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家入一真さんにたっぷり2時間取材しました!! part3

やさしいかくめいラボのメディアチームで、ラボのメンバーが疑問に思っていることや家入さんについて知りたいことについて2時間たっぷり取材してきました!

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これを読む前に忘れて欲しくないことは、家入さんの考えは正解とは限らないということです。でも家入さんの考えに触れて参考にできることや考えさせられる部分はたくさんあるはずです。ラボのメンバーやラボに興味を持っている方はもちろん、家入さんの考えが知りたいという方にも楽しめる内容になっていると思うのでぜひ読んでみてください!

ー新しく初対面の人と接するときにこの人とは関わらないほうがいいとかそういう取捨選択みたいなものがあると思うんですけど、

ないです。


ーないですか?誰に対しても。この人とは関わっていきたいみたいな。

あー、まあもちろんね、出会う前になるべく前情報とかで勝手に色眼鏡で見たりしないようにしています。あの人噂では、こういう人らしいよ。みたいなものを聞いていたとしても、一旦その情報持たずに自分の目で見て話聞いて、実際そうなのか見極め上で付き合いを決めたいなっていう風に思うので。なんか取捨ってあまりにもおこがましくないですか?

人に対して自分が決められる存在であるってのは凄いあまりにもおこがましい態度だなと思っていて。ただ、もちろん人と人なので合う合わないありますよ。苦手だなとか、この人は無理だなとかあります。その時はスッと離れますね。だってお互いのためにならないですから。


ー僕の想像では、家入さんの場合だと悪口を結構言う人とかがそういう対象ですか?ちょっと離れたくなるような。

うーん。そうだねー、人のことを悪く言う人とは一緒にいたくないですかね。
でも、一方で人間臭いなこの人っていう人も好きなんですよ。だから、悪口言ってないとやってられないみたいな、悪口を言うことで何とか自分っていう人間を保とうとしてる。さっきの話じゃないですけど。そういう人はそういう人ですげー人間っぽいなって感じたりもしますね。

でも、あんまりそこに巻き込まれて僕も悪口を言うってことはないんですけど、なんだろうなー、人間らしくて愛おしいなって人もいますよね。そうやって、悪口言ったりとか、噂話でなんとか自分をそうですね。

ー付き合う付き合わないの判断基準がちゃんとあるわけではなくて、そういう感覚的なもので決めてる?

感覚で決めてるっていうと何となく嫌とか、そういう話になっちゃうんで、僕はそれは違うなと思っていて。なんだろうなー。感覚で決めてるのかなー。どうなんだろうな。何となく嫌っていうのって、何となくで決められた相手側からすると凄い嫌ですよね。

何となく嫌だなって思ってたけど、実際にはいいやつとかあるじゃないですか。だから、なるべく感情とか事前の情報とかに左右されずに自分の目で判断したいなっていうものはあります。結果、なんかやだなってことはあるかもしれないけど、なるべく、なんかやだとかみんなこう言ってたなとかは信用しないようにはしてるなと。たしかにみんなが言うようにやな奴だったっていうことも全然あるし、みんなはなんでこの人のことをこんなに悪く言うんだろうなっていうのも全然ある。やっぱり、誰かを悪く言うのはよくないですね。苦手、苦手です。


ー次の質問はこの質問を考えた人のストーリーも混ざっているんですけど、「私は、沢山の他者の依存先を持つことが自立だと考えてますが、一方で浅すぎる関係と言われることも多いです。他者との関係性を考えたことがある家入さんの意見が聞きたいです。」とのことです。

これは、熊谷晋一郎さんっていう難病抱えたお医者さんの言葉で、何度か、多分いろんなことで言っているので知っている人は知っていると思うんですけど。本当の自立は依存できる先をたくさん作ることであると言っているんですよね。

どういうことかというと、彼は難病でずっと車いすで生活していたので、各家族に面倒見てもらって育っていたわけですよ。あるとき、いつまでも親の助けを得ながら生きていたら、親が先に死ぬのは分かっているし、自分はこのままだと駄目だと。だから、自立しなければならないと思って、大学に入ったか何かのタイミングで1人暮らしを始めるんですよ。

で、1人暮らしを始めた初日かなんかで転んでしまって、自分で起き上がることはできないのでどうしようもなくなってしまった。大学の友達とかいるけど、助けを求めるのは恥ずかしくてできないと思っている。だから、何とか自分で、自立しようと1人暮らしを始めたんだけど、どうしようもなくなってしまう、このままだと死んでしまうとなった時に、恥を忍んで友人に電話をして助けてもらった。

友人からすると「そんなこと全然いつでも言ってくれよ。いつだって、飛んできてお前のことを助けてあげるから」と言われて何とか助かったんだけど。その時に、自立するっていうのは1人で力強く生きていく力を自立っていうんじゃないと。自立するっていうのは助けてもらえる、逆にいうと自分もまた誰かを助ける側に回ることだってあるんだろうけど。

本当の自立っていうのは、依存できる先を沢山増やすことなんだってことに気づいたっていうのを熊谷さん言っていて、それは僕凄くしっくり来たんですよね。やっぱり生きているとそれこそ生まれながらハードモードとうおばれるしんどい家庭環境で生まれることもあるだろうし、裕福な家庭で育ったけど、ある時不幸が襲うってこともあるだろうし。生きていると色んな理不尽な出来事に出会うわけですけど、そういったときに、それでも1人で何とか潜り抜けてきたみたいな人は、自立とは1人で戦い抜く力のことを言うっていうかもしれない。

だけど、本当の意味で、1人で1人だけの力で生きている人ってこの世にいるんだろうかって思うんですよね。全ての人が誰かしら何かしらに助けられながら生きているはずで、この世に産み落とされたっていうのも親の力によるものだし、望んだか望んでないかは置いといて。

だから、自力で生きる、自立するっていうことはどれだけおこがましいことであるか僕は思っていたので、依存する先を増やすっていうのは自立であるということはすんなり受けいられたというか。で、質問なんでしたっけ?


ー自立とはそうであると考えてますが、一方で浅すぎる関係と見られることがあります。

じゃあ、深い関係って何なんですかねって話なんですよ。


ー多分、人たらしとかって呼ばれるってことなのかなーって

それはきっとたらされる側にも、たらしの方に対して、何かしら得るものがあるからたらされてると思うんですよ。人たらし、たらされるって言葉の使い方あってるか分からないけど。

ようは、なんだろうなー、浅いってそんなの浅い関係しか世の中に存在しないと僕思いますけどね。親と子ですら確かに血のつながりはあるけど、血のつながり=深いのかというとそうは思わないですし、「俺たち親友だよな」とか言ってても時代とともにそれぞれの選ぶべき人生だったりタイミングとかによって別れていくことも全然あるし、人のつながりに浅いとか深いとかあるのかな全部浅いんじゃないかなって僕は思う。どうなんだろうね。

僕の例でいうと友人って誰ですかって言われた時に、友人の定義ってなんだろうなって思うんですよ。ある人にとっては毎週のように毎日のように飲むやつを友人というだろうし、学生時代に、部活とか乗り越えたやつのことを友人って呼ぶ人もいるだろうし。僕が思う友人は、つながりはめちゃめちゃあるはずなんだけど、友人ってパッと顔が思い浮かぶのは数人なんですよ。その友人ってどういう関係かというと、3年に一度くらいそういえばあいつ元気かなーって思えるやつとかですよね。で、メッセしてそろそろ飲みに行こっかみたいな。前回飲んだの3年前みたな。

だから、数年会わなくてもお互いのことを思い合える関係を友人だと思っていて、それを深いかどうか分からなくないですか?浅いとも言えるし、深いとも言える。だからあんま気にすることないんじゃないですか、そんなの。

ー別に、人たらしとか言われても別に気にする必要はないと

人たらしって褒め言葉じゃないの。違うんですか?

さっきの繰り返しになるけど、たらされてる側、人たらしだよね、お前って言われた時に、いろんなこう、あいついいよねって言ってるやつが周りに沢山いるってことでしょ。そう言われるのは何かしら魅力があるからなんですよ。それは全然悪いことじゃないんですよ。


ーまた質問チャンネルの方で、やる気が出ない時はアポを断ったりしてでも1人の時間を使ってとことん自分と見つめ合う時間にします。とあるんですが、具体的には瞑想をしているとお聞きしたんですけど、他には何をしますか。

瞑想してるっけ?あ、瞑想にはまってた時もありました。はまってたというか瞑想に行ったりしてた時期もありました。

ーTwitterか何かでアポが全然家入さんと約束してたのに全然来ない。他の人に連絡してみたら今は瞑想中みたいな。

それはなんか、適当な嘘をついてくれたんじゃないですか。わからない、本当に瞑想に行ってたこともあったかもしれない。

ーでは具体的には、どのように休まれていたとかありますか?

そうやって、みんなもあると思うんですど、やっぱり波ってあるんじゃあいですか。この年齢になって波とどう付き合っていこうかようやくわかってきたなーと思うんだけど。昔は、波を抑えようと頑張ったり、むしろ逃げてしまったりを繰り返していて。

どういうことかというと、すげー今いろんな人に会いたい、いろんな人の話聞きたい、こういう活動したいって時にまあある意味、波的には層の状況にいってるわけですよね。色々、アポ入れたりとか、みんなに会いに行ったりとか、新しいこととか始めたりして。でも段々やってると疲れてくるんですよ。

疲れてくるとなんか、やっぱり人に会えないかもしれない、会いたくない、引きこもりたい、何もやりたくない。ってなってくるんですよ。そういう時期を過ごすと、また少しずつ、ちょっとそろそろ人に会いたいなーって。これほんとにずーっと何十年も繰り返してきて。

最初のうちはいつ、自分のダウントレンドが来るかとかも分からなかったし、だからアポとかを先に入れていた中で急にダウントレンドがやってきて、このままみんなと会ってると自分の心が駄目になってしまうとなってドタキャンしたりとか断ったりとかして結構な人数の人たちを怒らせたりしながらも、自分の心を守ってまた少しずつ復活してきたらまたみんなと会ってということをやってたわけですけど、重ねていくとそろそろ来るなって分かってくる。そろそろ波きそうだから、アポ減らしていこうとか、40になってようやくできるようになってきた。


じゃあ、誰とも会ってない時、何してるっていうと大体本読んでること多いですけど。まあ部屋だったりカフェだったりでとか。あと出張入れたりしますね。飛行機で長時間移動したりだとか、普段いる場所と違うとこに行って、強制的にアポも入らない場所に行っちゃえば自ずとやることって少なくなるので、会う人もいないですし、そういうところで本読んだり、次どうしようかを考えたり自分と見つめ合う時間にする。それは結構定期的にやってますね。

ーそれは小説とか技術書とかは関係なく。

全く読まないですね。小説は読まなくはないですけど、なんかあんまジャンルにはこだわらないですね。これは東畑さんという方が出した本なんですけど、「ケアとセラピー」の本ですし、Kindleとリアル本どちらも読むんですけど、社会学とか哲学とか宗教学とかの方が多いかな。僕はね。あんまり、経営から離れて1人の時間にしてるので経営の本とか技術書とか読まないですね。


ー家入さんはコミュニティの立ち上げとか会社とか事業を立ち上げたり会社経営とか様々なことをされてると思うんですけど、それらのタスク管理はどのようにされてるんでしょうか?忙しそうで手が回らないとかないんですか?

タスク管理は、できてないです。

ーできてない、他の人に頼んだりってことですか?そしたら。

アシスタントの方はもちろんいるから、スケジュール的なことでいえば、僕は日々入ったアポをこなすロボットみたいなものです。朝からずーっと。そうですね、タスク管理は自分1人でできないから組織って形をとっているんだろうなーって思います。

確かに最初の言い出しっぺは僕になることが多いですね。新規事業もそうだし、こういう会社をやろうとか、こういうことを始めようとか大体僕が言い出しっぺのことが多いですけど。じゃあ、それを具体的にどういう風に立ち上げていくまではかけられないのでそれはよろしくねって振れる優秀な仲間たちがいるし、それは、CAMPFIREだったりXIMERAって会社だったり、他にもNOWって会社だったりいっぱいあって、それぞれお願いできる仲間がいる。

会社組織じゃないやつでもラボをやろうと思うんだけどみんな集まれって集まった中からマネージャ運営チームが生まれてきて、運営してくれる。日々僕が、運営とかできないじゃないですか。

寺子屋もそうだし、僕が関わらないと進まないというのはなるべくなくす方向で仕組みを作ろうと思っています。なぜかというと、僕の判断待ちで止まってしまうとみんながイライラしちゃうじゃないですか。僕が判断しなくても自分たちの頭で考えて自分たちで回していける仕組みを作ることができれば、そんなにタスクに追いかけられるってことはなくなるかなって気がします。


だから、僕はアイデアもタスクもメモしないってことにしていて、メモしなきゃいけない管理しないといけないタスク、メモしなきゃ覚えていないようなアイデアっていうのはそもそもやらないですから。すぐメモとかしちゃうじゃないですか。タスク管理ツールとか入れちゃったりするじゃないですか。そんな風に管理しなきゃいけないタスクって本当に大事なタスクなんだっけって僕は思うんですけど。分からない。人それぞれあるんでしょうけど。やり方が。

ーまた、ラボの話に戻っちゃうんですけど、ラボに入って自己肯定感が下がった他の優秀な人たちとかと比べて自己肯定感が下がったり劣等感を感じてしまって出る人たちがいるんですけど。そういう人たちにどういう言葉をかけますか。

じゃあ、自分より低い人たちの中にいたら安心するってこと?いや、分かるよ。心情としては。分かるんだけど、きっといじめの構造とかヘイトスピーチの構造とかまさにそういうことだと僕は思うんですよ。自分より低い人に対して優位性を感じて承認欲求を得てしまうって構造自体がそもそもいじめとかハラスメントとかヘイトとかの温床だと思っていて、彼らからすると勝手に劣等感を感じるのは、まあ気持ちは分かる。僕もそうだったし。だけど、その子たちのために何をしてあげられるかはどうしたらいいんだろう。

その子たちに配慮してじゃあ馬鹿な振りをするのか、馬鹿な振りをするのは全然構わんのだが、結局、分かるんですよ。自分よりこうって思っている人に対して劣等感を感じて、辛いってなっちゃうのは超分かるし。僕もスクールカーストで言うと最底辺にいたから。だけど、やっぱりそういう人と比べてどうこうじゃない場所を作りたくて僕はラボを作ったし、きっとラボに来た子たちも誰かと比べてどうこうしなくていい場所を探してラボに来たんだと僕は思っていて、それでも人は比べてしまう生き物なんだってなってしまったらそれは難しいなってなっちゃうんだけど。



やっぱり、他人と比べることが不幸の始まりなんだよね。その子たちに限らず、どんな人でも全て。何歳になっても、どんなにお金を持ってようとも誰かと比べた時点で不幸になっちゃうんですよ。例に出していいか分からないけど例えば、ZOZOの前澤さん。確かにお金めっちゃ持ってますよ。だけど孫さんに比べるとどうかって言われると全然小さいですよね。孫さんも、誰と比べたらいいんだ。

ービルゲイツ?

ああ、そうだね。と比べたらどうなのか。じゃあ、あの人たちが比べてるのか、分からない。表には出さないだけでほんとは、裏ではくそーとか思ってるかもしれない。だけど、比べてたらキリないよね。自分より上だと思っている人たちだって実際はその上もいるしその人たちがそれをやってたからといってキリがないよね。

だから、まず、僕は人と比べるのをやめようと言ってあげたい。もし、ラボの中で人と比べることによってラボにいることが辛いと思って出てっちゃう子達がもしいるんだとすれば、人と比べるってのはこのラボに限らず今後長い人生の中で就職、起業するでもどんな局面においても人と比べている間は絶対幸せになれないから。

例えば、結婚しますってなった時に、自分のパートナー男性にしろ女性にしろ。もっといい男性、女性がいるかもってなったら目の前の人愛せないじゃないですか。恋愛もそうですよね。就職もそう。全てにおいて人と比べているうちは絶対に幸せになれないっす。ラボにいる間に気づいてほしいなって思いますけど。そんなこと気にすんなって。逆に勝手に自分があいつは凄いって思っていてもろくでもないところはあるし。

例えばパリピだなって思っている奴でも死にたいっているやつはいっぱいいるし。勝手にカテゴライズして勝手に自分の妄想であいつはチャラい奴だとかすげー奴だとか勝手に劣等感覚えても何も自分の人生に影響ない。自分で自分を苦しめてどうするんだ、と思う。

家入さんへの取材part3の動画はこちら
part4は来週公開予定!

インタビュアー:加藤江(かとこー)
記事執筆:寺島一輝(てらしー)katsuyuki加藤江(かとこー)
記事編集:加藤江(かとこー)
カメラマン:katsuyuki
取材協力者:田中理(さとし)野澤明宏、Tetsuya Matsuda、他メディアチームのメンバー

取材日程:2/28の19時~21時
取材場所:CAMPFIRE本社

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