2-1 よく分からない「人間」(2章:「よいデザイン」という難題)

(Last Updated : 2019.10.1 / Version.1)

前章では「デザインとは?」というお題について述べました。その中でデザインの歴史を踏まえつつ「デザインの中心には人間がいる」ということを説明しました。そして、この中心たる人間はデザインの基本構造において「想像」という場面で「評価」として機能することを説明しました。

ということで、2章ではこの「評価(Evaluation)」に着目してみたいと思います。簡単にいうなれば「よいデザインとは何か?」という話です。とはいえ、これまた難題です。

このノートでは前菜というわけではないですが、「よいデザイン」という問題がなぜ難しい問題なのか?について説明していきたいと思います。

なぜ「想像」なのか?

デザインは「創造と想像の繰り返し」という話でしたが「想像による評価」という場面において重要なこととは一体どのようなことでしょう?

その答えは「正確性」です。

そもそもデザインの本質は「評価者をユーザにする」という点にあるので、最も正確性を高めるのであれば、いちいち頭の中で想像などせずに「ユーザ本人に直接聞いてしまう」というのが一番でしょう。ところが現実問題として考えた場合、それは極めて難しいといえます。何故かというと、修練させていくプロセスの中にも「ユーザの評価」が存在するからです。

例えば、アイデアを修練させていく過程には「線1本の曲率具合」といったものまで存在します。もちろんそれは図面上の話であったりします。そうすると、最も正確性を高めるにはデザイナーが「線1本の曲率を考える場面」においても、ユーザにお越しいただいた上で「どちらの線がお好みでしょうか?」と聞かねばなりません。もしも仮にお越しいただけたとしても、ユーザさんが図面上に描かれた線1本を見て「最終状態を正確に想像し、正しい評価を下せるか?」は別問題になります。概ねほとんどのユーザは、線を1本見せられても最終状態は想像できないでしょうし、ましてや「最終状態に対してこの線が適切か否か」の正確な判断はできないと思います。つまり、デザイン過程ではユーザ自身が正確な判断をすることができないケースも間々あるということです。

そう考えると、どうしても「想像のチカラ」に頼らざるを得なくなってしまいます。少々もどかしい気もしますが、デザインの奥深さやデザイナーの存在意義もこの辺りに由縁があるのかと思います。ちなみにデザインの実務では「最初からすべてを想像に頼る」のは難しいこともあり、何かしらの形で「ユーザを想像するための手がかり」を得るための観察や調査が行われます。また、この調査方法も様々なものが考案されています。デザインの技術として考えた場合、これらを紹介するのが筋ですが、ひとまずは保留しておきます。というのも、具体的な話に行く前に立ち寄らなければならない場所があるからです。

「よいデザイン」という難題

デザインを行う際に誰しもが目指すものは「よいデザイン」だと思います。果たしてこの「よいデザイン」とは一体どのようなものなのでしょうか?平たく言えば「ユーザが"よい"と評価したものが"よいデザイン"」となるかと思います。そうなると今度は「ユーザは何をよいデザインと評価するのか?」という疑問が浮かんできます。そして、これが案外難しいのです。

まず、手っ取り早く思いつくのは「便利なもの」「使いやすいもの」「分かりやすいもの」といった評価軸かと思います。ですが本当に「便利なもの」「使いやすいもの」「分かりやすいもの」はよいデザインなのでしょうか?実は必ずしもそうではありません。

最も簡単な事例を考えてみましょう。それはパズルです。「便利で使いやすくて分かりやすく、すぐに出来上がるパズルはよいデザインか?」と質問されたらどうでしょう。恐らく答えはノーですよね。他にも色々と思い浮かびます。バーベキューグリルはどうでしょう?炭など使わずカセットガスでキレイに焼けるバーベキューグリル、これなんて超便利ですし、実際そういう製品も世の中にはいくつかあります。ところが、バーベキューグリル市場のメインはいまだもって炭です。値段もたいして変わりませんし、むしろ炭を使うグリルの方が高い場合もあります。では、このカセットガスで出来るバーベキューグリルは「よいデザイン」なのでしょうか?微妙なラインですよね。

一方「とっても使いにくい財布」があったとします。でも、当のユーザはその財布の雰囲気やテイストがとても好きで、使いにくいことにすら愛着を感じていたとします。さて、この財布は「悪いデザイン」なのでしょうか?ユーザが愛着を感じるそのデザインは、きっとそのユーザにとって「よいデザイン」でしょう。

このように考えると、「よいデザイン」の評価基準はユーザによって全く異なる可能性が大いにあります。さらにいうと、ひとりのユーザであっても評価基準は時間とともに変化する可能性があります。例えば先ほどの「とっても使いにくい財布」ですが、当のユーザも最初は気に入っていたので「よいデザイン」と思っていたのが、段々と使いにくい部分が気になってきて「悪いデザイン」へと評価が変化することもあります。恐らくこれもよくある話でしょう。つまり「よいデザイン」の評価基準は人それぞれである一方、「たったひとりの中においても評価基準は時々で揺れる」という性質を持ちます。

このように、ただでさえフワフワしている評価基準にもかかわらず、曖昧な「想像」という行為でこれをカバーしようと思ったら実に難しい話だといえます。

「人間の性質にせまる」というアプローチ

さて「よいデザイン」の評価基準が極めて曖昧であることはお分かりいただけたかと思いますが、「曖昧ですよね〜」で終わってしまうと「じゃぁ、どうすればいいのよ!」という話になるかと思います。

先ほどまでの話は個人レベルでの「よいデザイン」に関する話でした。いわばミクロの話です。そこで、ここはひとつグッと視点を遠いところへ移してみたいと思います。それは「人間は何をよいデザインと判断・評価する性質を持つのか?」という話です。いわばマクロの話です。そこから「よいデザインとは?」を見直してみたいと思います。

「人間の性質の理解」にも様々なアプローチが存在します。デザインに対して最も親和性が高く、スタンダードなアプローチといえるのは人間工学なのではないでしょうか。人間工学をあまりご存知のない方は「人間工学って何?」という話になるかと思いますので、ここは日本人間工学会の説明を引用してみたいと思います。

人間工学は、働きやすい職場や生活しやすい環境を実現し、安全で使いやすい道具や機械をつくることに役立つ実践的な科学技術です。
(中略)
国際人間工学連合(IEA)では人間工学を“システムにおける人間と他の要素との相互作用を科学的に理解する専門分野”と定義しています。

国際人間工学連合(IEA)による人間工学の定義
(The Discipline of Ergonomics)
人間工学とは、システムにおける人間と他の要素とのインタラクションを理解するための科学的学問であり、人間の安寧とシステムの総合的性能との最適化を図るため、理論・原則・データ・設計方法を有効活用する独立した専門領域である
(Ergonomics (or Human Factors) is the scientific discipline concerned with the understanding of the interactions among humans and other element of a system, and the profession that applies theory, principles, data and methods to design in order to optimize human well-being and overall system performance.

(中略)
人間の身体的・認知的・精神的特性を理解し、人間とシステム要素を等距離に捉え、仕事、機械・道具、環境、組織、社会システム、組織文化との相互作用の適正化を図る実践科学が人間工学といえます。
[日本人間工学会, 2019.8.20参照]

これをご覧いただくと「人間の性質を理解する」という方向性に関しては同じですが、目指す方向性として「安全」や「使いやすい」という言葉に代表されるような「最適化」が念頭にあることが分かります。デザインとしてこれを考えた場合、先に述べたとおり必ずしもこの方向性に合致するとは限らないので、「よいデザイン」という文脈では違うアプローチが必要そうです。

では「どのアプローチがよいのか?」という話になるのですが、これを探すためにまずは「人間の行動にみられる特徴」を考えてみることにします。まず行動の前提的特徴として挙げられるのが「行動の非合理性」です。これは工学よりも経済学分野の方が研究が活発なので、少しばかり経済学の屋根をお借りしながら、現象として「人間はどのような非合理的な行動を起こすか」について説明してみたいと思います。

非合理的な生き物、それが人間

2002年にダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman)とバーノン・スミス(Vernon L. Smith)の2人がノーベル経済学賞を受賞しました。彼らの受賞理由は「心理学的研究から得られた洞察(特に不確実性のもとにおける人間の判断と意思決定に関する洞察)を経済学へと統合した」ことにありました。彼らの受賞によって一躍脚光を浴びたこの流れは、その後「行動経済学(Behavioral Economics)」という名の新たな学問分野へと発展していきます。

このような行動経済学ですが、それまでの経済学と比較して一体何が違っていたのかというと、人間に対する考え方です。それまでの経済学における人間の考え方の主流は、俗に言う「経済人モデル(Homo Economicus)」でした。経済人モデルでは、人間は「常に自身の効用を最大化するべく合理的に動く」とされ、非合理的に動くなんてありえないとされていました。

ところがどっこい、実際の人間は極めて非合理的に動いてしまうことから、「人間の行動に関するクセのようのものを心理学的アプローチで解き明かし、経済学へと活かしていこう」と考えたのが行動経済学です。この「人間は非合理的に動いてしまう」という前提は、デザインにおいてはごく当たり前的な感覚だと思うのですが、経済学においては受け入れ難かったのかもしれません。実際、行動経済学が確立する前からそのような動きはあったのですが、日の目を見るまでには少し時間がかかってしまいました。

ということでこの「人間の非合理的な行動」について、いくつかの事例を出して説明してみたいと思います。行動経済学でもカーネマンをはじめ、多くの学者が様々な実験をもとに説明をしていまが、彼らの事例をそのまま受け売りするのもなんだが芸が無いので、彼らの話を参考にしながらオリジナルの事例を考えてみました。事例を読んでみてもピンと来なかった場合は、彼らの本や心理学の本を参照してみてください。沢山の事例が載っていると思います。

さて、まず考えてみたいのはこんな事例です。

あなたは先日、某社から発売された新しいスマートフォンが欲しいと思っていたとします。もう買う気は100%です。絶対買います。そんなある日、友人とウインドウショッピングをしていた時に、その欲しいと思っていたスマートフォンが半額で売られているのを発見しました。
「本日限り!先着10名様に新型スマートフォン半額セール!現金一括のみ!」だそうです。あなたはすぐさま店員さんに「あと何台ですか?」と尋ねます。すると店員さんは「残り2台です!」と答えました。あなたは買う気満々なので「よっしゃ!」と思ってお財布を覗いてみます。ところが現金がありません。ATMに行ってお金を引き出せば買えますが、たまたまATMが歩いて15分ぐらいかかるところにしかありませんでした。往復30分です。30分も時間をかけていたらきっと売り切れてしまいます。あなたは困ってしまいました。
その時、ふと隣の店に目をやると、某消費者金融がキャンペーンをやっていました。「体験キャンペーン!本日返済なら利息0円!はじめての利用にもカウントしません!たった2分でお貸し出しします!」だそうです。消費者金融でお金を借りてスマートフォンを買ってからATMに行ってお金を降ろして返却すれば何もデメリットはありません。

さて、あなたはどうしますか?

とある会社にセミナー講師として招かれた際にこの事例をお話して「某消費者金融からお金を借りるという人〜」と質問してみたところ、手を挙げたのは1割にも達しませんでした。

何故でしょう?

経済人モデルであれば即決で「某消費者金融から借金」を選択します。なぜなら、何もデメリットが無いからです。それでいて「半額で商品を得られない」というリスクを軽減できるので、メリットしかありません。でも、多くの人はそのような決断をしません。

何故なら、そもそも「消費者金融からお金を借りる」という行為に対して、あまり好ましくない行為というイメージを持っており、これがデメリットとして作用した結果、「半額で商品を得られるメリットよりもデメリットの方が大きい」と判断したからです。それを証明するために、そのまま次の質問に移ってみました。次の質問はこうです。

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