きみとぼくの日常

はじめに 楽曲「きみとぼくの日常」の紹介

自主制作CD『伝思 ver.2』(2020)に、HALMUDAハルミューダとしてもおなじみの「ただいま」や「One!」とともに収録されている。その後の自主制作CD(2021.4.4)と配信アルバム「Rock Monster is Coming」にも収録されており、今もストリーミングサービスで遥-HARUKA-「きみとぼくの日常」で検索すれば聴ける。

「きみとぼくの日常」と私の出会い

HALMUDAハルミューダが、遥-HARUKA-として活動をしていた2020年。私が、遥くんを知った頃の楽曲。当時の遥くんの活動の中心は、自宅からの歌配信だった。「ひたすら綺麗な曲を作りたかった。」「現実ではあり得ない、理想を追求した曲。」「ジブリの世界のような、久石譲さんの曲のような綺麗な曲にしたかった。」と遥くんは配信の中で話していたように思う。
『伝思ver.2』を購入して「きみのぼくの日常」は毎晩の私の子守歌になった。心が鎮まり穏やかに眠りにつくことができた。

私が思う「きみとぼくの日常」

家族や友人や恋人、職場で出会う人、いろんな人たちと共通に目指す方向をみて隣に並んでいられたら、そんな関係性のまま、ずっと一緒にいられたらどんなにいいだろう。
実際には、共通にみているものはあっても、全てを共有できることなんてないし、全て同じ感覚で共有することはできないんだ。私は私だし、あなたはあなただし、人それぞれ。そして、それぞれの人は、自分の想いを理解して欲しいがために、主張したり、怒ったり、失望したり、離れて行ったりしてしまう。または、私はあなたの全てを共有してるって思い込んでみたり、考えや行動の全てを模倣して依存してみたりして、結局、とても苦しくなってしまったりする。お互いにおかしな関係性になってしまうよね。
だけど、私はわたしでここにいる。だから、あなたはあなたのままで、そのままでいて、それでいいんだから。わたしとあなたの違いのせいで苦しまないで、争わないで、それでいいのだから。
そんな風に、自分のことも、相手のことも、「そのままでいいんだよ。」って思えたら、いつも一緒じゃないけれど、同じものを見ているときは一緒にいて、他のものを見ているときは別々にいて、そんな風に過ごすことが日常ならば、穏やかに過ごしていけるんじゃないかって、そう思った。(実際には、とても難しいのだけれど…)

だから、HALMUDAハルミューダとして、新しい楽曲も数曲リリースされた今も、この「きみとぼくの日常」は、大好きな曲の一つだ。


歌詞

うるさい通知音 鳴りやまぬコール音 遮られた光 変わらない日常
いつか きみと見た川のように きれいな心になれたなら
誰も傷つけぬように 生きていけるだろう
ここにいるよ ぼくがそばに だから あなたにはそのままでいて欲しい
ここにいるよ きみのそばに だから ぼくは生きていける
水面に浮かぶぼく それを見つめる月
浮かんで沈んでいく 理想だけを見つめ
いつも 淋しさをまとう目に 捕らえられたように動けない
ここにいて欲しいと その目がぼくを惹きつけるから
ここにいるよ ぼくがそばに 同じ生命線の上 踊ってる
ここにいよう きみとずっと 蠟燭の灯が消えるまで
ぼくがきみを想い続けよう ずっと同じ星を見つめていようよ
暇な日などないくらいに いつも一緒にいよう
ここにいるよ ぼくがそばに 信じ合っていつまでも そばにいよう
ここにいるよ きみのそばに だからぼくは 生きていける
ここにいるよ ぼくがそばに だからあなたには そのままでいて欲しい
ここにいるよ きみのそばに だからぼくは 生きていける

おわりに

遥-HARUKA-のときも、現在のHALMUDAハルミューダでも、人と人との関係を恋愛関係だけにとどまらず、広くいろんな関係での愛、人間愛、として表現していると思う。だけど、それは綺麗な理想としての想いの表現。他にも、自分のもどかしさや悔しさ、そんな彼の等身大の素直な表現の楽曲もある。そんないろんな表現の彼の音楽で「いろいろあるけど、図太くこの世界に存在していこうぜ!」と言われているような気持ちになって、なんとか踏ん張っていこうって私は思う。


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