この素晴らしい世界でほら嵐のことを見つけたら、ありふれた日々の奇跡と愛しさで夜が明けていく〜第二夜〜

こんばんは、嵐とポルノグラフィティの奇跡と愛しさで星は廻ってるんだなぁとよく感慨深くなる人です。

「この素晴らしい世界でほら嵐のことを見つけた〜第一夜〜」以降の日々はみなさまどのようにお過ごしでしょうか。

「第一夜ってなんのこと?」「何目線www」って感じだと思うので、こちら第一夜です。

さて、私は第一夜が明けた後は、相変わらずうじうじすることも多いですが、つらいことも楽しいこともそれなりにある「ありふれた日々」を過ごしています。

それでも無事に第二夜を迎えられたことをとても嬉しく思います。なぜならこの数週間でnoteのサービスが終わることもなく、記事を書くための五体満足の身体を保ち、事件事故、病気、災害に巻き込まれることもなく、気分にムラのある私が筆を折らなかったわけですから。まあnote始めて1ヶ月程度のたった5記事目の弱小ユーザーですけど。

続きをちゃんと書こうと思ったのは、「書きたい!」という私自身の気持ちもあれば、読みづらさしか取り柄がないようなこんな記事にわざわざ目を通してくださった方々がいらっしゃって、それがシンプルに嬉しかったからです。感謝申し上げます。

明日生きてるかもわからない人間による、嵐にワクワクしてるお話。

では続きにまいりましょう。

2番

Aメロ

間奏からのが自然すぎて、嵐って朝と夜、過去と今日、今日と明日のように日をつなげる使者なのかなって錯覚しそうになる。嵐はここまで大きくなったのに、まだ「変わらないから」と歌い、「ありのままを贈りたいよ」と願う。シンプルに嬉しい。そして、尊い。

大切なのは偽りのない素直な気持ち

額縁に入れて玄関先に飾っておきたい。
私の思う嵐の“嵐が大切にしてそうなもの”な気がする。〈嵐っぽさその8〉です。

Bメロ

1番とほぼ同じメロディーだけど、ここは1番のときのBメロや他の部分と比べるとほんの少し不安や焦燥感のようなものが見える気がする。
※私の勝手な妄想です

特に

時代はどこまで僕らを追いかけてくるだろう?

この曲唯一の弱音のようにも感じられる歌詞。

最前線を走る彼らは基本的に追いかけられる側。もちろん嵐は“より良いものを”と自分たちなりの目標を追いかけているけど、後輩や事務所、スポンサー、そしてファンから求められ、期待される立場。成功した過去にすがるだけ、例年通りだけでは通用せず、新しいことに挑戦し続けなければならない。誰かを参考にすることはあってもそればかりではいけないし、全部を真似るわけにもいかない。

私なんかではとてもじゃないけど想像が及びもしないプレッシャーを経験してきたんじゃないかって(おこがましいにも程がある)。

嵐がそのプレッシャーに打ち破れて歩みを止めてしまったことは私が見てきた中ではないと思うし、なんなら彼らはそれさえも「ありがたいことです」と言ってそうな人たちなんだけど、それでもそれが苦しかったことも1回くらいは…と余計なことを考えてしまう。

ただ、こんな私の身勝手な心配も包み込んで凪かせる。

この不安や焦燥感、プレッシャーさえも追い風にするような「風に背を受けよう」の揺るぎのない強さ。〈嵐っぽさその9〉です。


ここで1曲ご紹介。

向かい風は後ろ向けば追い風になる
視線向けた方角には明日があると信じる

これはポルノグラフィティの『ブレス』という曲です。リリースは2018年7月25日、ポケモンの映画の主題歌にもなってました。(ピカチュウとポルノグラフィティのお2人が並んで撮った写真がかわいすぎて頭抱えてたのはナイショ)。
いつだったか、この曲のこの部分を聴いてキミの夢を見ていたをふと思い出した。

ここでひとつ、疑問が出てきませんか?出てきますよね????ね???

嵐にとって向かい風は本当に向い風なんだろうか。

後ろ向いて追い風にしてきたのか、そもそも追い風だったのか、彼ら自身の力で追い風に変えてきたのか、嵐を前にすると風さえも味方になるのか。どれかはわからないけれど、嵐が「視線向けた方角には明日がある」と私は信じてる。

努力で追い風に変えたこともありそうなんだよな、嵐って。

(そういえば、かんつよしさんがTwitterで「走ってると「追い風」に気づかない事がある。なんか調子良いな〜ぐらい。でも「向かい風」は僅かでもすぐに分かる。キツさは身体が即反応するのだ。」(2020/7/10)と呟いてはったのも印象的でしたね)

さてさて、1番のBメロが
・情景でいうと“5×20のあの砂浜から5人だけが地平線を眺めている夜明け”、
・状況でいうと“夜明けを知っているのはこの世で嵐5人だけの世界線"
だとするならば、2番目のBメロは"夜明けを教えてくれる鳥か光か風"のようだなって思う。

嵐はその鳥や光や風を自由に操って、道に迷わないように導いてくれる人たちなのかもしれないし、嵐自身が鳥や光や風そのものなのかもしれない。

そんな嵐に導かれていよいよ2番のサビへ。

サビ

消えないよ

輝いてから始まる1番に負けず劣らずな強い光を放つ最高の歌詞。

嵐ってやさしいのに消えない強さを持っていると思う。プラス、その強さは目を閉じたって消えない。儚さもあるのに消えない強さもある。きっと嵐の強さはしなやかなものなんだろうな。

私からしたら嵐が笑うだけで、私は私でいられるわけなんですけど、嵐が"君=ファン"と歌っているのなら…とついつい考えてしまう。そんな風に考えたら、「僕は僕でいられた」ってたまらない表現すぎて泣いちゃう。

「いつだってここにいるよ」という嵐のホーム感。これを声に出してきちんと伝えてくれるところ。〈嵐っぽさその10〉です。

嵐の存在を確認した次は「戻れない時間(とき)の儚さ」。ここを儚さを秘めた嵐が歌うこと。こんなにしっくりくることがあるんだなぁと。

戻れない時間は儚いものだけれど、その儚さの中に「光をまた見つけた」と。強く美しいフレーズだと思う。〈嵐っぽさその11〉です。

個人的には時間を“とき”と呼ばせてるのもツボ。


間奏

ここの間奏はこれまでのキラキラとしたところから、スッと静かになる。それはまるで小休止のよう。最後のCメロに向かって心を落ち着かせ、力を蓄えるための時間のようにも感じられる間奏。

と言いつつ、フィナーレに向かっていくこの心躍るワクワク感で心落ち着くはずもなく、嵐と一緒に駆け抜けたくなる。

こまやかな伴奏に合わせてこちらの心拍数も上がり、嵐っぽさに溢れてやまないCメロへと勢いをゆるめることなく、加速したまま飛び込んでいきます。

Cメロ:全部嵐でしょ(暴論)

〈嵐っぽさその12〉です。

めぐり合うすべては嵐だし、
それがひとつに重なったのも嵐だし、
ありふれた日々にいる嵐はそれだけで奇跡で、
こんな好きな人に出逢う季節二度とないわけなので、
一度きりだから愛しくて。

愛しくて


そして再び現れる

輝いて

今度は一度伴奏が落ち着いて嵐だけの声が響く世界。「輝いて」と高らかに宣言するような彼らの声はトランペットのようによく通りまっすぐで、透き通っていて、堂々とした姿は私の好きになった嵐で、まさに嵐こそが光のよう。“誰よりも早く君に伝えたいんだ。”が一つの口癖の嵐のよう。
〈嵐っぽさその13〉です。

私の耳が間違ってるかもしれないけど、
「輝いてもう」→シャーン→「泣か」シャーン→「ないで」
みたいに嵐と伴奏の掛け合いをしたうえで、「この素晴らしい世界で」からまた伴奏が元に戻る感じが大サビらしい華やかさに溢れててすごく好き。

何度でも言うけれど

この素晴らしい世界でほら嵐のことを見つけた

と呼び続けたい。

嵐がそうしてくれたのを知っているから私も
“言える気がするんだ。恥ずかしがらず、素直に…”

いや、私が言いたいんだ。恥ずかしがらず、素直に。

私に世界の素晴らしさを教えてくれた嵐へ、“好き”“ありがとう”と。


感動のフィナーレ直前の僅かな間奏に胸を打たれながら迎える極めつけの

今この歌を君へ

嵐だなぁって。〈嵐っぽさその14〉です。

夢から無理やりさめさせるんじゃなくて、あたたかくやわらかな光に包んでくれて、決して一人にならないようにしながら、未来へともに歩んでいける気になる。光に包まれたままその先へ…………



願わくば、この嵐の夢から目覚めたくないなってずっと思ってます。

目覚めたくないけど、そのいつかはいつか必ず来るという無情な世を私は生きていて、わりと頻繁にしんどくなりながら、生きづらいなと思いながら日々を過ごしています。
それでも、そのいつかが来たとしても、嵐はい続けてくれるとそう思える。

気がするだけ?思い込み?信者?
それでもいい。嵐が「涙の跡が乾いたらまた呼び掛けるから」私はそれに答えていきたいです。私がそうしたいから。

私はこれまでたくさんの嵐の夢を見ていました。今も嵐の夢を見ています。そしてきっとこれからも。

「ありふれた日々」が「それだけで奇跡」であることを知っていて、「一度きりだから愛しくて」と慈しめる嵐がとても好きです。

『キミの夢を見ていた』(2020/9/16)


奇跡的で愛しきありふれた日々をくれた嵐へ。
ありがとう。

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