El Chalo, the Legend of Granada. 6
(見出し画像 https://youtu.be/N61WUxT2ldo より)
終わりに
(↓)これは今のところチャロとリロラによる最新のEntre dos aguas。
リロラのチャンネルにあったし、これを撮ったのはリロラ本人だと思われるのだけれど、初めにそれを見た時は思わず固まってしまった。カメラを地面の低い位置にセットし、見上げるような角度にして、いつものアルハンブラの遠景を消して二人のバックを何もない青空だけにしてみたという意図はわかる。しかし、チャロの上には白い筋状の太陽光線のフレア(レンズの反射)が降り注ぐように発生してしまっている。
「何でこんな撮り方したの?」 思わず口に出てしまった。
これはどう見てもチャロが「天に召されて」しまいそうな感じだ。
そう言えば、いつもは自分が歌ってチャロに伴奏をさせていたチャロの甥、仔猫のルイスが、珍しくチャロ一人に歌わせて自分が伴奏をしていた時の様子も気になる。(↓)
たまたま観光旅行で来た人が撮ったらしい一分ちょっとの短い動画だが、最後にチャロが少し悪戯っぽい表情を浮かべつつも、かつてないほどに優しく微笑みながらルイスの顔を覗き込むと、それに気づいたルイスはギターを弾きながら、なぜか慌てたように俯いてしまっている。(表題下の写真)思えばこんなに柔らかい表情のチャロは他の動画では見なかったような気がする。
あの時、チャロがルイスに見せた“菩薩”のような微笑みは他の動画では見たことがない。もしかしてチャロは…
「あんなにタバコなんか吸うから・・・」
と、ななんだが悪い方に考えて半日ほど鬱になってしまった。しかし、また後で今度はテレビに繋いで大きな画面でリロラとの同じ動画を見てみると大分印象が違った。(その前はタブレットで見ただけだ)チャロもリロラも何かから解き放たれたように自由に、かつてないほどに楽しげな様子でギターを弾いている。
「よくわからないけど・・・何か悟っちゃったのかな、この人?」
そんな気がした。
(公開日としては十五年前が最古だったが)たぶん、二十年近い時間幅はあるかと思われるチャロの動画を色々見て来て、私としては “オスカル・フランソワ”のような髪型もそれなりに似合ってはいた若い頃のチャロよりも、リロラと初共演した時の渋い中年のチャロが好みだった。でも、「ヒターノのギタリスタ」としてのプライドとか意地とかの、アクのようなものが全て抜け落ちてしまったかのように柔和に笑っていたこの時のチャロが一番好きかもしれない。
いつになるかわからないが、チャロとリロラに会いにグラナダに行こう、それが今の私の夢だ。そしてあの屋外カフェに二人を呼んで演奏してもらうのだ。いや、チャロとリロラだけでなく、Los Pastranaのみんなを、ルイスやホルヘ兄さんや、チピロンや、フアンや、その他の兄弟や仲間の人たちも呼んで演奏してもらい、それぞれの人生について語ってもらえたらなと。(ご祝儀・・・いくらになるだろう?)そのためにはまた、行商でも何でもしてお金を貯めよう。とりあえず出来ることとしてはスペイン語の勉強でも始めるつもりだ。
sentir flamenco さんによるEL Chaloの再生リスト一覧
https://youtube.com/playlist?list=PLYjsIkFJbrxuw9jFsEoVVIjXQ2oaBe5xC
おなじくsentir flamenco さんによる EL Lirora の再生リスト一覧
https://youtube.com/playlist?list=PLYjsIkFJbrxvBbxKE_hJzbpvoG88p6l3c
追記
Un cazatalentos británico quiere lanzar músicos del Sacromonte en Reino Unido
(英国人タレントスカウトが、サクロモンテのミュージシャンを英国で起用したがっている)
https://www.ideal.es/culturas/cazatalentos-britanico-quiere-lanzar-musicos-sacromonte-reino-unido-20191008174633-nt.html
(スペイン語の記事なので翻訳アプリで読んだ)
チャロについて久しぶり検索したら、英国生まれでグラナダ在住の男性が、英国からプロモーターを呼んでチャロとリロラを英国で売り出そうとしているという記事を見つけた。(二人を中心にしたグループの他に、もう一つ、バイレ(踊り)を中心にしたグループも作って売り出すつもりのようだ)そして、かつて世界的な大ヒットを生み出した南仏出身のロマのバンド、「ジプシーキングス」のような成功を目指す、つまりは「第二のジプシーキングス」を作りたいということらしい。(リロラはロマではないにしても今や「ロマの仲間」としての活動実績はある)
その男性、シモン・カマラ氏(写真左)の父はグラナダ出身で英国で結婚してカマラ氏をもうけたものの離婚、故郷に戻ってレストラン経営を始めた。カマラ氏本人は33年前の青年時代に父を訪ねて初めてグラナダを訪れた。はじめは一週間の滞在のつもりだったそうだが、たちまちこの街に魅了されてそのまま住み着いてしまい、その後は地元の有力者たちを相手に英語の個人教授をして生計を立てて来たという。
カマラ氏発案のこのプロジェクトの目的はもう一つあって、地元のロマたちによるフラメンコのバンドを派遣することで、グラナダには元々あまり来てはいなかった英国人観光客を呼び込もうという狙いもあるという。英国人観光客はなぜか同じアンダルシア州内でも新興リゾート地のマラガに行ってしまってグラナダにはあまり来ないらしい。そこでグラナダの重要な「観光資源」の一つでもあるフラメンコのアーティストたちを送り込んで、その魅力を直に宣伝しようというわけだ。言わば「町興しのための宣伝部隊」である.
記事の日付は2019年10月7日。チャロとリロラがサクロモンテ修道院の木陰で二度目の共演を果たして間もない頃だ。あのサン・ニコラス展望台での最初の(たぶん)共演から半年でここまでの話が出ていたとはちょっと驚いた。
このプロジェクトが頓挫しているとしたら、その大きな理由はやはりコロナ禍だろう。発案者のカマラ氏はこのプロジェクトの資金集めのために地元での一連のイベントを計画していたらしいが、それもほとんど出来なかったのではないだろうか。
コロナさえなかったら実現していたかもしれないこのような計画はファンとしては喜ばなければならないのかもしれない。しかし、これを読んだ時にはちょっと、複雑な気持ちになってしまった。
もちろん、二人が私などが直接会うことなど叶わないような「星」にってしまったら寂しいということもないではない。
しかし、そもそもチャロとリロラは音楽をビックビジネスとする人々に目をつけられても不思議はない存在だ。そうした海千山千の大手事務所の手にかかれば、こんな地元発の素朴なプロジェクトなどたちまちに乗っ取られてしまって、美味しい所だけ持って行かれてしまうのではないだろうか?
結局いつものごとく、ごく一部の人々だけが天才と持て囃されてスターダムに登っても、彼らの仲間であった人々は差別や偏見、貧困の中に取り残される。そんな構図が繰り返されるのではないか?
「彼らはもっと世界に認められるべき」という意見には賛同しながらも、その種の“成功物語”だけはチャロやリロラでは見たくはないな、という気持ちも私の中にあったのかもしれない。
それとチャロは、これまで大きな名声やそれに伴う富には恵まれなかった代わりに、兄弟、甥、従兄弟(おそらく)という血縁者でもある仲間たちと、子供の頃から慣れ親しんできた場所で音楽をやってきた人だ。その仲間たちから離れて、今更、過酷な芸能ビジネスの世界で契約だのスケジュールだのに追われるような生活をして大丈夫か?という心配もある。
若いリロラにしても、どこか、のんびりとして人が好いようなところがあるようだし(これこそ「老婆心」というものだろうが)万が一にも彼らにはカマロン・デ・ラ・イスラのような悲劇に陥ってほしくはない。
最近のチャロやリロラの動画を見ていると、あまりそんなことを望んでいるとも思えないのだが、しかし、この三年、地元の経済や自分たちの暮らしを考えたら、細々でも来てくれていた観光客の投げ銭など当てにしている場合でもなかったのかもしれない。
コロナ前と比べると明らかに人影の少ないサン・ニコラス展望台を見るたびに、この人たち、これで食べて行けてるのかと不思議には思っていた。コロナ前は座ってギターを弾くチャロの腰のすぐ際まで、所狭しと商品を並べていた七宝のアクセサリーなどを売る露天商の人たち(やはりロマの人たちだろう)の姿も全く無くなっていた。
(グラナダの観光資源であるフラメンコの担い手でもあるロマたちには、他の地域のロマと違って行政からの補助も入る「共済組合」のようなものも発達していて、比較的恵まれてはいるという。しかし、その観光が大打撃だったコロナ下ではどうだったのだろう)
コロナ前のことではあるが、動画の中でリロラたちを乗せてサクロモンテ修道院のロケに向かう車を運転するチャロの姿があった。その他人を乗せ慣れているような様子は意外ではあったが、もしかして以前から副業でタクシードライバーでもしてたのか?と思ったりもしたが。
思えばルイスは教会の結婚式でカンテを歌い、チピロンはショッピングモールを流して歩き、ホルヘはちょっと怪しげなバーに出入りして演奏している動画がそれぞれ幾つかずつは出て来たのだが、チャロに関しては展望台とそのすぐ近くの屋外カフェ以外の場所で演奏しているものは、ほぼ無かった。(例外的にリロラに引っ張って行かれたかと思われる、地元ラジオ局のスタジオで一緒に演奏している動画と、やはりリロラと共に小さな舞台で踊るバイラオーラの伴奏をしている動画が其々あっただけだ)
展望台でパストラーナ家を率いるチャロの兄、ホルヘにしても、かつて自分が叶えられなかった夢をチャロが叶えてくれることを期待しているのかもしれない。世界的なコロナ規制解除で今後、このプロジェクトが再び動き出すのかどうか?遠い異国の、ネット越しの一ファンとしてはただ見守るしかない。
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