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【リマスター】マイ橋を築く(2009年9月21日)

過去に書いたブログ記事を少々のブラッシュアップを加えて再掲載する試みです。今回は2009年9月アメブロで公開した「マイ橋を築く」という記事です。


僕の夢

今日は僕のささやかな夢について書きます。僕の夢は「自分の橋を持つ事」。

橋は、谷や川を渡る。つまり場所と場所を結ぶ土木構造物です。古の昔、橋は結ばれるその土地の支配者のものでした。己の富を交流させ、それらをさらに増殖させる。まさに権力の証しだったのです。僕もそんな橋を所有して権力に少しでも近づきたいものですが、僕のような民間セクター側の人間が橋を持つ事は出来るのでしょうか?

現在も昔の人々が造った橋が残っています。わかりやすいところでは、大阪御堂筋の淀屋橋。江戸時代の豪商淀屋が自身で築いた中之島と、当時の大阪の中心、堺筋を結ぶために、淀屋が私費で設けたものです。淀屋は諸藩大名に融資を行い、最終的に合計銀一億貫(現在の価値で100兆円)もの金を貸していたそうです。

形を変えながら現在まで残る淀屋橋

現代にも存在するマイ橋。おれも欲しい!

自分の橋を持つ事が昔々の話と思ったら大間違いで、何とこの京都に「自分の橋」が現役で活躍しているのです!京都市東山区にある株式会社松風の本社前の橋は、松風のために造られたものなのです。名前も松風橋です。わかりやすい……。気になったので、株式会社松風さんが社用橋を持つようになった経緯を電話で聞いてみました。

僕「こんにちは。私はやさしさ(実際は本名を名乗りました)と申します。このたび、インターネットのホームページで御社の橋を紹介したいと思いまして、お電話いたしました。2、3、質問させていただいてもよろしいでしょうか?」

松風の方(以下「松」)「お電話ありがとうございます。弊社の橋と言いますと、本社前の松風橋の事でございますね。」

僕「はい、そうです。まず、橋はいつ頃造られたものなのですか?」

松「詳しくは存じ上げませんが、現在の橋はだいたい昭和50年頃のものです。詳しい者がおりますので、折り返しご連絡さしあげますが、いかがいたしましょう。」

たまたま電話応対した方でもおおよその建設年がわかるほどに「自分のもの」の意識があるようです。とてもうらやましい……!その後1時間後にお電話いただき、

(1)現在の橋は2代目で、昭和60年に建て替えを行った。初代は昭和10年に造られた。
(2)あまりに古くからあったため、社内に総工費等の資料が残っていない。昔の様子は実はよくわかっていない。

という情報をいただきました。

これが松風橋。かなりしっかりした橋。

これだけ立派な橋ですから、当然億単位のお金がかかるでしょう。そもそも橋の存在の必然性がなければいけませんから、僕も大企業の主となって多くの従業員を抱えて川の向こう側に本社を設けなければいけません。夢は大きい方が良いのですが、僕のくだらない夢を叶えるために雇われる人々の事を考えると不憫でなりません。ここはひとつ、とんちで夢を叶える必要がありそうです。

そして、ついに「マイ橋」を築く事に成功しました。だから、街に出て僕の橋を自慢しに行ったのです。

マイ橋お披露目

築いた橋を自慢すべく、街へ出ます。まずは昼休憩を利用して近所のファミレスへ。

おいしくて値段も安く、ドリンクバーがある。僕のオアシス

店員さん(以下「店」)「いらっしゃいませー。お一人様ですか?お一人様ですね。こちらへどうぞ」

僕「はい」

毎日のように通っている店ではないので、両者の距離は遠いです。それを近づけるために何となくフレンドリーに接しながら、自慢する隙をうかがいます。料理の注文をすべく、「ファミレスのボタン」を押します。

店「ご注文をどうぞ」

僕「えーっと、和風定食とドリンクバーをお願いします。あと、マイバシ持ってます」

店「かしこまりました。ドリンクはご自由にお飲み下さい」

橋の事をそれとなく伝えながら注文完了。料理が出来上がるまでドリンクバーの梅昆布茶やアイスカフェモカをすすりながら待ちます。このタイミングで橋を自慢する準備も行いました。店員さんの驚く顔が楽しみです。

店員さんがやっと料理を持ってきてくれました。その間十数分。いつもより長くかかりました。シルバーウィークまっただ中の昼時。郊外観光の拠点に位置するこのファミレスは家族連れで大変混雑しています。店員さんも忙しそうです。なんだか申し訳ない気分になってきますが、橋所有者の余裕を見せようと虚勢を張ります。

店「大変お待たせいたしました。和風定食でございます」

僕「ありがとう。マイバシ持ってるから」

店「?。ごゆっくりどうぞ」

もう一度橋の所有をアピールしたのに店員さんには驚きの表情が見られません。この時のテーブルの状況は下の写真のようになっていました。

コーヒーの後ろに築かれたマイ橋

持ってきた定食には割り箸がありません。店員さんは「マイ橋」と「マイ箸」を勘違いしていたようです。こういうこともあろうかと思い、マイ箸も持参していたので事無きを得ましたが。

マイ橋の上にマイ箸。この橋はつまようじブリッジといって、つまようじだけで出来たもの。

僕のささやかな夢とは、実は橋と箸をかけたダジャレを言いたかっただけだったのです。ここに到着するまで、「マイバシあります」に対する驚きの表情を楽しみにしていたのですが、実際はクスリともせずに立ち去っていきました。周りのお客さんの反応も全く無しです。1週間ちょっとずつ時間をかけて造った橋が注目を浴びず、悲しいです。一応出来るまでの工程も説明します。

マイ橋の作り方

つまようじブリッジの作り方です。

(1)つまようじを長い棒にするため、整形する

(2)整形したつまようじをボンドでつなぎあわせる

(3)強度を持たせるために、つなぎあわせたつまようじをボンドで束ねる

(4)組み合わせて橋っぽくする

つまようじは白樺の木材から出来ているためか、ペンチで切るには柔らか過ぎてうまく切れません。粗い切れ口になってしまうため、(2)の工程でしっかりした棒になってくれず、苦労しました。本来はカッター台を用意して、カッターではっきりした切り口にするべきなのですが、「どうせダジャレだから」という僕の甘い気持ちが災いし、途中からぐだぐだになってしまいました。時間をかけた割には手がかかっていないのです。

そもそも、工作しているくせに図面を全く作成していません。我ながら甘過ぎます。教材としてのつまようじブリッジは図面の作成が重要と言われており、そこで頭を使って考える事がこの橋の存在意義なのです。つまようじブリッジの良さを全く引き出していません。

と、反省してはみたものの、ファミレスでの屈辱は忘れられません。もう一度場所を変えて自慢します。

マイ橋見せびらかしチャレンジその2。そして反省へ……

続いてのバトルフィールドは飲み屋です。行きつけの立ち飲み屋さんでの挑戦です。

店員さんが暖かくお出迎え

店員さん(以下「員」)「いらっしゃい!お、やさしさ!よく来たね!」

僕「ごぶさたしてます。とりあえず生中。あと中華くらげ」

員「あいよ!」

普段はビールだけ2~3杯飲んでそのまま帰るのですが、今日はマイ橋自慢に来ているので、フードも頼みます。

にぎやかな店内がもっとにぎやかになるか、さめざめするか。マイ橋にかかっている

員「生と中華くらげおまちどうさま!」

店員さんの目の前、カウンターの上に堂々とマイ橋を築きました。ビールをわざとらしくその上に置きます。

トラス構造なので、重いものにも耐えられる

どうやら店員さんを不愉快にさせてしまったようです。彼らと僕の間に不穏な沈黙が流れます。

立ち飲みの良い所は、赤の他人であるはずの他のお客さんが話題に入り込んでくれる点にあります。この沈黙を見かねて隣のお客さんから意見をいただきました。
「つまようじブリッジが橋に見えない」
「シャレとして面白くない」
「仮に驚いたとしても最初だけで、話が続かない」
「割り箸がカウンターに置いてあるので、マイ箸を持っているというアピールがわざとらしい」
なるほど。全てごもっともな意見。特に橋が橋に見えない点は猛省すべきところです。橋を「築いた」時点ではわからなかったのですが、この時に橋ではない事に「気づいた」のでした。

●今回のまとめ
今、家に帰ってきて書きながら総括をしているのですが、ささやかな夢とはいえ、理想的なかたちで夢を叶えようとするなら、生半可な気持ちでやってはいけないという事を思いました。今回は築いた橋(「築いた橋」という表現も今にして思うと恥ずかしい)が橋に見えないというのが致命的でした。つまようじブリッジにこだわらず、素材から説得力を持たせる事も考えるべきだったのでしょう。

リベンジするかどうかわからないのですが、次回作るとしたらトレッスル橋がいいなぁ、と思いながら、今日はこれで終わります。

協力:大衆酒場 印(西大路四条西入ル北側)
※大衆酒場印は現在ありませんが、当時の社員さんが市内で新たにお店を営業しています。

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