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食べ放題で元を取りたい人問題

食べ放題のお店にみんなで行ったとしよう。

メニューの中から自分が食べたいものを選んで注文しようとすると、こういう奴が現れる。


「こっちの方が原価高いよ、こっち注文しよう」


…な、なぜなの?

食べたいものを、食べれば良くない?

そういう人は決まって


「だって元取りたいじゃん」


と言う。

“元を取りたい”

なるほど。確かにそうかもしれない。

では、食べ放題のお店で取る“元”とは一体何だろうか?



例えば食べ放題1人¥4000の焼肉屋に行った場合、何をどうすれば「元」が取れるのだろうか?


元取りパターン①

これは僕個人の考えだが、

“単品で注文したと仮定した場合の値段が¥4000を越える”

が完全に元を取ったと思えるラインだ。

例えば通常の単品の値段が¥800円の皿を5皿頼めば元は合計¥4000。元は取れていると考える。

まあ、実際に行った場合は適当に好きなものを注文して、実感として¥4000では注文しきれない量食べたな〜と思えばもう元は取れている。と考える。これを①としよう。


元取りパターン②

前述の彼らの考えは概ねこうだ。

定額制だからいくら食べても¥4000は変わらない。しかし自分の胃袋に限りはある。その限りある胃袋の空きスペースを

“どれだけ原価の高いもので埋めるか”

いかに¥4000の定額を楽しんだか。得した気持ちで帰れるか。ここに重点を置いている。これを②とする。


思うに、この①と②の考えの差が軋轢を生む。


僕のように①のような考えの人間は「お肉と一緒にご飯も食べたいなぁ〜」と浅はかな考えを起こしてしまう事だろう。

しかし、もしもライスなんて注文しようものなら、②の彼らの怒りが豚カルビを焼いた時の七輪の如く燃え上がる。「ライスで腹を満たすな!」と言うのだ。

胃袋の許容量をより高い原価の物で埋めたい②の信奉者にとっては明らかに原価の安いライスを胃袋に入れるなど、到底考えられない愚行なのだ。

同様に、スープの類も親の仇のように嫌っている。或いは幼少期にスープに溺れた事トラウマでも抱えているのだろうか。スープを注文しようものなら彼らは再び豚カルビ七輪状態。

彼らの怒髪は天を衝き、排気ダクトに穴を開け、隣の客の焼いた肉の煙が我々に降り注ぎ、僕らは慌ててシェルターに逃げ込むも、トキだけが逃げ遅れて灰を被り全白髪と化してしまう。

この考えの溝が埋まる事はそうそうない。

②の主張をねじ伏せてライスとほどほどの肉を楽しんで帰りたいが、現実はそうもいかない。

なぜなら ②の人は原価の安い肉の注文に躍起になり過ぎて目は血走り焦点を失い、髪は全て抜け落ち、こけた頬だけが七輪の熱でほんのり赤く、トング動かす事しか取り柄のない魔物と化しているからだ。


さて、ここで提案なのだが、これから食べ放題に行くときには、自分が①か②か最初に宣言するのはどうだろう?

食べ放題に誘われた際に

「自分①ですけど大丈夫ですか?」

だとか、

「俺は②なんでゲス!今日は肉の部位ごとの原価を調べて来たでゲス〜!」

と、一言添えるだけで一緒に行く人間が敵か味方か分かり、食べ放題は楽しくなるはずだ。


僕は②の人とは一緒に食べ放題に行きたくない。

なぜなら②の中には、店側が赤字になってしまうくらい原価の高い物しか注文したくない、¥4000では店側に儲けが出ない状態に追い込みたいという、いわゆる“原価過激派”の人間が存在する。

テレビの企画で大食いの人が挑戦しているのを観た事がある人は分かると思うが、食べ放題でそういう意味での元を取るのは至難の業だ。

それでも挑戦したい。店を赤字にしたい。

飽くなき執念。大いなる野望。

なぜ、安い値段でお肉を提供してくださっているお店に対して、その様な負の感情が芽生えるのか?

それは恐らく彼らの前世が牛だったからなのだろう。

食事は何を食べるかではなく、誰と食べるかだと聞いたことがある。

ならばその様なツラミの皮の厚い人間と一緒にご飯を食べても美味しくないであろう事は、まさに七輪の火を見るより明らかである。










コーヒーが飲みたいです。