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まとめ10【ザ・タイガースとは?】
ジュリーこと沢田研二さんの経歴やあれやこれやを徒然なるままにつらつらと綴って参ります。細々とやっていきます。
Xで連載(?)しているネタのまとめです。
よろしくどうぞ。
【まだまだ沢田研二】まとめ10
かくも賑々しく隆盛を誇ったGS。その評価は様々あれど、少なくとも人気においてその頂点は、圧倒的なその人気の頂点は、誰が何と言おうと……
ザ・タイガースでした。
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※画像は東京での拠点の1つ、新宿ACB(アシベ)の1966年12月のフライヤー(の復刻)。上京したてでデビュー前です。
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【沢田研二の魅力】
これだけ個性的な集団のGSにおいて、彼らの何がかくも抜きん出ていたのでしょうか。
まず最大の理由は、ジュリーの存在に外なりません。
彼のルックスと甘い声は少女が夢見る「アイドル」そのものでした。
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高校時代、友人に誘われ田園に通い出した頃から「あの美少年は誰だ」と噂の的だったそうです。当初ドアボーイをしていた折から既に彼目当ての女性客がいたとか。
田園は20歳前後の客が多かったのが、一気に女子高生が詰めかけたとも。
やがてザ・サンダース※、そしてザ・ファニーズに加入し瞬く間に人気は爆発、大阪へそして東京へと進出し、ザ・タイガースとしてデビュー。
※ザ・サンダース:元は田園の専属でジュリーが初めて所属したバンド。演奏陣のみとなった後にザ・ファイターズと名を改め、ボーカルデュオだったザ・ジェット・ブラサースのバックバンドとしてデビューするがシングル1枚で解散。
彼らはGSの元祖ではありませんが、GSがアイドルとして社会現象となったのは彼らの存在ありきです。
先に触れた通り新宿ACBはGS各バンドが出演する聖地だったのですが、それ以前からジャズやロカビリーのバンドも登場していました。その中には音楽とコントで評判を取ったザ・ドリフターズもいました。そのリーダーだったいかりや長介さんは、当時をこう振り返っています。
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ザ・タイガースがいなくても。
沢田研二がいなくても。
GSはブームになっていたでしょう。
しかしそれは、アイドルブームでも社会現象でもなかったかも知れません。
歴史にIFは禁物ですがあえて考えると、こう思えてきます。
沢田研二が田園の扉を開けた時、歴史が動いたのだと。
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【ザ・タイガースの魅力】
とは言えザ・タイガースには、もちろんジュリー個人だけではなく、バンドとしての魅力もありました。
特筆すべきはまず「仲の良さ」に象徴されるチームワークでしょうか。
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バンドをやる上で、良い音を出す上で「仲の良さ」は必須条件とは言えませんが、特にアイドルファンの女性は今も昔も、メンバー同士の仲の良さ、裏を返せば誰と誰がケンカしたとかいった噂に敏感です。
GSの中にはプロダクション主導で集められた為、個人的な関係は特にないというバンドもあったようですが。
ザ・タイガースはサリー、タロー、ピーが同級生、トッポがピーの後輩とバンドに先立つ友情を礎として生まれました。
彼ら自身が取り立てて友情を押し出していた訳ではありませんが、大阪で活動していた際も上京当初も合宿で共同生活をしていた事や、そもそものバンドの成り立ちはファンには周知のことでしたから「仲良しバンド」という認識は多くのファンにあり、それが魅力の一部であったでしょう。
ちなみに大阪では西成区の明月荘というアパートにメンバー全員が居住。ジュリーとタロー、サリーとピーが同部屋でトッポは一人。この明月荘は2019年に解体されました。
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千歳烏山では一軒家を借りたようですが、やはりトッポは合宿には参加せず。この家は瞬く間にファンの知る所となり、常時人が押し寄せる状態となってしまった為、トッポには耐えられなかったのかもしれません。
そしてザ・タイガースは個々のメンバーに存在感があった、端的に言えば「キャラ立ち」していたバンドでもありました。 バンドが掃いて捨てる程に存在したこの時代、メンバー個々の名前や顔が「ファン以外にも」認識されていたのは、それ程多くはありません。
例えば人気GSの一つと呼べるザ・ジャガーズについて。
彼らの『君に会いたい』(1967年6月1日発売)はGSファンなら知らない人はいないでしょう。
画像は近田春夫「グループサウンズ」の引用ですが『君に会いたい』の知名度の高さとメンバー個々の認識の薄さが語られています。
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ザ・タイガースにおいて人気と知名度はジュリーが抜群だとしても。
ザ・テンプターズのショーケン以外より、オックスの野口ヒデトと赤松愛以外より。ジュリー以外のメンバーには人気がありました。
特にトッポとピーは好きなGSメンバーのランキングでは常に上位に挙げられ、ジュリー抜きで雑誌の表紙を飾ったり記事が組まれることもありました。
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画像は「明星」1968年6月号と8月号。いずれもピーがいます。
トッポとピーの人気もルックスに負う所が大きいでしょうが。
「キャラ立ち」という面では、ザ・タイガースには各々にイメージカラーがありました。
ジュリー:赤
トッポ:緑
タロー:黄
サリー:紫
ピー:青
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これはおそらくナベプロの戦略で、彼らが声高にアピールしていた訳ではありませんし、主にインナーの色だったのでそれほど目立ってはいませんが、視覚的に個性を意識させる効果を果たしました。
何気に1982年再結成(同窓会)の際にもこの設定は生きてました。
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さらにザ・タイガースはバンドとして非常にバランスが取れていました。外見を観ても
長身:サリー(181cm)とタロー(178cm)
中背:ジュリー(171cm)
小柄:トッポとピー(共に165cm)
と、異なる個性が揃っていました。
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そして音楽においても。GSはコーラスも重要な曲が多いのですが……
高音:トッポ
中音:ジュリーとタロー
低音:サリー
と、コーラスワークのバランスはザ・タイガースに抜きん出たものがあったのです。ザ・タイガースは演奏力にしろ歌唱力にしろ、決して高くはありませんでした。むしろ低い方と言って良いでしょう。しかし人気と実力が比例するわけではないのが世の常。
おそらくもっと本格的なロックが聴きたい少女はモップスやカップスを聴いていたでしょう。しかし実力はほどほどでもバランスが取れて聴きやすい、ここにザ・タイガースの人気が出る要素があったわけです。
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GSが不良扱いされたことは言及して来ましたが、人気の頂点であるザ・タイガースも大人たちにはそう見做されていました。
しかし、当時のファンの少女たちで、彼らに不良性を感じていた人は少なかったのではないでしょうか。
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おそらくもっと本格的な不良が好きな少女はモップスやカップス(以下略)
むしろザ・タイガースには不良とは真逆の、王子様が似合うような清潔感や人柄の良さがあり、それも一般的な人気を獲得する要因だったと思います。
コンサートでも彼らは気取ったり悪ぶったりせず、むしろ訥々といった語り口でした(後半にあの人が入って来るまでは)。王子様である一方、飾らない気さくさも感じさせる人柄。
「美しい王子様」と「気さくなお兄ちゃん」。
アイドルとしてこれ以上の魅力はないでしょう!
【ザ・タイガースがもたらしたもの】
……という事でザ・タイガースの魅力をつらつら書いて来ましたが。
最後に彼らに魅了された人物を一人、紹介しておきましょう。
ジャニーズ事務所の創設者、ジャニー喜多川です。
ザ・タイガースのデビュー時点で、彼は既にジャニーズとフォーリーブスをデビューさせていました。
ジャニーズは御三家(橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦)に次ぐアイドル、特に「歌って踊れるアイドル」として高い人気を獲得。ザ・タイガースは彼らの前座を務めたこともありますが、時代は正にGSの登場によって激変。
「ザ・タイガースが出てきたから」と喜多川が語ったように1967年12月末でジャニーズは解散しました。
フォーリーブスは1968年9月のGSブームド真ん中でデビュー。やはり「歌って踊れる」にこだわりながらも人気はうなぎ上りで「楽器を持たないGS」とも評されました。解散は1978年ですが後に再結成も果たしました。
ジャニーズ事務所はGSブームとは距離を置いていましたが、しかしGSブームの中から
「長髪で中性的な甘い顔」
こそが美少年アイドルの最大の魅力であると感得したそうです。
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またジャニーズのアイドルは各メンバーにイメージカラーが割り当てられたり、多様なバランスを考慮してグループ作りが為されたり、個々の仲の良さをアピールしたりと、個性の押し出し方にもザ・タイガースに学んだと思しきポイントがあります。
そして何より、ジャニーズとフォーリーブス、或いは御三家と新御三家を比べてみれば一目瞭然ですが「爽やかで男らしい魅力」がアイドルの条件だった時代から、「中性的で美しい魅力」が人気を博すポイントへと、時代が変化していきます。その区分点には、ザ・タイガースがいました。
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ひょっとするとジャニー喜多川にとって、ザ・タイガースと沢田研二=ジュリーこそ、理想的な永遠のイコン(聖像)だったのかも、しれませんね。
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かくの如く多くの人材が集い数多の名曲を残したGS。100を越えるグループがデビューしたと言われております。
百花繚乱多士済々、空前絶後の大ブームとなりましたが……
実はその流行は、泡沫の如く束の間の、実に儚いものだったのです。
(続く)
……ということで、次回からザ・タイガースの歴史に戻ります(汗)
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