でギターの弦を張り替えるリロラ。(右端)

(↓)チャロが珍しくギターを弾かず、リロラと仲間の演奏にパルマを打っている。(画面がぐるぐる回っているのは、チャンネル主が踊りながら撮っていたからだとコメント欄にご本人が書かれている)サングラスをかけているのかリロラ。(乾燥地帯でもあるアンダルシア地方の紫外線はかなり強いらしく、日本人向けのガイドにも注意があるほどだが、ロマたちは平気のようだ。しかし、色素の薄い白人は目にも影響してしまうらしく、日中はサングラスをかけている人が多い)


「ロマの仲間になって大道芸をやっているなんて」と、実家の親御さんとかが聞いたら嘆くのかもしれないが、チャロたちとギターを奏でて歌っている時、リロラはきっと幸せなのだろう。


El Chipiron de Granada
(グラナダのエル チピロン)

ちなみに上の動画でリロラと一緒に演奏しているもう一人のトカオール(ギター奏者)兼カンタオール(歌い手)、チャロの仲間について書いて置けばChipiron (チピロン)と言ってチャロがよく組んでいる一人である。チャロが真っ赤なタイツを履いて演奏していたあの「公開プロポーズの盛り上げ演奏」でカンテを歌っていた人だ。(El Chalo, the Legend of Granada. 1  Chaloのファッション)

https://youtu.be/7A4RDYLoias?si=GaGw_3coIW9gympT より

Chipironという名前の意味はある種の「イカ」のことで、小ぶりながら一本釣りでしか獲れず、スペインでは高級食材らしい。なぜそんな芸名なのかは知らないが、あのカマロン・デ・ラ・イスラのカマロンも「エビ」という意味で、ロマにしては色白だったので子供の頃父親にそう呼ばれていたのをそのまま芸名にしたという。同じ“海産物”で向こうを張ったのかと思ったが、そういえば、チピロンのギターにはカマロンの顔写真が貼ってあることがあり、時折愛おしそうにそっと撫でるように叩いたりしている。(↓)彼にとって憧れの人なのだろう。

https://youtu.be/rEaja5FzZy4 より


このチピロン氏、なかなかのやり手で、シングルをいくつも発表していてチャロの仲間の中では唯一、Apple Musicでも曲が出てくるのだ。El Chipiron de Granada(グラナダのエル チピロン)と名乗ってYouTubeにプロモーションビデオも幾つかある。グラナダダの“展望台ミュージシャン”としては快挙なのかもしれないが、それでもなお、商店街を一人で流して歩くなど、営業に積極的だ。

(↓)ショッピングモールのフードコートで歌うチピロン。彼を呼んだのは店の片隅の小さなテーブル席に座ったお年寄りのようだが、他のテーブルのお客さんたちもすっかり楽しんでしまっている。でも、それを見ているおじいちゃんはとても嬉しそうだ。最後に来ておじいちゃんが思わぬ美声を張り上げ、皆は拍手喝采、さすがのチピロンもびっくりしたようだ。

思えば、それなりに腕に覚えのある楽器を抱えた人が街中をうろついていて、呼べば来てくれて(たぶん、あまり高くはないお金で)一曲歌ってくれるというのも粋で良いものかもしれない。何十年が前の日本でも「流しのギター弾き」という人たちが盛場を流して歩いて、お客から所望されると側に行って歌っていたものらしい。あの北島三郎さんも下積み時代にやっていたと聞いたので中には相当上手い人もいたのだろう。

そういえば、私が昔父に付き合って見せられていた時代劇の中では、江戸の街には「新内流し」や「鳥追い」と呼ばれる三味線を抱えて歩く男女の芸人がいて、料亭の二階から声がかかると窓の下に行って歌い、紙に包んだご祝儀を投げて寄越してもらうという場面がよくあった。(実はその芸人は本当は隠密か密偵で、銭を包んだ紙には次なる指令が書いてあったりとかいう筋書きだったりもしたが)今の日本には絶えて久しい「文化」だけれどグラナダでは今もやってる人がいるんだと思うと、ちょっと感動した。

チピロンのプロモーションビデオ
El Legionario y la Morita.(軍人とムーアの女)

この歌はチビロンの十八番(おはこ)のようでよく歌っている。先の動画でリロラと歌っているのも、フードコートでお馴染みさんらしいおじいちゃんのために歌っているのもこの曲だ。私は初めリロラが独りで歌っていたのを聴いて好きになったのだが、これはこれで好いかもしれない。バックダンサーが一人としてプロっぽくなくて、家族、親戚、友人動員?みたいなアットホームさもチピロンらしい。

ちなみにこの歌の歌詞だが、調べたら「男女間の嫉妬から起こった救いようのない事件」を歌ったものだった。昔からありがちな話でもあり、いつの時代かに実際にあった事件を歌ったものなのかもしれない。こんな下世話かつ、悲劇的な事件さえも、乾いた明るさで歌い上げてしまうのがフラメンコなのだろう。

翻訳アプリ使った結果を要約すると、スペインの軍人がカサブランカの娼館で出会ったムーア人(かつては北アフリカ一帯に住んでいたアラブ系の人々をそう呼んだ)の若い娼婦に一目惚れしてしまって彼女と結婚する。しかし彼女は浮気性でナイトクラブみたいなところで他の男といちゃついていた現場を夫に見つかり、頭に血が上った夫は持っていたピストルで彼女を撃ち殺してしまう。逮捕された夫は、深夜、留置所の中で奔放ではあったが可憐だった妻を思い出して後悔、悲嘆に暮れる。ざっとそんな内容だ。ちなみにカサブランカのあるモロッコとスペインの歴史は複雑に絡み合っていて、中世にはモロッコに興ったイスラムの王朝がスペイン南部を支配した時代もあった。しかし、近代に入るとモロッコはフランスとスペインに分割統治される植民地となる。その時代であれば「モロッコに駐留するスペインの軍人がカサブランカの娼館で娼婦に惚れて結婚する」という図式もあり得たのだろう。

元々、曲の感じから言っても、そんなに高尚な内容ではないだろうと予想はしていたのだが、ぶっちゃけ、あまりにも身も蓋もない話で少しショックだった。でも、幾らか経ってみると、これもまたフラメンコなのかもしれないという気がして来た。(思えば、あのメリメの『カルメン』にも似た話ではある)

歌の中で夫に殺されてしまうヒロインはアラブ系の女性なので、ベリーダンスで踊ってみるのもいいかもしれないと思っていたが、チピロンのビデオでは一応、それらしい衣装や身振りをする女性たちが出て来ている。

こちらはリロラによる同曲、El Legionario y la Morita.

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