まとめ5【ザ・タイガース 初期四部作】
ジュリーこと沢田研二さんの経歴やあれやこれやを徒然なるままにつらつらと綴って参ります。細々とやっていきます。
Xで連載(?)しているネタのまとめです。
よろしくどうぞ。
【ザ・タイガース 初期四部作】
1967年2月5日、ザ・タイガースは遂にデビュー!!
『僕のマリー』
しかし、アマチュア時代はロックを演奏していたメンバーにはこの曲は「演歌みたい」と不評でした。大ヒットとは呼べず、イマイチな出だしとなった彼らですが……
5月5日には2ndシングルリリース!!
『シーサイド・バウンド』
軽快で文字通り飛び跳ねる楽曲はコンサートでも大盛り上がり!!
バンドが振付で踊る姿は革命的なパフォーマンスでした。
この曲は見事ヒットしザ・タイガースの名を広めました。
ピー以外のメンバーが曲間でステップを踏んでジャンプ!
今から思えば他愛ないダンスですが「みんなが一緒に踊れる」大盛り上がりの1曲です!
タイトルの「バウンド(英:bound)」は「飛び跳ねる」「躍動する」の意ですが、これは当時流行の「ニュー・リズム」の一環で生まれたものです。
日本の夏と言えば盆踊りですが、新しい夏の踊りとしてこの時期には様々な「踊れる歌謡曲」が制作されました。これらを「ニュー・リズム」や「リズム歌謡」と呼びます。
橋幸夫のリズム歌謡路線の掉尾を飾る『恋のメキシカン・ロック』は同年5月1日、歌謡曲の女王・美空ひばりは5月25日に『真赤な太陽』をリリースしたのでした。
こうした一連のダンスブームに乗って、ザ・タイガースは一気にスターダムに。当時はまだオリコンは始まっておらず、この曲の具体的なセールス枚数は不明なのですが、ここから日本全国の少女たちが彼らに熱視線を送ることになります。
8月15日 3rdシングル
『モナリザの微笑』
こちらは『僕のマリー』同様にマイナー調の哀し気な曲ですが、前作を上回る大好評! 特に重要な点はこのジャケット、そう彼等は
王子様
なのです!! ザ・タイガースを、そしてグループ・サウンズを評して「王子様」のフレーズは連呼されることになりますが、その歴史はここから始まったと言えるでしょう!
特に「白馬にまたがった王子様」、これが初期ザ・タイガースには決定的なイメージとして少女たちの脳裏に焼き付いていくのでした。
つまり音楽、ビジュアルの両面で人気を博していく「アイドル」としての路線を、彼らは邁進していくこととなります。
翌1968年1月5日 4thシングル
『君だけに愛を』
遂に出ました!
この曲のサビで放たれるジュリーの「黄金の人差し指」に、日本全国の少女たちのハートは射貫かれたのでした。 この曲こそザ・タイガースとグループ・サウンズを決定づけたのです。
この曲のサビでジュリーは客席を指差します。差された位置にいる少女たちは割れんばかりの歓声をあげて熱狂したのでした。この曲は今日に至るまで歌われる機会がありますが、今もなお年季の入った(?)悲鳴が轟きます。
この曲はミリオンセラーを記録したとも言われ、1968年をザ・タイガース、そしてグループ・サウンズ一色に塗り込める先陣を切ることとなったのでした。
『僕のマリー』から『君だけに愛を』までは全て作詞:橋本淳/作・編曲:すぎやまこういち。
実はこのリリース順序はすぎやまさんの計算でした。 少女がときめく哀しげな歌、踊れる曲、再び哀調の歌、そして満を持して盛り上がれる曲!
楽曲に直接のつながりがある訳ではなく、詞もそれぞれ独立した作品ですが、すぎやまさんは「四部作」という意図をもってこれらの楽曲を作り上げました。
すぎやまこういち4部作でザ・タイガースは一気に人気バンドとなります。それは「グループ・サウンズ」が時代の中心に躍り出た事を意味しました。
ここで少し寄り道をして、「グループ・サウンズ」について触れていきたいと思います。
(続く)
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