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高校入学したら家がなくなった話④

父親の話とは関係ないのだが、私は底辺高校だったので入学一か月で退学する人が結構いて一学期には10人に一人か二人くらいは退学した。
卒業までには20%くらいいなくなったのでは。
バトルロワイヤルだ。

一方中学の時に散々高校行きたくないとゴネた私は退学する気はなかった。
結局受験勉強に縛られるのが嫌だっただけなのだ。

高2に上がる時には進路を決めてクラスを決める。
就職か、進学(文系)進学(理系)だ。

私は保育士になりたかった。
弟の面倒を散々見てきたし、弟と遊ぶってことはその友達とも遊ぶってことで、私の短い人生経験で何か身に着けたことを考えたら妥当だと思った。
勿論ミュージシャンになりたいという儚い夢は持ち続けていたが具体的な行動は何一つとらなかった。

軽音部は「私がやりたい音楽(スラットバンクス)と違う」などと斜め上から見下していた。今思えばせめて軽音部にでも入ってれば違ったかもと普通に思う。

ボーカルならできるぞとバンドも組んだがすったもんだで消滅。
(これはその内書きたい)

という訳で、大人と会話する時用の「将来の夢」は保育士になった。
保育士の専門進学は文系と言われ文系に進んだ。

だが2年生になって私はまともに学校に行かなくなった。
バイトもしててなんとなく気が向かないってのもあったし

学校にいるとタバコ吸えないのがダルイよね、みたいな厨二病もあった。

母親が仕事行ったと思ってダラダラしてたら戻って来て「学校行けーーーー!!!」と髪の毛ブン捕まえられて殴り合いのけんかになるなんてのも一度や二度じゃない。

時は遡るが一年の2月に部屋着で家出して補導されたこともあった。
そりゃそうだ氷点下の札幌で夜中の1時にトレーナとジャージで歩いてたんだから。

シンナー吸ってマシンガンズ聴きながら頭振ってラリって寝るみたいな日々を送っていた。
親の目を盗んでは学校はふけった。

本当にこの頃はすべてすべてすべて父親が悪いと思って生きていた。

実際、働いてないわ入院でほとんどいないわ、仕事決めてもすぐクビになってた。
そりゃそうだずっと酒飲んでるし。
現実逃避するみたいにしょっちゅうすすきのに行ってはアマチュアバンドの500円とか1000円くらいのライブに行って、イケメンのお兄さんたちと仲良くなった。

頭脳明晰な人には分からないかもしれないが底辺の馬鹿って言うのは未来予測とか金の計算とかが全然出来なくてフワフワ毎日夢の中にいるみたいな脳内してる。

高2くらいにもなると女子の話題はかなりグロい。
昨日中だしされた。今月生理来ない。
あの子中絶したらしい。妊娠して中退した。

私はド級の馬鹿だから、そっか妊娠して結婚すればいいんだー!
人生楽勝♪
と本気で思っていた。
幸いすすきのに行けばちやほやしてくれるイケメンは沢山いた。


今はマジで自分の娘がそんなこと思わないように育てたいと思ってる。

なんだかんだ楽勝だと思っていた人生だったが突然母親が父親と離婚したいと言い出した。
突然でもないか、この状況だもん。
そしてこの時の判断を私はこの先一生後悔することになる。

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